芸術論序説

芸術は人間性を輝かせる光源である
芸術は人間生命から発する光線である
故に芸術は、平和の礎になる力用を備え持っている(池田先生の至言)
政治経済優先の時代から、政治経済の根底に文化を置く時代構築が世界平和への第一歩となる。そして平和・文化・教育の根底に人間を見据えていくことである (池田先生の至言)

【宇宙・自然は、流転する事象のみがある。実体的で固定的な「美」は存在しない
「美」があると思うのは
「美」が実際にあるからではなく
苦を倦みだす「美」への執着の故である】(筆者)

芸術論序説 序文

芸術についていろいろと考え始めてからどのくらい経ったのだろうか。公明党が日本を芸術立国、文化立国にしたいと言い始めてからのように思える。
公明党は単に政治的発想、外交手段として文化・芸術を日本の中核となる政策にしたかっただけだろうと思う。
その公明党議員の大半が、日蓮仏法の信奉者である。彼らの政治的、精神的支柱であるはずの日蓮仏法に、いかなる「美哲学」があるのか理解しているのだろうか。
日本の文化には、実に様々なものが燦然と輝いて存在するように思える。文化はある意味伝統芸術でもある。技術・技芸として様々な形式を持って継続してきたものが文化となって国民の生活や精神に根付いてきたのである。
しかし西洋芸術とは明らかに異なるものでもある。その最たるものが「道」思想であろう。そしてこの「道」思想が派閥を形成してきた。古くは「歌道」があり、飲茶が日本に中国から伝わると今度は歌道の影響をうけた形で茶事が「茶道」へと変貌していく。
さらに生け花が華道となり、剣術が剣道になり、柔術が柔道になる。それぞれの「道」は多くの流派を生むことになる。道を付けなくても舞踏や絵画、盆石のように流派は生まれる。いわゆる家元制度である。もちろんこの家元制度には多くの弊害もあったことは想像できるのだが、芸術が文化になるときにこの制度が有効に機能したと考えられるが、この検証は略したい。
私は、もともと芸術論を書く予定はなかった。というのは、芸術を語るときに必ず出てくるのが「美」である。私は価値論序説において「美」は価値基準に相応しくないと述べた。
「美」が芸術論の主命題になる傾向がある。したがって私が芸術論を書くと美的価値に関する思考が、先人たちの思考をことごとく否定することになる。価値論序説だけで充分に既存の芸術論を否定していると思っていたからである。
価値論序説でも述べたが、究極の美など存在しないと思っている。また美的評価に大中小とか、高低浅深、偉大、究極といった格付けにも意味がないし、むしろすべきでないと結論した。
そんな私が、なぜ、芸術論序説を考えようと思ったのかと言うと、小中学生の頃、習っていた茶道や華道を再度やりたいと思ったことが切掛けであった。
とくに茶道においては、あまりに禅宗の間違った思考に影響されてしまっていることを知ったからである。茶の湯を愛する私にとって、禅宗の信徒でないから茶の湯を愛する資格がないなどと言われるのは心外である。
千利休の七哲の一人である高山長房はキリシタンであった。したがって私は法華経なかんずく日蓮仏法を根底にした茶の湯を考えなくてはならなくなった。そのために新しい茶道の流派を創ってもいいのかなと思ってしまった程である。
現在の茶道を作り上げた禅思想を破折しあらたに法華思想を根底に思想的な意義付けを考えて見ても面白いかもしれないと・・・。
けれども一言その前に言わなくてはならないことがある。元来、茶の湯と仏法とは何の関係もないのである。薬効や嗜好品としての茶の湯にわざわざ仏法の裏付けらしきものを述べる必要もないというのが本音である。
したがって茶の湯を茶道などと格上げする必要もないが、無理やりこじつけてみたいという興味本位である。もちろん禅宗の破折、禅思想の破折が主体となるのだが、それだけでは芸術論とは言い難いので範囲を広げてみることにしたのが動機である。

第1節で「人間の文化と芸術の役割」と題し、まず西洋美術の歴史を眺めながら神と芸術について考察してみたい。次に東洋美術であるがここでは簡単な歴史と茶道について述べ、次の章で禅宗の破折をしておきたいと思う。
人間と芸術の在り方を考える。さらに芸術における直観と仏教における智慧について考察し、最後に有非情の概念と芸術との関わりを述べながら、芸術が果たす人間文化への役割を考察してみたい。
第2節では「人間と自然と芸術」と題し、初めに芸術作品という非情界の生命と人間という有情界の生命との関わりを考察してみた。そしてその関わりの根底にある仏教の非情の概念を紹介してみたい。
さらに 仏教における意識観がどのように芸術を志向するかを考察し、芸術を生み出す人間の特質を覗いてみることにする。また芸術存在が時代という共業と作者の人間の持つ業との関わりにも触れてみたい。ここまでが筆者の芸術に関する基本的な思考態度となる。
以後は 「不二の空間論と芸術」 「依正不二の人間と芸術」 「色心不二の人間と芸術」などの視点から不二の空間性と芸術について考察したい。
第3節では「相即の時間論と芸術」と題し、芸術作品の持つ時間性について、仏教における相即の概念から考察していきたいと思う。次に「冥合の時空間論と芸術」という視点から因果異時の時空間という観点で芸術を考えてみたい。最後に芸術を「生命次元の芸術」といった観点で生命と芸術の関りを因果具時の仏教観より考察してわたしの芸術論序説としたい。ついでに次の二つの章を追加しておきたい。
それは 「宗真流茶華道の各百ヵ条」と小説『清翠庵 水谷直彗』の二章である。宗真流とは、私の創設したい新しい流派の名称である。また水谷直彗は本名を水谷はるといい筆者の母である。母といっても産みの母であり、妹夫婦に私を子供として育てさせたのである。
 水谷はるは、浅草花川戸の呉服屋の三人姉妹の次女である。古流儀で教授になり、独立して宗真古流の宗家になった。また茶道でも表千家の教授にまでなった人である。
一度は結婚し、娘を一人授かったが、茶華道の道を究めたいと家族を捨て、生涯を芸術に捧げた孤高の女性である。
 芸術とは、それほどまでに魅力ある世界なのだろうか。筆者も決して嫌いではないが、そこまで思い込めるとは思えないのである。
巷にある芸術論の大半は西洋人のものである。したがって思考の行き着くところに神がいる。仏教には美論から入っても仏に行き着くことは無い。当然これは人間と自然の関係論が起因として存在しているからだろう。西洋人と東洋人の美意識の違いは、自然観の違いによる。これは仏法の不二論を知らないと違いが見えてこないだろう。
神が創造した自然は、神に近づくことによって自然の本質が見えてきて、最後はその自然を征服できると思っている。仏法では人間と自然は依正不二の存在として把握するので自然は人間を知ることによって自然の本質が見えてくると考える。共存、共生の自然観でもある。この違いが芸術に対する思考、美意識の違いになっている。
物理学者や数学者が感じる美は、調和と対称性と単純さであると言いう。+-、÷×というように記号においても対称性があるが、=には対称となる記号が存在しない。現実とはこんなもんだろうが、それでもオイラーの公式やアインシュタインの公式に美を感じるのも事実である。
また究極の美に対し究極の醜をも定義しないと美の定義が成り立たないのではないかと思う。ところが究極の美を唱えながら対極の醜を定義しない芸術論が多すぎる。そして究極の美は最後には神となって結論としてしまうのでスッキリしないのである。
日本の辞典の多くは鑑賞的価値、美的表現、美の追求と記述されているが、神に対する記述がないので気が楽である。
