池田先生が亡くなられてから、一か月経ちました。そんな時に私の作った年譜を参考にしたいという電話がありました。そして池田先生をもっと知るのに牧口、戸田両先生の人間性ももっと知りたいという理由らしい。
私はすぐに44年前の本部の雰囲気を思い出しました。私にすれば、今、牧口・戸田では無いだろうという思いが湧きあがりました。
それでも今回は、協力をすることにしましした。牧口・戸田年譜と戸田先生の音源を提供しました。
銀 座 の 次 郎 長
渡辺四郎次は関西で生まれた。七人兄弟の四番目に生まれた次男坊なので四郎次と名前をつけられた。餓鬼の頃から手癖が悪く、短気だが竹を割ったような性格の男の子であった。餓鬼大将は、中学生になると一年のときから番を張っていた。しかし、番長と呼ばれるのを嫌がったので、子分達は、四郎次のことを次郎長と呼ぶことになった。
中学を卒業するとすぐ、京都の料亭に板前修行に入った。よく喧嘩もしたが、我慢もした。東京で日本料理の店をだすという目標が、様々な試練に耐えさせたといえる。
東京の浅草にある料亭の板場に移ったのは、二十二才のときだった。東京の喧騒と江戸っ子の気性が四郎次に合った。京都の料亭で修行したとはいえ、一人前の板前には程遠い腕前であった。そんな半人前が、仕入れに行った魚市場の帰り、言問橋の麓で人だかりができているのに気づいて、覗きたくなった。
「なんだなんだ。何があるんだ」
「バナナの叩き売りだよ」
「なんでぇ、つまんねぇな」と呟くと帰ろうとした。
すると叩き売りをしていたお兄さんが「ちょっとちょっと、そこのいなせな兄さん。つまんねぇはないでしょう。うちのバナナはねぇ、そんじょそこいらのバナナとバナナが違うんだよ。一口食べたら病み付きになるってぇ、凄いバナナだ。この別嬪の保証付きだ。旨かったろう」
「美味しかったわ」
「そうれみろ!」と叩き売りが叫んだ。
四郎次が、その女を見て思わず「うっ」と唸ってしまった。<いい女だ。こんな女が、この叩き売りとサクラか>と思うと、嫉妬心と反抗心が沸き上がってきた。
2007.11.3
銀座の次郎長(2)
「サクラの言うことなんか信じられるかって」
「サクラ、冗談じゃないよ。すっとこどっこい」と、途端にこの女が四郎次に向かって威勢のいい啖呵を切った。
叩き売りの兄さんも勢いづいて「失礼なこと言っちゃだめだよ。こちら、大事なお客さんなのよ」
他の見物人の間に笑いが起こった。すると大向こうから「そうだぞ。若いの。こちらのお嬢さんはなあ、地元の区議会議員のお嬢さんで、評判の浅草小町だぞ。知らなかったのか。田舎者!」と声がかかった。
普段の四郎次なら、この時点で相手に殴り掛かっていただろう。ところが、まったく身動き出来なかった。
おもわず「ごめん」と女に頭を下げてしまった。生まれて初めて人様に頭を下げたのである。
「まあいいか。あんたも食べてごらん」と食べかけのバナナを四郎次にさしだしながら、ニコッと微笑んだ。
板場に戻った四郎次は、まったく仕事が手に付かなかった。洗い方を手伝えば皿を割り、焼き方を手伝えば焼きすぎて、煮方を手伝えば煮すぎてしまうと散々な失敗の連続であった。
何をしていても浅草小町の顔が目の前に現れる。惚れ惚れとするような気っぷの良さと、小股の切れ上がったいい女であった。浅草小町が四郎次の心を支配していた。バナナの味などまったく覚えていなかった。四郎次、二十五歳。青春真っ只中である。
2007.11.5
銀座の次郎長(3)
