心

心とは何か。心の問題
「心は何処にあるの」と問う人がいる。
心は生の心と死の心がある。生の心を「法」と言う。死の心を「妙」と言う。
心とは妙法の事で「妙法とは何」と同様の質問となる。
すなわち心や妙法は、単独に存在しているわけではない。
妙法蓮華経と南無妙法蓮華経という二面で存在しているのが妙法であり心である。
諸法の心は妙法蓮華経、一切の衆生の慈悲心を南無妙法蓮華経であると日蓮はいう。
諸法の心と一切の衆生の慈悲心は南無妙法蓮華経という法体に存在しているのである。
これが日蓮仏法である。

人間はこの法体を仏性として具備していると説くのが日蓮仏教である。
人間が具備している南無妙法蓮華経の性分に心は存在し、心は感応によって顕現する。

心とは人間そのもの
心とは自然そのもの

心は心と感応して顕現する
心は有情の心と感応して顕現すると感情
心は非情の心と感応して顕現すると情感

人間が考える心には、独りよがりの心、傲慢な心など実に様々な心があり、心は人間の感情そのものとも言える。これらの心を十種に分類したのが十界論である。十界論の仏界を慈悲の心と定義されてもそれほど単純に実感できないだろう。
誰でも慈悲心はある。その心を仏と呼ぶことは出来るが、法体であるという実感を持つことは難しい。さらに慈悲心が現実の自分の人生に如何なる助けに、あるいは力に、思いを実現することに役に立つというのだろうか。

人間が具備している南無妙法蓮華経の性分は心に存在している。心は感応によって顕現する。心が南無妙法蓮華経となると心は法体となる。したがって「仏とは心」というのが日蓮仏教の眼目となる。
南無妙法蓮華経という性分を顕現すると仏の力用(仏力・法力)が発揮できるという。人間が抱える様々な悩みは仏の力用(仏力・法力)を発揮して自身の力で解決できるという。神や仏の助けが無くても解決できるという。これが日蓮仏教の修行法である。


2024年04月01日