広辞苑【芸術】鑑賞的価値を創出する人間の活動およびその所産。
大辞泉【芸術】美を追求・表現しようとする人間の活動、およびその作品。
新明解国語辞典【芸術】人生の哀歓等を美的表現にまで高めた人間の活動とその作品。
ただ芸術作品なり所産なりを価値評価したがるのは、芸術が芸術としての価値より経済的価値に評価が置かれていくからではないだろうか。というのも芸術がどんなに気取った言い訳をしても絶待基準がないのに格付けをして権威づけたいことが見え見えなのである。そして最後に、神の領域にまで達するという確認の出来ない格付けを持ち出してしまうのである。
芸術家が自ら芸術論を語らないのは、自分の作品が神の領域に達していると確信できないからだろう。多くは哲学者か評論家か文学者である。
歴史に残る偉大な芸術家が必ずしも偉大な人間であるとは限らないのが現実であろう。この偉大なという言葉の意味をどのように定義しようと勝手だが、それぞれがその定義に即して芸術家やその道の大家に当てはめて見て、誰もが納得できる人物がどれだけいるだろうか。
そしてこう言うだろう。出来上がった作品こそが芸術なのだと。しかし近年の芸術に対する考えは作品というよりその人間行動を含めて言うような傾向にある。したがってスポーツも芸術であると。
先ほどの辞典にあるように人の心に共感を呼び起こすに至った人間活動及びその所産となる。(大辞苑【芸術】)日本国語大辞典は【芸術】「鑑賞の対象となるものを人為的に創造する技術」とある。
またブリタニカ国際大百科事典【芸術】には「本来的には技術と同義で、ものを制作する技術能力をいったが、今日では他人と分かち合えるような美的な物体、環境、経験を作り出す人間の創造活動、あるいはその活動による成果」とある。このように作品に限定しないほうが、芸術を語りやすくなったのも時代の所産なのだろう。
ただ人間活動及びその所産だけなら日常生活そのものであり、家庭の主婦の活動と所産は芸術となってしまうが、そこに美的価値を創造・表現とか鑑賞の対象とか鑑賞者の心に共感を喚起するといった条件を付加して、芸術は日常生活と違うことをもっともらしく強調している。
さらに芸術の定義から精神活動を意図的に排除しながら、鑑賞者には共感という精神活動を強いる。これが現代の芸術に対する基本的な思考態度なのである。
人々に共感を喚起するだけなら家庭の主婦や年寄りの智恵と行動も結構芸術的である。また、美を価値基準にしてはならないという私の主張(価値論序説を参照)から見ればどの定義も似たり寄ったりである。
さらに美の創造・表現だけでなく人間性を高めたり、高尚な精神といった表現にもあいまいさだけが残る。所詮、人間とは何かに対する答えの無いところにその原因があるのだろう。高低浅深、上中下、大中小、究極といった言葉に虚しさを感じないのだろうか。
感動するものは美か芸術か。感動しないものには美も芸術もないのか。また究極の美は、究極の醜を必要とする。究極の醜をも定義しなくては究極の美の定義は成立しないことになる。
究極の価値など存在しないというのが私の主張である。どうして人間は究極を求めるのだろうか。人間の不完全性が成せる性と言えるのかもしれない。芸術が鑑賞者に共感と感動を与えるものなら美醜に拘る必要などないのではないだろうか。
美学の祖と言われるプラトン以来、本源の美、本質としての美への問いは、一つの究極的実在への問いかけとして扱われてきたといえる。しかし、本源とはなんの、どんな本源を指すというのだろうか。本質としての美とか、美が究極的実在として美単独で存在するとでも言うのだろうか。じつに奇妙で無理やりの感をいなめない。
プラトンは言う「真に純粋な美とは知的な直感によってのみ捉えられる、感覚世界を超えた、存在のイデアそのものである。感覚世界で感じる美も、この美のイデアの反映に過ぎない」と。
まるで古代インド哲学のようである。古代のインド哲学は、人間と世界、宇宙の根源へと思考を深める過程で、素朴な人格的神々を超えた実在(我)を人間の内面と宇宙の根本に想定することになった。我という根本原理が存在し、人々はヴェーダの祭式を行なうことによって自己の内面に「聖なる我」を確立して行くことができると。
感覚世界を超えた、存在のイデアそのものという表現と、我という根本原理の存在という表現の共通した誤りは、根本原理が常住不変で実体化された固定の存在とするところである。仏教はすべての存在はそれ自体として不変の実体ではなく、瞬間、瞬間に生起を繰り返すという「縁起」の理論から、無我説を説いたのである。
すなわち固定的な実体はないという仏教の無我説からみれば、究極の美や存在のイデアも固定的な実体ではないということになる。したがって芸術活動やヴェーダの祭式からは、感覚世界を超えた存在のイデアを捉えることも聖なる我の確立もできないということになる。あまりに美を意識する故に、感覚を超えてでも存在してほしいという人間の空しい叫びが聞こえて来そうな思いがする。
無我という語は特に「諸法無我」としてしばしば使われるが、この場合の諸法はすべての事物・事象を現し、諸法無我はすべての事物・事象に固定的実体はないという意味なのである。
よく無我の境地になって作った作品しか人に感動を与えることは出来ないという人がいるが、無我の意味を勘違いしているのだろう。ちなみに仏典では「無我の境地」という言葉はない。
芸術の価値が美にあると思うことがそもそも間違いなのである。なぜ西洋人はこれほど美に拘るのだろうか。
女性の画家がいたとしよう。その画家は男性の裸を美しいと思って描くだろうか。美しい女性とはいっても美しい男性とはあまり言わない。かりに男性に対し美しいと感じたとき、この男性の美から美たらしめている本源の美を意識するだろうか。
「芸術は自然を模倣する」とアリストテレスが言った。けれども自然に内包する美の本源までも模倣したといえるだろうか。また本源の美を模倣することが出来ると思っているのだろうか。そしてこの場合の本源とは何を持って本源と言うのかまったく不明である。そして不明だから神の属性にしてしまうことになる。
自然の風景を見ながら醜いと思うことはあるのだろうか。本源の美が存在するなら、本源の醜も存在してもいいことになる。したがって、当然のことながら自然のなかに内包する醜を問題にしても好いことになる。
けれども芸術が美的価値の創造だと決めつけることによって、醜を除く自然の一部を模倣しているにすぎないことになってしまっている。カント流の価値論に拘るとそれこそ芸術の価値を見失うことになってしまうのではないだろうか。
自然や人間を創造したのが神であると言うと、それは神を敬っているようでいて、返って神を馬鹿にしている発言のように思えるのである。なんのための創造なのか。その目的、なんのためが明確に語れないからである。
この上目線の発言は、絶対者を利用しようとする人間の傲慢さがにじみ出ているのである。神にしろ、仏にしろ、仮に人間や自然を創造したにしても「どうだ、すごいだろう。尊敬しろ」などと思わないだろう。
むしろどうでもいいことである。必要に応じて創造しただけであろう。創造主の都合であって造られた側の都合ではない。もちろん私は、人間や自然を神や仏が創造したなどとは思っていない。
人間を含めた自然、森羅万象にはそれぞれに持って生まれた特質や才能あるいは特徴的な現象を有して存在する。
一木一草、菩薩の出現でないものはないという仏法の発想から見れば、それぞれが、それなりの理由と特質をもって出現していることになる。