半人前の板前が分不相応な恋をしたから大騒動になった。はじめ噂は、板前の間だけだったが、あちこちの店で、板前が客に面白おかしく話すもんだからたちまち浅草だけでなく周辺の本所駒形から深川に広がり、ついには神田、日本橋、新富、新橋、銀座といった粋筋界隈にまで尾鰭がついて流布してしまったのである。板前の世界も結構、狭いものである。
浅草小町は江戸小町に格上げされ一目見たいという神田や日本橋の呉服屋の若旦那まで、浅草に出向くようになったのである。
さらに四郎次の名前も、悪名の代名詞にまでなり、ついには四郎次が清水の次郎長の隠し子で、板前になる前はヤクザで、背中に玄界灘の鯛を背負っているという噂まで流れたのである。中には情報通を気取って「いや、あのもんもんは見事な鯉と登り竜だった」と見てきたように話す者も出てくる始末であった。
板長は何度も諦めさせようとした。顔もごついが性格も短気な、この腕のいい職人肌の若者の将来を心配してのことであった。
もちろん女将も大反対であった。浅草小町の父親は、この浅草では顔役であり名士であり、区議会議員で、店の上客でもあった。女将は、菓子折りを持って浅草小町の両親に詫びを入れに出かけた。
かなり立腹の父親に平身低頭として帰ってきた女将は、四郎次を呼びつけると懇々と説教し、諦めさせようとした。四郎次は、それでも女将に食い下がった。とうとう女将も癇癪を起こして四郎次の頬を思いっきりひっぱたいた。
銀座の次郎長(4)
「いいんかげんにおしよ!!これ以上、強情を張るんなら、お前をここに置いとく訳にはいかないよ!出ていけ!!」。
女将が怒り出すと手がつけられない。浅草芸者の気風に惚れた旦那が見受けして、店を任せてきた。女手一つでこれだけの身代を築いた女将であった。その気性は、四郎次も身に沁みて分かっていた。
「女将さん、勘弁してください」
両手をついて、額を畳にこすりつけて謝った。
「私にこれ以上、恥をかかせたらただじゃすまないよ!!いいかい四の次!!」
四郎次は、いつも<しろうじ>とは呼ばれずに<よんのじ>と呼ばれていた。
「はい!ごめんなさい。申し訳ありません」
喧嘩に負けたことはなかったから、謝り方すらよくわからない四郎次であったが、いま女将と喧嘩してはいけないと本能的に感じていたのである。ここで謝っておかなければ、もう、一生、彼女に会えないと思うから必死で頭をさげた。四郎次、人生二度目の謝罪であった。
女将の小言は小一時間も続いた。もともと四郎次は、女を殴ったこともなければ、喧嘩もしたことがなかった。どんな女にも腹が立ったことがない。
板場に戻った四郎次は、すっかり悄気かえってしまった。生きる希望すら失ってしまったような心持ちであった。どうしたらいいのかまるっきりわからなかった。女に惚れただけで、なんでこんなに怒られなければならないのか、まったく理解できなかった。
四郎次がしたことといえば、休みの日に小町の自宅の周辺をうろついただけで、誰にも迷惑をかけていない。と本人は思っているが、うす気味悪がった近所のおかみさんが通報したことがある。そんなことをされては、こっちこそいい迷惑だと怒ったこともあった。
2007.11.7
銀座の次郎長(5)
兄さんの鯉沼恵太は、板長の命令で四郎次を近くの飲み屋に誘った。
「元気だせよ。四郎ちゃん」
「・・・・・」
「いいか、四郎ちゃん。他にも女は、いくらでもいるしよ。なにもよりによって、浅草小町に惚れちゃいけねえよ」
「・・・・・」
「四郎ちゃんが、結婚を申し込まれたんなら、俺がいくらでも応援すっからよ。じゃないんだから小町は、あきらめろ」
「・・・・・」
こんな会話が一時間続いた。二人はすっかり出来上がってしまった。今夜は一件も予約がなかったので、板長の配慮で午後八時に揚がらせてもらった。明日は、休みである。
