命と生命

命と生命の問題、心と命の問題
失くしたくないものに命がある。死を意識し実感として感じる命の尊さ。しかし心に対してはその実感が沸かない。生きていれば心は存在する。心の尊さという視点で心を考えることはない。死を意識しても心の死と結びつかないのは何故か。命を亡くせば同時に心も亡くなると思っているから心だけを亡くす意味を理解できないのである。
生死に差別なしといっても死ねば仏道修行は出来ないだろう。そうすると心は顕現しないことになる。
命には生の命と死の命がある。そして死の命は諸法となり、生の命は実相となる。諸法実相は命と同等の意味を持つことになる。
心には諸法の心と一切衆生の心がある。さらに一切衆生の心のうちで慈悲の心がある。そして南無妙法蓮華経を法体と定義すれば命は理の一念三千、理の妙法蓮華経となり、諸法の心である事の妙法蓮華経は事の一念三千となる。一切衆生の慈悲心である南無妙法蓮華経は事の事の一念三千となり法体となる。

南無妙法蓮華経と法体を定義とした故に心は日蓮仏教、命は釈迦仏教ともいえる。

2024年11月15日