その人間もまた人間としての特質とともに個々の人間の持って生まれた特質、才能をもって出現したことになる。その意味において人間と自然はまったく対等の立場にある。
天賦の才という言葉があるが、修行や修練によって身につく才に対し、生まれながらに持っている特殊な能力、才能の溢れた人もいる。人はこの人を天才ともいう。
天才について私なりに定義しておこうと思う。天才的と天才の違いは99パーセントの努力と才能で支えられているかである。すなわち天才的な人は99パーセントの努力と1パーセントの才能で成れる。けれども天才は、1パーセントの努力と99パーセントの才能が必要なのである。
技術者、芸術家、スポーツ選手といった各分野で名を残す人がいるが、ほとんどが天才的な人であっても天才ではないと言うのが私の感想である。これはいまあげた三者以外にもオタク、研究者、学者、経営者でも一流と呼ばれた人にも当てはまる。そこで私の天才という言葉の定義を5点あげてみることにしよう。
1、天才は自らが天才であることに気付かない。
2、天才は一般常識と自分の常識が異なることを理解している。
3、天才はあらゆる分野に旺盛な好奇心を持っていて専門をもたない。
4、天才は多くの知識の引き出しを持ち、必要な時に必要な情報を取り出せる(記憶力ではなく機縁に応じられる)人である。
5、天才は人間や自然に対し征服欲よりも優しさが具備されている。
自分を天才と言う人に天才はいない。他人や自然に対し謙虚で傲慢に為らず、優しさを持っている。そこで読者は、思う。「そんな人間はいないんじゃないか」と。
私は、結構いると思っている。そんな人が。いたらそれは神様か仏様ではないのと言うかもしれないが、結構人間の世界にもそんな人がいると思う。
なぜ天才について考えるのかという、仏法に修性不二という法理がある。詳しくは後述するが、生まれながらに具備するものと、生まれてから修得したものが不二であるという法理である。もちろんこれは才能といった人間の持つ不共業に対する法理ではないが発想的に近く、引用し易いので使わせていただくことにした。
芸術論を単なる美論や美的価値論にしたくないので、私なりに仮りの定義をしておきたいと思う。すなわち「芸術とは価値を創造する人間の表現行為の一つであり、美の発見とか美の創造とかは表面化した結果の一部に過ぎない」というのがわたくし流の仮の定義である。
また芸術は発見であるという人がいるが、芸術は発見ではないだろう。芸術を発見とすると既存が前提になるからで、それではあらたな創造を生んだとはいえないだろう。芸術に真理と同等の価値を見ようとするところからくる誤りと言える。すなわち芸術の価値を高めることによって真理へとさらに神へと到達すると思いたいからだろう。
美の発見と言うと大抵の場合、再発見の意味を持つことが多いと思う。いままで美の対象ではなかった事柄が、芸術家によって再構成されることで起こる事象のことだろうと思う。
美の対象にしなかっただけである。その意味において美はあらゆる事柄に内包されていると言えるだろう。と同時に醜も内包されている訳で、ことさら美を讃嘆する理由にはならないのである。
さらに新たなる価値創造は新たなる発見と視点を生むことになるが、これは何も芸術にかぎったことではないのである。
価値創造は、真理という発見によってのみ知ることになる受動的価値とは異なり、人間の行為によって生み出すことが出来る能動的価値といえる。
美を真理にまで高めたいという西洋人の発想は理解できるが、これでは内在するもの、自己完結性、自身への問いかけがない。
むしろ芸術作品は題材が世(外)界であってもそれを自身のうちに取り込み吸収し止揚していく過程で作り上げていくものではないだろうか。もちろん芸術はそうであるという人もいるが、それ故に究極や神を持ち出したのでは、人間の技でも人間による人間のための人間の価値創造の行為でもなくなってしまう。
極端な価値づけはして欲しくないと私は考える。若きゲーテが「芸術の本質が個性的自我の内面から出てくる創造にある」と言い「真の芸術は美であるよりも精神の性格的表現である」という主張は本質をついている発言だと思う。つまり芸術の価値を美に置き、美に拘ることは間違いだと。
ただそのゲーテをもってしても「優れた芸術品は同時に最高の自然の所産として、真の自然法則にしたがいつつ人間に生産された」とし、優れた芸術作品というものは、人間が生産することが出来る自然の真理であるとまでいうのも西洋人だからだろうと感じる。
ゲーテがもし仏法に巡り合っていれば違った見解を述べたと思う。優れた芸術作品は、神の所産でも自然の所産でもなく、人間の手で作り上げた人間の為の所産なのである。
芸術は自然を模倣するといっても、芸術作品を自然の真理にまで高める必要も理由もないのである。神が創造した自然を理解したいという思い。その自然の本質を芸術によって解き明かし、表現することによって自然を征服したような気になるのは、明らかに傲慢な人の発想である。
仏法を持ち出すまでもなく人間も自然の一部であって、謙虚な人なら自然理解は人間理解でもあると思うだろう。その人間に対しどれほど人間を理解したと言えるだろうかと自問することだろう。
もちろん私も芸術と言われる多くの作品を鑑賞して、そこに美を感じるのである。感動も共感もする。しかしこれは人間の持っている感性であって、けっして、美が特別な存在だからではないのである。仏法の生命論的に言えば縁覚の生命状態が起こす感性なのである。
したがって直観とか無意識が美の本質を感じ取るわけではない。自然と人間の関係を仏法では依正不二の原理で明かしている。自然の美しさを感じる人間生命の不思議さは、自然に内在する本源的な美を感じているわけではないのである。自然を依報とし人間を正報としたとき、この依正は不二の存在として実在すると説かれている。
何事であっても美しいと感じるのはその人の独自の感性であって、他の人が美しいと感じるとは限らない。
女性の美も時代によって大きく異なるのもその故だろう。小野小町や楊貴妃やクレオパトラが現代に出現しても美人であるとどのくらいの人々が思うかわからない。
ヴィーナスだって旧石器時代のヴィーナスは、ヴィレンドルフにある石造りの小さな立像である。手のひらに収まるほどの大きさで、巨乳で太った体系である。調和と均整のとれたギリシャの石像のヴィーナスとはまるで異なっている。
また脳内で「記憶との照合」などの情報処理することによって感動は生じるなどと言う人もいるらしい。経験や体験がないと人は感動出来ないというのだろうか。スポーツの訓練や経験がなくとも人は感動したりできるのである。子供を産んだ事の無い女性は子供との関係で生じる感動は理解出来ないと断定しているかのようである。
感動が人間の脳内に起きる情報処理の結果がもたらすものと思うのは、情報処理という能力が、人間の知的所産であり、人間にだけ与えられた特権だと思うからだろう。
この人は、親子のコミュニケーション・ギャップも、情報不足が原因だと思っているのだろうと思う。外の世界との情報交換と内部における情報処理の作業は、生きるために必要な最小限の情報量でこと足りる。
これは人間であれ動物であれ同様であるが、得てして人間は、過剰な情報を得てしまうことがある。処理も整理も出来ない情報過多は、感動どころかコミュニケーション能力を減殺することもあるということである。
神を最後に引き出さない日本人の芸術観は、日本人特有の単純さと調和の精神に富んでいて魅力的であると言える。日本の芸術は道思想とも言えるのだろう。日本における「道」思想は、西洋流の芸術観より分かりやすいと言える。