しばらくは平穏無事な日々が続いていた。ところが二週間後に、浅草小町の父親である議員先生が一人で女将に会いに来たのである。
女将は玄関先で迎えると、板の間に両手をついて「また、うちの四郎次が、悪さを働いたんでしょうか。本当に申し訳ありません。今度こそあの子を首にしますから。申し訳ありません」と来訪の理由も聞かずにただ平謝りに謝ったのである。悪いのは四郎次に決まっていた。
「女将さん、頭を上げて下さい。実は、きょう伺ったのは聞いて戴きたいことがあったんですよ」
「ええ。よく判っております。あの子には二度とお嬢様に近づかないようきつく申しますので、ご勘弁願えればと思っております」
「いや、そうじゃなくてですね。実は、うちの家内が言うところによりますと、どうも娘は、お宅の板場の誰かに恋心を抱いているらしいと言うのですよ」
女将はてっきり四郎次のことで文句を言われると早合点していたので思わず絶句した。2007.11.8
銀座の次郎長(6)
「本当にうちの板前にですか」
「うむ。家内の話だとどうもそうらしいんだ。そこであんたにお願いというのは、その相手を探してみてくれないかということなんだ」
「とても信じられませんよ。うちの板前のなかでお嬢様のお目に止まるようなものなんか一人おりません」とキッパリいうと何故か胸を張ってみせた。と同時にまだ玄関先の立ち話しであったことに気付いたのである。
「あっ、先生、本当に申し訳ありません。こんなところで、お茶もさしあげないで、まあ、お上がり下さって、もうすこし、詳しい事情を伺わせてくださいな」というと「どうぞどうぞ」と先生の腕を取って奥に案内した。この女将もなかなかのいい女で、先生のお気に入りであったから、先生も手を引かれるまま座敷についていった。
驚いたことに四郎次のプロポーズを浅草小町は、受け入れたのである。母親が、不機嫌な父親を説得したらしい。母娘の対話が何回か繰り返されていた。母親も四郎次が、どんな男か確認していた。
そして、何故、静子がこの男に惚れたのか良く判った。簡単に言えば、父親と同じ気性の男であったのだ。そして、自分達もやはり、結婚に反対されたのである。同じ宿業を背負った母娘ともいえた。
四畳半一間の新婚生活が始まった。結婚して十年間、四郎次は夢中で働いた。この間、一度も警察沙汰になる程の喧嘩をしなかったのは、奇跡としか言いようがなかった。
四郎次は三十五才になり、銀座に小さいながらも日本料理店を構えることができた。フグ料理と刺身の店で、「お静」と愛妻の名前を屋号にした、わずか五坪程の小さな店であったが、四郎次も一国一城の主となった。二人の娘の父親でもあった。二人とも母親似で美人姉妹であった。2007.11.9
銀座の次郎長(7)
四郎次は親方というより、親分であった。いつしか客も、餓鬼の頃から呼ばれたあだ名である「次郎長」と呼ぶようになった。
屋号も静子の提案で「次郎長」と変えた。商売も順調に回転し始め、固定客も増え始めた。四郎次は、この頃から短気な性格が、再び擡げてきた。雇った若者をぶん殴ることや包丁の峰で殴ったこともある。鍋をひっくり返したり、店の中で若い者を怒鳴りつける。店が終わると酒に溺れていった。
気に入らない客との喧嘩は日常茶飯事となり、酷いときは、逃げ出す客を包丁を振り回して追っ掛けたこともあった。銀座のど真ん中での忍状沙汰は、四丁目の交番の警官に取り押さえられるまで続いた。
若い者は次々と辞めていった。長くて、二年も持てばいいほうである。しかし親分の料理の腕は確かであったし、しっかりと伝授してくれるのである。勿体ぶって、出し惜しみなどする性格ではなかった。聞かれればどんどんコツを教えていった。それでも、店を辞めていく若者に、「近頃の若え奴等は、根性がない」というのが口癖になっていた。