道は人道ではなくルールだと思えば納得できることだろう。技術や芸術といった技芸の術を習得するためには大変な努力と修練が必要だろう。その過程で人間の生き方や人間とはといった問いかけもあったことだと思う。けれどもそれは、その人が感じた事柄であって、決して人の道を悟ったというものではない。
ましておや仏道に至るものでも無いことは自明の理なのである。「道」を究めることと仏法で説く仏になることとは違うことも承知なのである。もっともこの点を混同させたのが茶道における禅宗の僧侶の可笑しなところであり、罪なところである。
「道」の付くものに茶道、華道、書道、香道、剣道、柔道から芸道、武士道と様々あるが、「道」がつかなくても舞踏、陶芸、盆石、写真、絵画、書画、彫刻のほかに音楽、演劇、デザイン、建築等々、芸術と言われる多くの文化がある。それぞれ価値あるものだと思う。日本人はなぜこれらに“道”を付けたがるのだろうか。
生命境涯を表す十界に縁覚界がある。芸術家の生命の傾向がこの縁覚の衆生に似ていると言われている。
縁覚の衆生の悟りを一切智という。自然の事物事象などの理のすべてを悟った境涯と言われているが、法華経に至るまで成仏の記別が受けられなかった衆生である。その理由は利己心で自己中な性格のため、悟りを利他に活かすことなく自分だけが早く仏道に入りたいと考えているような衆生であったからである。
悟りをまったく他にオープンしないで一人悦に浸っているのも問題だが、逆に一切智の悟りをさも仏の悟りの如く吹聴したり、得意げにひけらかしたり、もったいぶって語って、さも奥義が存在するかのように匂わしたりしながら、やがてそれを金儲けに理由するなど言語道断である。
技芸に宗教的精神性を付与するのに利用したのが「禅宗」である。禅宗に「教外別伝」という言葉がある。「不立文字」とならんで禅宗にとって意味ある言葉であるが、これが間違いの元凶なのである。このことは第一節の章で述べる。
芸術論についていろいろ考えてみたのだが、どうにも困っている。というのも仏教において芸術に関する記述がまったく見当たらないのである。美については幾つかあるが、これは芸術的に美しいという意味で使ってはいないのである。
芸術に関連するようないくつかの仏教用語をこじつけてみる以外にないのが現状である。それではキリスト教はどうかというと大して変わらないようである。それなのに西洋においてなぜこれほど美学や美的価値、美哲学などがあるのだろうか。
東洋人と西洋人の美的意識の違いはどこにあるのかのほうが、興味が涌く。自然観の違いだけでは説明がつかないかもしれない。東洋美術に裸の女はあまりいないように思うが、西洋人はなんであんなに女の裸を描くのか理解できない。ただの男の煩悩がそのまま美術・芸術という隠れ蓑を羽織っているような気さえする。女の裸と自然は何の関係もないと思うからである。
女の裸の絵を見て感動したことがないのである。感動こそ芸術の根幹なら私にとって女の裸の絵は芸術ではなくなる。ちなみに一言言っておくが、私はゲイではない。また感動とは人間の行動やとりまく環境のすべてに存在するだろう。そうなるとなんでも芸術に成りうることにもなるし、場合によっては日常生活そのものが芸術となりうることになる。
さらに人生そのものが芸術作品にもなりうるだろう。私の恩師が私に「真の信仰者とは、自身の人生を自身の手で創造しゆく人のことだよ」と言われたことがある。
ハイデガーが「哲学の根源には感動がある。どんな知識を持っていても哲学の概念によって感動させられていなければ、すべて誤解に留まる」というが、この場合の感動と芸術の感動とどう違うのか。それとも哲学或いは、概念もまた芸術なのだろうか。
過日のブラジル・ワールドカップの決勝戦を観戦(テレビで)して私は感動した。メッシ、ゲッツェその他の選手たちの動きと表情が私を感動させた。名画を鑑賞していて、その色使い、色の置き加減、構成、筆の跡など「これ以外ない」と思うことがある。
サッカーもそうだった。ゲッツェのボレー、メッシのFK,ドイツ選手の流血どれをとっても「これ以外はない」という思いが涌いた。だから感動した。つまらない屁理屈も権威もいらない。
究極の美など存在しない。究極などという固定的な実体など存在しない。これを無我という。その上で私は、私にとっての芸術を考察することにした。私にとっての大我である。
もちろんこの大我も竜樹が批判した我ではなく、世親の我である。世親は「大義とは、一切衆生を利益するが故なり。大我とは、一切衆生を以て自己となすが故なり」と述べている。
ここでいう「大我」は「大」すなわち、一切衆生を「我」、自分とする利他の精神に外ならない。その利他の精神こそが真実の自己であるというのが大乗仏教の主張であった。詳しくは後章で述べる。
法の高低浅深を六感になぞらえて語れていたとしても、あくまでも法の高低浅深を表現したいからである。したがって、六感より技芸が生まれたとしても技芸から法の偉大さを悟れることはない。人間に分かりやすく説くための手段が、いつのまにか「道」となり道を究めることが目的になっていく。
無常とはたゆまず変動しゆく流動的な生き様にこそ希望を見いだせる革新性があると解釈できることが大乗仏法の神髄でもあるのに、いつのまにか無常が、侘しかったり寂しかったり虚しかったりする意味となるのは、縁起説や死の恐怖心からくる誤解釈である。
無常の虎という喩えがある。無常の恐ろしさを虎に譬えたもので、大智度論巻十九には、虎の近くにいる羊はいくら豊富な餌があっても太らないとの譬えである。真に無常の恐ろしさ、死を知れば愛欲や煩悩を生じないことを教えているのだが、なんとも程度の低い例え話である。
食欲が、単に死にたくないという欲望に変わっただけである。世界を平和にしたいという思いがあれば、その他の欲望はすべて消えうせるとでもいうのだろうか。人は必ず死を迎える。だから無常は恐怖となるなどという無常観を持ち出して恐怖心を煽ったり、より大きな目的をもてば、その他のことは、克服できると悟ったように説教する坊主もいる。その姿の方が私には寂しく、虚しくなる。
虚が嘘、虚しいといった使いかたになったのは何故なのだろうか。虚実とは実教と実教でない教えという意味だが、嘘の教えという意味ではない。
虚妄(方便)も嘘という意味ではない。華厳経から法華経の安楽行品までの迹門は心法覚知・心法即身成仏を説くのみで真如実相ではないから虚妄の経というのである。
芸術とは、死の恐怖を乗り越えるためでも、無我の境地を経験するためでも、神の存在証明のためでもない。人間がその存在を必要とした一つの表現手段なのである。
したがって私は、芸術論序説とはいっても芸術作品について一つづつ評価する気はまったくない。作品の価値は、それぞれの立場でそれぞれがなんらかの意図をもってなされるものだろうが、その時に円融の価値体系を参考にして欲しいものである。円融の価値体系については価値論序説を参考にしてほしい。
「人生という芸術作品を自らの手で創作することこそ真の価値創造である」これが芸術論序説のメインテーマである
序文の最後に一言。「がんばれ現代芸術。美に基準などありはしない。自分の感性を信じて大我に生きろ!」と。





芸術論序説 第一節

第1節 人間の文化と芸術の役割
第1章 西洋美術と神
第2章 東洋美術と仏
第3章 日本の文化芸術
第4章 仏教と芸術
第5章 直観と智慧
第6章 仏教の意識観



第1章 西洋美術と神

ルネサンスとは「再生」「復興」の意味で、一般的には、14世紀 - 16世紀にイタリアを中心に西欧で興った古典(古代の文化)を復興しようとする歴史的文化革命あるいは運動をいう。