「次郎長」では、注文した料理を残すのはタブーであった。途端に親分の顔色が変わってしまう。「俺の料理を残すなんてぇのは、もっての外だ。馬鹿野郎!二度と来るな!」と客に向かって怒鳴ることもあった。客が寄りつかなくなったら、お手上げなので、困ったお静が一計を案じた。客が帰りそうになって、残り物があれば、親父の目に入るまえにサッと手で取り出してしまう。そしてそれを握ったままレジの前にいき、レジの下に隠してあるバケツに処分してしまうのである。
逆に「親分、旨いな、これ」と言いながらすべてを食べると、嬉しそうに顔を崩すと「おお、そうだろう。これも食ってみろよ」とすぐにサービスをしてしまう。
そんな親分であったが、近所の評判はすこぶる悪かった。ごつい顔にでかい身体は、ヤクザじゃないのかといった噂が広がり、隣近所の住人も近寄らなくなった。町会の役員からも敬遠されていた。2007.11.10
銀座の次郎長(8)
町会の会合の案内は、女房のお静にしか渡さなくなった。四郎次の悪評に反して女房のお静と二人の娘は、銀座でも評判になった。器量の良さは、母娘とも共通しているし、気性もサッパリした江戸っ娘そのものであった。
その評判は、親父の悪評が高まれば高まるほど、反比例して高まっていった。噂話に華を咲かせた最後に必ず口にでるのが「娘さんたちは、本当に親分に似てなくてよかったよ」だった。ヤクザのような親父も妻と娘には怒ったこともない。
そして不思議なことに二人の娘は、この父親を好きなようだった。娘を持つ近所のおっさんは、自分の娘から嫌われているので、何故、あんな親父が娘から好かれるのか理解できなかった。
そのことが、嫉妬心を生み、ますます次郎長が嫌いになっていた。しかもこのおっさんが、銀座四丁目の町会長なのである。
そんな時、渡辺家に大騒動が持ち上がった。妻の静子が、創価学会の会員になった。勿論、四郎次は反対した。ところが、可愛い娘達がすぐに妻に従って会員になってしまったのである。
周囲の反対を押し切って結婚した浅草小町は、江戸っ子気質が骨の髄まで染み込んだ頑固者である。親分の反対など、一笑に伏した。乱暴者の四郎次も、妻と娘には滅法弱い。妻や娘達に逃げられたらその瞬間に、働く意欲どころか生きる希望すらすっ飛んでしまうのは目に見えていた。四郎次は、黙ってしまった。
なんで、静子が宗教なんか始めることになったのか、皆目、見当もつかなかった。<何か悩みがあるんなら、なんでも俺に言ゃいいじゃねえか。まったく>2007.11.12
銀座の次郎長(9)
「それとも、何か。俺の事で不満があるんじゃねぇだろうな」と一人でブツブツ言いながら仕出しの準備をしていた。傍で若い衆が薄気味がってチラチラと親分の様子を窺っていた。何事にも真剣に悩んだことがない親分にとっては、重大事件であった。
当然、いくら考えても答えなど出る訳がない。
三原小路という名前のとおりの、狭い路地の入口に、小さな稲荷の社があった。この狭い路地の中ほどに次郎長の店があった。
ある日の深夜であった。この稲荷の前で、次郎長親分が、屈み込んで手を合わせているのが目撃されてしまった。鬼のような親分が、大きな体を縮こませて、稲荷に願を掛ける姿は異様に映ったほどである。
びっくりした近隣の住民の間に、あっという間もなく広がった。噂は尾鰭が付いて広がるものである。
事情通はどの町にもいるもんで、次郎長の悩みの原因を探り出そうと鵜の目鷹の目であった。
「ざまあみろ!女房子供に見放され、裏切られたらしいぞ」