キリスト教が西欧に広まると、異教であるローマ・ギリシャ文化は厳しく取り締まられることになった。しかし、十字軍の遠征などによって、古代ギリシャ文明を知ることになり大きな衝撃を受けて始まったのがルネサンスである。
ルネサンスはイタリア(フィレンツェ、ローマ、ミラノ、ヴェネツィアなどの都市部)が中心となって始まり、その後西欧諸国にも広まっていった。(イタリアルネサンス以外の西欧で興ったものを北方ルネサンスとも言われている)
学芸を愛好し、芸術家たちを育てたパトロンとして、フィレンツェのメディチ家が最も有名である。また、ルネサンスの3大巨匠として挙げられる、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどは、美術史の中でも偉大な存在としてよく知る芸術家である。
ルネサンス期の芸術論は、芸術を自由な人間精神の営為として、その独自の発展を基礎づけたといえる。もちろん芸術の課題は、自然の模倣にあると考えていたのだが、さらに芸術は「第二の自然」としての位置を確保し、その意味で自然と競うことになったのである。
そして単に自然の模写するのではなく自然の創造法則に従った模倣が求められたのである。また、比例や調和に基づいた自然の美化などは、古代美学思想の復活がみとめられると言われている。
ルネサンス美術は、初期、盛期、後期と区分がされているが、これは専門家の作品に対する学術的区分であって私の芸術論にはなんの関係もない。
自由な人間の行為が芸術であるとするのはいいが、これは、それほどキリスト教会の圧力があったのだろうと推測できる。
また、第二の自然がなぜ自然と対立したり、競わなくてはいけないのかが疑問である。自然を創った神を理解したいのか、神を支配したいのか、いずれにして対立したり、競う必要などないように思えるのだが、なぜ、そこまでする必要を感じてしまったのだろうか。
いずれにしてもルネサンス期以後は、啓蒙主義が芸術に大きな役割を果たすことになった。「啓蒙」とは無知や迷信などの蒙昧さを光によって取り除くことを意味している。
歴史的用語としての啓蒙思想とは、ヨーロッパ諸国において、十七世紀の後半から十八世紀にわたって展開された思潮を意味している。
この時代はイギリスのピューリタン革命および名誉革命、そしてフランス革命へと至る市民革命の時代でもある。 
啓蒙思想は、非合理なものや呪術的なものを批判する理性主義・合理主義の主張とともに、封建的権威から社会を解放しようとする政治的自由という市民革命をもたらしたといえる。
イギリスではロックが、経験主義的思想における認識論において、感覚・反省を基礎とする合理的な認識の在り方を追求し、さらに宗教論では宗教的寛容の立場を明らかにするとともに、キリスト教の合理性を示したりもした。
この合理主義的な宗教の考えは、トーランドの「キリスト教は神秘的ならず」という理神論の主張へと発展するのである。
ヒュームは経験論を推し進めた結果、合理論がまだ持っていた実体を否定して懐疑論へと至るのである。そんな啓蒙思想がフランスに移入されると、社会変革を推進する力となっていくのである。
フランスの啓蒙思想はヴォルテールおよびモンテスキューに始まり、百科全書派の人々に受け継がれていった。ヴォルテールは普遍的な人間性を主張し、社会も倫理的な秩序を持つと考えた。また宗教的狂信を告発した「カラス事件」も有名である。
モンテスキューは三権分立の主張をし、その後百科全書派のディドロ、ダランベール、コンディヤック、エルヴェシウスらが、感覚論、科学主義、唯物論などの立場によって、宗教・政治・社会への批判を行い、フランス革命に大きな影響を及ぼしていったのである。
また、独自な人間主義的観点から社会批判や宗教批判を行い、革命に影響を与えた思想家にルソーがいる。ルソーは啓蒙思想と共通する問題をもっていたが、学問的進歩は必ずしも人間を高めるものではなく、むしろ虚栄や贅沢を生み出し、人間の自然性を抹殺してしまうと警告した。
ドイツでは、啓蒙思想による政治的影響は少なかったが、文学、芸術、哲学の面で大きな実りをもたらし、レッシング、ヘルダー、ゲーテ、シラー、カントといった人々を輩出した。 
カントは啓蒙思想の大成者であり、イギリスおよびフランスの啓蒙思想の成果を批判的に摂取して、自己の哲学体系を完成させた。認識論における理性批判の展開、道徳論における自律の強調、宗教論における道徳的信仰の主張など、いずれも啓蒙思想の哲学的完成を示している。
こうしたヨーロッパの啓蒙思想は、日本の幕末から明治初年代にかけて洋学者を通じて紹介された。福沢諭吉、中江兆民、西周といった人々は啓蒙思想の紹介とその日本的展開を思索した人たちであった。
また、福沢や西のほか、津田真道、加藤弘之、森有礼らの洋学者が明治六年に設立した「明六社」の言論運動も忘れることはできない。
ルソーに関して一言述べておきたい。ルソーは、フランスの思想家、文学者、音楽家でもある。生い立ちは略すが、三十歳からパリに住み、翌年に「近代音楽論」を出版。オペラの作曲も手がけ、音楽家としてデビューした。
七年後には、ディジョンのアカデミーに投稿した懸賞論文「学問芸術論」が当選、その五年後には第二の懸賞論文「人間不平等起源論」を発表して一躍社会思想家として注目を浴びた。
後に発刊した長編小説「新エロイーズ」は空前のベストセラーとなるが、翌年の「社会契約論」および「エミール」における政治思想や宗教論がもとで高等法院から有罪宣告を受けてしまった。
以後、政府による迫害とそれに起因するノイローゼに苦しみながらも、自伝「告白」、「ルソー、ジャン・ジャックを裁く―対話」を完成させている。そして「孤独な散歩者の夢想」を未完のまま、パリ近郊のエルムノンヴィルにて66歳の生涯を閉じた。
ルソーの思想は一貫して「人間の自由」の追求と、自由を損なう悪の告発に向けられていたが、彼の思想の中でとくに芸術に関する事柄を見てみようと思う。
まず人間の存在から一切の人為的なものを削ぎ落とした「自然状態」を設定する。それは人が自己愛と同情を根本に、平和で幸福に生きている状態であると仮定した。何故だかは不明だが、この状態を人間の自然状態だと思ったらしい。
しかしこの理想状態は、私有財産制の出現によって人々の間に競争を生みだし、戦争状態へと堕落する。理想といってこんなものなのか。
そこで人々はお互いの財産を守るために、個々人が一切の権利を共同体(政府)に譲渡するかわりに各自が自由と平等を確保するという「社会契約」を結ぶと考えたのである。
教育思想の分野では、のちのカントやペスタロッチの近代教育理論の前哨となり、文学においては清新で叙情的な自然描写によってロマン主義時代の到来をもたらしたのである。
ロマン主義の歴史的時代は、十八世紀末から十九世紀半ばである。全ヨーロッパ的に展開された、文学・芸術上の思潮を指しているのだが、ロマン主義という言葉の語源は、中世の物語をさすロマンスに由来している。
秩序や形式を重んじる古典主義に対して情緒や個性をたたえ、直観、自然、中世、天才、愛などを主題に掲げた主義である。
その先駆としてはルソーの「新エロイーズ」や「告白」、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」といった文学が挙げられるが、ロマン主義を決定的な形で打ち出したのはティークやノヴァーリス、シュレーゲル兄弟に代表されるドイツ・ロマン派の人々である。
彼らは、フィヒテの自我の哲学やシェリングの自然哲学といったドイツ観念論の影響の下、自我の内面的活動に目を向け、絶対者や無限的なものへの憧憬を唱えたのである。
イギリスにおいては、ドイツ観念論の影響を受けたコールリッジが創造力重視の芸術理論を唱え、彼とワーズワースが共同で「叙情小曲集」を発表するに至ってロマン主義が確立されたと言われている。
バイロン、シェリー、キーツ等の詩人が活躍したほか、ゲーテと親交をもち、「英雄崇拝論」を書いたカーライルなどがいる。また歴史小説を書いたW・スコットはその後のヨーロッパ文学(ユゴー、ディケンズ、トルストイ等)に多大な影響を与えたという。
フランスでは古典主義の伝統が強かったためロマン主義の流行に時を要したが、シャトーブリアンの「アタラ」やスタール夫人の「ドイツ論」の影響のもと、ラマルチーヌの「瞑想詩集」とユゴーの「エルナニ」によってロマン派の主導が決定的となった。
その他、イタリアのマンツォーニ、ロシアのプーシキンやレールモントフ、ポーランドのミツキェヴィッチ、アメリカのエマソンやソロー、ホイットマン等がそれぞれの国のロマン主義を代表している。
音楽界にあってもそれまでの職業人としての音楽家が創作する宮廷や教会音楽に対し、ロマン主義音楽を目指したのがベートーベンである。簡単に言えば音楽を芸術にまで高めたという意味で偉大な人であるといえる。
このようにロマン主義は半世紀以上にわたって欧米の文学・芸術を方向づけ、その性格も時代と国によって様々であるが、いずれも近代国家の形成時に愛国運動の一環としての役割を担った点においては共通しているといえる。
一方、日本の明治期の文学はヨーロッパのロマン主義の影響を強く受けた。明治二十年代後半から三十年代にかけ、「文学界」において北村透谷、島崎藤村などが自意識や恋愛感情を率直に表現していったのである。
三十年代から四十年代にかけて与謝野鉄幹の主宰した雑誌「明星」は、与謝野晶子をはじめとする多くの華やかなロマン主義的な詩歌を発表した。
そのほか「スバル」、「三田文学」などの永井荷風、谷崎潤一郎、佐藤春夫などには耽美的なロマン主義がみられる。しかし日本のロマン主義は欧米のそれとは異なり、社会運動への力、愛国運動への力とはなりえなかったのである。日本人と西洋人の国民性の違いによる芸術とのかかわり方、捉え方がかなり異なるのだろうと感じる。
 ルネサンス期から啓蒙主義、さらにロマン主義へと思想的変遷があったのに、キリスト教を非合理な宗教とせず、理神論まで持ち出してしまう。
なぜ、神を捨てることができないのだろうか。そしてなぜこれほどまでに美に拘り続けるのだろうか。芸術以外の政治、経済、哲学、社会思想においては合理主義、自由主義を唱え、人間と自然と自由を叫びながら、なぜ美に関しては神の束縛から逃れられなかったのだろうか。西洋における自然観にその原因を見る以外ないようにさえ思える。
さらに言えば「人間とは」という問いかけも神の束縛から脱しえなかったところに原因があったのだろう。
市民革命の真っただ中でその不安と行き詰まり感が漂う中、芸術家がロマンに向かってしまったのもやはり自然観と人間観の二点において神を捨てられなかったという一点にその因は集約されているように思える。
 美的感情と芸術自体の捉え方も人間の持つ表現の自由という欲求能力の範疇で把握することが、神への冒涜とさえ思っているかのようである。
カントの「美の分析論」における「関心」「無関心」「満足」「表象」「対象」「実在」などという言葉にしても一体どの作品を見て言っているのだろうかと思ってしまう。
 作品を制作しているのは人間であって神ではない。美的領域などという架空の時空の設定をしたりして、芸術を超越論的に固定しようとしても、その具体的な作品のイメージが浮かんでこないのではないだろうか。
美とか美的とか芸術あるいは芸術的なものといっても、芸術が主観的で衝動的な諸成分で構成されていることを否定することはできないだろう。
 フィヒテの自我の哲学やシェリングの自然哲学といったドイツ観念論の影響を受け、自我の内面的活動に目を向けながら、神や絶対者あるいは無限的なものへの憧憬をもって芸術と関連づけてしまうのは、如何ともし難いのだろう。
合理主義からドイツ観念論に、そして生の哲学へと時代は変わり主張の変遷はあったものの、神あるいは絶対者を人間と分離あるいは統一することはできなかったといえる。
彼らがまず、しなくてはならなかったこと、考えなくてはならなかったことは、存在と認識の統一ではなく分離され続けてきた神と人間の統一ではなかったのだろうか。そして仏法はそれを見事に成し遂げた唯一の思想・哲学であるといえる。
何か不明な事柄にぶつかると「神のご意志」「御心のまま」「天の采配」「神の試練」「直観知」「絶対美」「神的」「真理の開示」「神の属性」等々で、はぐらかしてしまう。
「人間とは」という問いに対する答えのないことが原因なのだろう。芸術論に限らず西洋哲学そのものの限界といえる。神にはなれない、神を超えることはできないという人間が、人間以外に絶対基準を設定してしまう。
創造者と創造されたものの違いがあるのなら芸術もまた同様の限界があるということなのだろう。これが西洋合理主義の限界ともいえる。
合理主義とは、知識の源泉として感覚的経験よりも理性を重視する立場である。さらに理性により人間の生活をコントロールすることができ、人類はよい方向に進歩することができるという意味で、理性の役割を強調している。十九世紀にはヘーゲルにより合理論は観念論と結合し、ドイツ観念論として展開した。
ヘーゲルは、理性的なものは現実的なものであり、逆に現実的なものは理性的なものであるとして、理性と現実の同一性を主張し、心の要素としての主観的理性と事物の構成原理である客観的理性の絶対的同一性を主張した。
だがこのドイツ観念論は理性を重視しているが、理性を重視すると同時にその理性の限界を示したカントとは異なり、想像力による理性の恣意的な展開とも見なすことができ、その意味ではもはや合理主義ではなく、想像力や感情を重視するロマン主義であるとされることも多い。
十九世紀後半から二十世紀前半にかけてヨーロッパで展開された一連の哲学の総称を「生の哲学」という。
近代科学の発達に影響された実証主義や唯物主義に対するアンチテーゼとして登場し、合理主義・要素還元主義的思考によっては捉えられない全体的な生の動きを把握しようとしたのである。
その直接的な先駆者としては、カントの影響下にありつつも生の非合理性に着目したドイツのショーペンハウアーが挙げられる。ショーペンハウアーの哲学的立場は、カントを継承して現象と物自体とを区別し、世界をこの二重性から解釈するものである。
議論の要となるのは「身体」である。身体は、現象としては我々の主観に与えられる「表象」であるが、それ自体としては我々が直接に意識する意欲(食欲・性欲・征服欲など)である。それゆえ表象としての身体は、意欲が形態化したものと考えられるという。
この意欲を彼は「生への意志」と呼んだ。自然哲学に敷衍すれば、我々の意識に表象として与えられる世界も、実は生への意志の現れということになる。
また認識論に敷衍すれば、我々は身体を通してしか世界を認識できないのだから、我々の認識能力もすべて「生への意志」の支配下にあることになる。「生への意志」はひたすら生きようとする盲目的衝動であり、この衝動は決して満たされることがない以上、我々はつねに窮乏と苦悩に付きまとわれ、世界はエゴイズムの競争の場となると警告する。
初期仏教のようである。そしてこの結論は灰身滅智(色身を焼いて灰にし、心智を滅失すること)となる。焚身灰智、無余灰断ともいう。小乗教において、煩悩を断じ尽くして身心を無に帰することにより、二乗の最高の果位で理想の境地である無余涅槃に入るとされた。