「けどよぉ。次郎長親分も可哀相だよ。お稲荷様に縋る以外に手だてがないんだとよ」
「なんでだよ」
「お静さんや娘たちが、宗教に凝っちまったらしいんだ」
「そりゃ大変だな」
「ああ。結構、可哀相なんだな、これが」と、町内の親父たちも腕組みして考え込んでしまった。
2007.11.13
銀座の次郎長(10)
<もしも我が家で同じことが起こったら俺はどうするか>と思うと落ちつかなくなってきたのである。普段はえ張っていても、本音を言えばまるっきし意気地がなかった。
「家から出ていけ!」などと怒鳴ったら、慰謝料だ、裁判だと騒いだ揚げ句に、子供たちから白い目でみられ、最後は周りに誰も居なくなることは目に見えていた。
「女なんて薄情なもんだよ。そう思わねぇか」と誰かが言った。
居合わせた親父たちは、深刻な顔をしたまま無言でうなづいた。
次郎長の行為が思いもよらぬ、近所の反応に出くわした。稲荷と創価学会。地元の神とよからぬ風説がある新興宗教の対立を、町内の連中は面白がった。そして、以外にも次郎長の評判が上がっていった。
「次郎長さんもたいしたもんだよ」
「ああ、なんでも、女房と娘を取り返しに行くってぇんで、殴り込みをかけたんだと」
「銃刀法違反かなんかで、逮捕されちゃったって」
「本当かよ」
「そんな噂だぞ」と、とんでもない流言飛語が町内を駆けめぐってしまった。ふだんは見向きもされない稲荷に、お参りするものも出てきた。稲荷の社を改修しようという町内会の役員の発案があった。
改修委員会を設置すると、次郎長にも委員になってもらおうという声まで上がり始めた。もともと親分は、親分気質が身体中から溢れているから、頼まれたら断れない。その行動力にまた持ち上げられる。頼られれば無我夢中で動き回る。調子に乗ると止まらなくなるのも親分の気質である。2007.11.14
銀座の次郎長(11)
「おい、おめえたち。ここに一列に並べや」
社の前に近所の若い者を一列に並べて、一斉に柏手を打たせると、掃除までさせたりと大忙しであった。
けれども四郎次は、信仰心を褒められれば、褒められる程、後ろめいた思いにかられていたのである。まさか、単に妻や娘達への対抗上、すなわち、直接、文句を言えないから、間接的にやった親父の反抗に過ぎなかったのである。
信仰心のかけらも無かった男にとって、稲荷に手を合わせること自体が気違い沙汰であった。町内会の連中にこの佯狂苦肉の計画を褒められては、かえって辛い。
褒められることには小さいときからまったく慣れていないから、聞くたびに体がムズムズしてくる。
「いい加減にしろよ。虫酸が走らあ」と怒鳴ることも度々起きた。
妻や娘達への当てつけに、表面的に社を掃除したり、真剣に祈るふりをしてるだけである。
妻の静子から見れば、板前修行と喧嘩に明け暮れていた夫が、かつて一度も見せたことのない信仰心の下心など、とっくにお見通しであった。
<お父さん、馬鹿なことやってんじゃないよ、みっともない>と内心、思っているが口には出さない。浮気する訳でもなく、自分達を怒鳴ることもない。悪戯っ子が反抗するような態度であった。
四郎次は憂鬱であった。自分の悪口は言われ慣れているが、家族の悪口は聞きたくなかった。もっとも自分の悪口といっても面と向かって言おうものなら、言い終わらないうちに前歯が飛んでいた。町内にもその被害者がいた。
恋女房や愛しい娘たちが入会した宗教の批判がそのまま彼女達への批判に聞こえてくるから、自分への悪口以上に腹が立ち不快になった。2007.11.15
銀座の次郎長(12)
ある日、四郎次は、一大決意して女房と娘達に議論を吹っ掛けた。