天台四教儀には「若し灰身滅智せば、無余涅槃と名づく」とある。一切の煩悩が生ずるよりどころとなる色心の両面を滅することによって生死の苦しみから逃れようとしたものである。満たされぬ衝動の発動の場である身体をなくす以外にないということになる。
けれども西洋人であるショーペンハウアーは、次のように展開する。「しかし自然美や芸術美に触れる美的経験(「観照」)や、他者の苦を自己の苦として共感する道徳的経験(「同情」)においては、我々の認識能力が「生への意志」から解放され、エゴイズムはみられない。この理想を体現させたのが古今東西の聖者たちで、彼らは自発的な禁欲によって「意志の否定」を行ったのである」と。
ショーペンハウアーのこうした思想は、十九世紀末にペシミズムとして全ヨーロッパ的な流行をみたほか、近代の理性中心主義に対するアンチテーゼとしてニーチェやジンメルの「生の哲学」へ道を開き、ウィトゲンシュタインやシェーラー、ホルクハイマーといった人々にも影響を及ぼして、二十世紀の思想的源流の一つとなっていったのである。
またショーペンハウアーがその著作の中で仏教等のインド思想を高く評価したことが、その後のドイツにおける東洋研究の原動力となったことは、特筆されてよいと思う。
「生の哲学」が一つの思潮としての形を取り始めたのは、十九世紀後半に活躍したニーチェからであり、彼はショーペンハウアーの「生への意志」を「力への意志」と読みかえ、生の本来的な豊穣性を謳いあげた。
またディルタイは、生を一瞬も停止することのない流動と解し、生の表出ないしは表現としての歴史・文化を理解する解釈学的方法を提唱した。
またオイケンは非有機的自然から「精神的生」へと進化していく一つの普遍的な精神的過程を主張し、ジンメルは「より以上の生」と「生より以上のもの」とを生みだす絶えざる超越作用のうちに生の本質をみた。
こうした思潮の頂点に立つのがフランスのベルクソンである。彼は生の真相を「純粋持続」と呼んだ。その持続の緊張が、弛緩した状態が物質であり、内的な「生の飛躍」によって世界の創造的進化が生じるとした。
またスペインのオルテガは人格の根底に存する生命力に注目し、生命が文化に奉仕するのではなく、文化が生命に奉仕すべきであると主張した。
このように「生の哲学」に属する哲学者は多く、その学説も様々であるが、生の静的理解に反対して動的理解を訴え、生の絶えざる自己超克を強調する点において共通している。
ドイツ観念論とは、認識と存在とを一つのものとして把握する立場であり、実在論に対する主張でもある。これは、絶対者と自我との統一を目指すものだが、自己の自己化は絶対者を介する必要はないというのが仏法の主張でもある。
主観と客観の根底に存在する絶対者という設定は、まず、根底の存在を前提にしなくてはならない。
仏法は主観(正法)と客観(依法)は、不二の存在と把握する。そこには仏といった絶対者は介入しない。さらに不二の概念は、不二の一元論でもないのである。仏法における自己の自己化は、否定でも肯定でもない。ゆえに否定の否定によって自己に還帰するのではなく、また知的直観によって絶対者の存在が把握、認識されるわけでもないという思想である。
その他の哲学者の主張も見てみよう。ゾルガー(1780-1819)【ゾルガーの美学】彼はロマン主義とアイロニーの理論家として知られている。芸術は一瞬にして神的存在の啓示を与える。
しかし人間は最高の啓示を受けるその瞬間において、芸術中に現れた理念が、神的な理念そのものの前では無に等しいことを諦観する。ゆえにすべての美は根源的な悲哀をたたえるのである。芸術作品は象徴として本質を表現するにすぎないよと
クローチェ(1866-1952)【クローチェの美学】美は芸術活動の精神的価値と考えられ、それは決して美しいものというような物理的事実ではない。自然の美と言っても、自然を見る人の側に芸術家の審美眼あるいは想像力が働かなければそれを美と受け取ることはできない。その意味ではむしろ「自然が芸術家を模倣する」のであると。
模倣とはある存在の在り方を模範として倣うこと、及びその結果生み出される模像関係と模像そのものであるといった意味となる。
模倣は機械によるコピーとは異なり行為者による身体的プロセスが重要となる。そこには模倣による学習がある。古代彫刻のデッサンは写しに主眼があるのではなく対象の捉え方を倣うものと。
ハイデガー(1889-1976)の芸術論(全ての芸術は、その本質において詩作である)。 本書は名高いハイデガーの芸術論だ。
この中で彼は、「あらゆる芸術の最高形式は詩である」という見解を宣言する。芸術とは、いわば「真理を開示させる」行為である。真理は本来的には包み隠されている。
芸術作品の鑑賞において、感覚と知性の調和的経験として体験される。美的体験は虚構の芸術世界であっても現実の体験であり、その体験の前と後では人は変貌している。美的体験は生命全体の意味における経験を含み、生の意味総体を代表する。真に美しい対象は人間の意識を活性化すると。
フロイトにとっての芸術作品は、直接的に願望を充足するものではなく、もともと満たされないリビドーを社会的に生産的な働きに変えるものとなる。フロイトの昇華理論である。
彼は、芸術作品の精神的本質は、美的態度と実践的・欲求的態度を区別することから導き出されるものであるという。芸術作品は、昇華されたものですら、諸々の感性的な活動の代弁者以上のものではない。せいぜいのところ、ある種の夢の作業を通して、感性的な活動を識別しづらくしているにすぎないと。
オーストリアの精神医学者で実存分析、ロゴセラピーの創始者であるフランクルは、人間を最も深く支配するものはフロイトのいう「快楽への意志(生理的欲求)」でもアドラーのいう「力への意志(社会的欲求)」でもなく、「意味への意志(実存的欲求)」であるという。
人間は己の人生の意味を見いだし、人生が各人に課する使命を果たし、日々の務めに対する責任を担うことで真に充足を得るとするのである。また、彼によると人間存在は常に価値実現的なものであり、まず何かを世界に造り出すことによって実現する「創造価値」へと向かう本性を有する。なんらかの理由でそれが困難になっても、自然や芸術、人間への愛などによって実現される「体験価値」というものがあるという。
人間存在の基盤として責任性と倫理性に着目しながら、人生の意味と価値を分析していくことから彼の学説には実存分析の名が冠せられ、これを治療技法として結実させたものがロゴセラピーである。
芸術創作の根拠をどこに求めるかによっていくつかの説がある。
① 模倣説(根拠を模倣に求める立場で、プラトン、アリストテレス以来の伝統的な芸術思想である)
② 表現説(客観の模倣に対し、個人の内面の重視による主観の外化、内面の表出を根拠とする立場で、ヒルン、ディルタイ、クローチェ、コリングウッドなどが属する)
③遊戯説(芸術の根源を遊戯衝動に見る立場で、シラー、スペンサー、グロースなどが属する)。
芸術作品にたいする批評家の分析、分類であるが、それほど意味ある訳ではない。ようするにいくらでも分類したり解説したりできても結論の出ない言葉の遊びなのである。
そしてこの方法論は、無限であるゆえに意味をなさなくなる。何故かというと「人間とは何か」という問いの答えがないからである。
「人間とは」の答えを求めて人類は、様々な試行錯誤を繰り返しながら苦悶してきたといえる。それでもなお人間は、神との統一を目指すことなく答えを探り出そうとしてきたし、今後もまた同じ過ちを繰り返すことだろう。