「なんで宗教なんか始めたんだ。俺は許可しないぞ」といきなり切り出した。
すると二人の娘たちが、声を揃えて「お父さんの健康と長寿を祈ってどこが悪いのよ」と叫んだ。
娘たちの剣幕に四郎次は、思わずどもってしまった。
「いや、そうじゃなくて、だな。その・・・稲荷じゃだめなのか」
「お父さん。人間がキツネを拝んでどうすんのよ。キツネみたいになっちゃうよ」
「うーん。じゃ、観音様じゃだめか」
「観音様は菩薩ですよ。日蓮大聖人は私達も菩薩だと言われているの。菩薩が菩薩を拝んでどうするのよ」と静子が言った。
「じゃ、薬師様ならどうだ。薬師様は仏だろ」
「薬師如来は仏でも、お釈迦さんの家来よ」
「それじゃ、お釈迦様にすらゃーいいだろう」
「お釈迦様はねぇ、末法ではもうオシャカなのよ」
「なんだそりゃ。お釈迦様がダメなら鬼子母神てぇのはどうだ」
「鬼なんて、雷門で門番してるのよ」
「天神様じゃだめか」
「あれって、カミナリ様の神さんでしょ。鬼子母神といい勝負なんじゃないの」
「わかった。それじゃキリスト様じゃだめか」
「キリストは磔になってるのよ。私は嫌よ」
「日蓮聖人だって、島流しにあったり、頸を切られそうになったりしたろ」
「でも、死ななかったでしょ。だから凄いのよ」
「なるほど。そう言われりゃそうだな」
なんとなく納得してしまう親分であった。<確かに日蓮様は、度胸があったな。坊さんでなけりゃ、さぞや立派な親分になっているだろう>と変な確信を持ったりした。2007.11.16
銀座の次郎長(完)
喧嘩は得意でも話し合いの苦手な親分が、必死の思いで討論しようとしていた。けれども女房や娘達に口で勝てる道理はなかった。
近所の噂は、自分に有利な筈なのに、なぜか、浮かない気持ちが心を支配していた。他人に褒められることの心地良さを本気で楽しんでいたが、そんな心の内は微塵も見せたくなかった。
けれども褒められることが、こんな良い気分になるとは思ってもいなかった。
しかし褒められても嬉しそうな顔は出来ない。というよりどう対応していいのかわからなかったのである。
それにもう一つ。自分にとっては思いもしなかった心持ちを体験していた。それは、まったく無いと思っていた信仰心のことであった。真似事ではあったが、両手を合わせて祈ることによって、何かいままでの自分と違った自分が見えてくるような気分を味わったことである。
四郎次は、家族の留守のときに女房や娘たちが拝んでいる仏壇に向かって「南無妙法蓮華経」と十編ほど唱えてみた。稲荷に向かって手を合わせているときは、ただ、黙って自分の願を祈っているだけだった。いま題目を唱えていると、自分の願より妻や娘たちの健康を願っている自分を発見した。
<信心は、弱い人間がやるものだ>と思っていたが、そうではないのではと思うようになっていた。無縁と思っていた信仰心が、自分の心の中に芽生えてくることにある種の感動を覚えずにはいられなかった。
一切の誤解に対する反感とその誤解を予想出来なかった自身の愚かさにに対する反感がうすら寒く影をひろげるばかりであった。
梅の香が微かに漂う小さな庭がある。新宿富久町の自宅の縁側に座って、春のまだ浅い日和を楽しみながらも、朝から憂鬱な気分に取りつかれていた。
午後の日課になっている新宿御苑の散策を終えるころには夕暮れになっていた。誰もいない庭先に佇みながら満開の梅の木に目を向けていた。春の風は暖かくなってきたが、まだ冷たさの残照があった。
次郎長は女達の門外に馬を繋ぐことを決意した。
<はて、誰にその事を伝えるか・・・>
<妻か娘か・・・・・>
ぼんやりと庭に綻ぶ梅が、僅かに零れる様をいつまでも眺めていた。
2007.11.18
- 完 -