ついでに現代の芸術に関する言葉も取り上げておこうと思う。まずは芸術記号説である。これは、芸術を「記号」とみなし、その構造と機能を記号論的に研究する立場といえる。
カッシーラーの「象徴形式」の考えにもとづくものと、もうひとつの流れはc.s.パースのプラグマティズムを受け継いだモリスである。モリスの美的記号説で芸術作品を「イコン的記号」とし、実践的機能を重視する考え方である。
ベンゼの情報美学もこの立場の延長線にある。なおソシュールやヤコブソンの言語学に基づくロラン・バルトらの記号論的美学は別の系譜に属する記号説でもある。
つぎに芸術至上主義という考え方の人たちもいる。「芸術のための芸術」を主張する立場である。19世紀ロマン派(ロマン主義芸術)の中心的命題の一つは「芸術は、社会性や倫理その他のなにものにも拘束されず、それ自身のために存在する」というものである。
ところが19世紀初頭の新古典主義においては、大革命を導いたディドロたちの芸術に社会的任務を要請する態度が一般的であった。
1820年代のロマン派の台頭は、新古典主義に対する反動として、また芸術の近代化の一契機として「芸術のための芸術」の理念を掲げたのである。この標語を造ったフランスの美学者クーザンや「無用なもののみが美しい」と書いた文学者ゴーティエ、またフローベール、マラルメたちがその運動の主体者でボードレール、ユイスマンスらの唯美主義と結びつき、イギリスではワイルド、ペーターの、アメリカではポーの思想に及んだ。
これらの動きは、芸術の社会的・道徳的効用を否定する思潮でもあった。トルストイらの「人生のための芸術」とも対照をなす考え方でもある。
さらに唯美主義というものもある。審美主義、耽美主義ともいう。美に最高の価値を置き、これを芸術の目的とする立場である。感覚や技巧を重視し、奇抜、新鮮、デカダンスを求める傾向にあるが、芸術至上主義の一つの分野とも言える。
芸術のための芸術に拘る発想は、まさに縁覚界の衆生の生命的傾向性に酷似している。利己心と自己中への激しい傾斜は、利他心をまったく否定するものである。この三者(新古典主義、芸術至上主義、人生のための芸術)の存在の違いは、現代芸術界であってもその差はさらに顕著になってしまうことだろう。
芸術が創作する美を自然の美しさと対比することもある。自然美に対する人工的、芸術的な美、一般的に自然の所与のなかに現れる美、たとえば風景美に対して、芸術がその表現を意図し、また実現した美をいかに関連づけ、あるいは区別するかは古くから美学、芸術学の中心的課題の一つであったのである。
自然美と芸術美をともに美的価値とみるカントや区別して考えるデッソアール、さらに自然美も芸術美によって発見されるとするロマン派的立場から芸術美の一元性を取るシェリングなどがいる。
自然美と芸術美を不二としたらどうなるのだろうか。区別することも、一元論も否定する新たな哲学が西洋において出現する可能性はあったのだろうか。
西洋において芸術の哲学的思索は行われてきたのである。芸術の本質、あるいは現象について、その原理を考察する哲学者たちがいた。美そのものを考察する美学に対して、それでは取扱えない芸術の分野の存在を主張し、芸術事象一般を心理主義的価値論によって哲学的に基礎づけようとした人々である。
しかし自然に対置される人工の作品は、すべて芸術作品と考えることも可能であることから定義が困難になってしまうというジレンマに陥っていく。
芸術作品が作者の個人的心情の発露でもあることから、心理的に検証しようとしても最後は、価値基準をもってこざるを得ない。
芸術を哲学的に考察することと価値論を基準にすることは次元が違うのに、ともに神との関わりにおいて語ってしまう結果になるから、これでは、神と人間の統一以前に無限、永遠、無量、無辺、絶対、究極の結論および定義を必要としてしまうのである。
芸術学という学問も同様である。広義には芸術科学をさすが、狭義にはドイツにおいて提唱された「芸術学」「一般芸術学」をさす。
フィードラーは美と芸術の問題を明確に区別して論じたが、「芸術学」という術語は用いなかった。芸術のみを対象とする学問である芸術学を美学から初めて独立させたのがデッソアールである。
しかし現代では芸術を実証的、歴史的あるいは実践的に研究しようとする芸術科学がある。芸術を科学的に検証しようということを否定する気はないが、科学としての研究態度と芸術はなじまないのではないだろうか。
科学という言葉の定義や検証方法については宇宙論序説で論じておいたので参照していただきたい。
他にも芸術競技(スポーツに取材した文学、彫刻、絵画、建築、音楽、写真の芸術性を競うオリンピック競技で1906年クーベルタンが主唱し1912年に開かれたが1948年ロンドン大会で最後になった)や、芸術療法、芸術人類学、芸術心理学、芸術社会学と実に様々な研究がなされているのを見ると人間の好奇心、探求心は尽きることがないと実感する。



第2章 東洋美術と仏
月氏という種族の歴史はさておき、前一世紀の後半、大月氏の支配下にあったクシャーナ(貴霜)侯が紀元一世紀の中ごろにクシャーナ王朝を樹立した。
その後紀元二世紀ごろ、ホータンの小月氏出身といわれるカニシカ王がクシャーナ王朝を継承した。カニシカ一世は、仏教を保護し、カシミールに五百の阿羅漢を集めて仏典を結集したと伝えられる。
今日のガンダーラ芸術として名高い仏教美術も、その多くはカニシカ王の時代に興隆をみたものといわれている。
クシャーナ王朝は三世紀以降衰えたが、中国からの求法僧は伝統的にインド西北部を「大月氏」と呼称し、その地を巡礼した。また五天竺の一つに月氏を含める見方もあった。たとえば七世紀にインドを訪れた玄奘は、大唐西域記巻二において、インドを別名、月氏と呼ぶ理由について説明している。
六世紀頃に仏教が日本に伝来したとき、受け入れるべきであるとする蘇我氏らの崇仏派と、排除すべきであるとする物部氏らの排仏派の間に紛争が起こったが、この時点ではまだ思想面での仏教と神祇信仰との影響関係はみられなかった。
仏は「外国の神」として、日本の神と同じレベルで捉えられていたからである。奈良時代における神仏関係を神仏習合の前史とすれば、本格的な習合が始まるのは平安時代における本地垂迹説の登場による。
奈良時代の末期から、宇佐八幡宮などに対して八幡大菩薩といった称号が与えられたが、平安時代には筑前国(福岡県)筥崎宮、尾張国(愛知県)熱田神社などで、祭神が権現とよばれるようになった。
権現とは、仏が権りに神の姿を取ってこの世に出現したことを意味している。これは本地垂迹思想の成立を示す現象である。
平安時代の後期になると、一つ一つの神にその本地仏が定められるようになった。本地垂迹説の流行と平行して、仏教の論理で神祇を解釈する神道説も盛んになっていった。
山王神道や両部神道は、それぞれ天台と真言の教理に基づいて作り上げられた、中世を代表する神道思想である。神道説のような思考方法が、後の様々な「道思想」に変貌していったのかもしれない。
神や仏だけでなく、仏教の論理で歌や茶の湯、生け花を解釈することによって、それぞれを仏への供養や趣味、嗜好の領域から格付けしたり権威づけしたりしたといえる。
本地垂迹思想の起源は、天台教学の本門・迹門の思想にあるといわれている。本地垂迹説は仏教者側の主導によって形成されたものではあるが、それは時期相応の姿をとってこの世に現れた救済者たる神(迹)への信仰を奨励するという文脈に添って主張された。
そのため本地垂迹説が流布する平安末から鎌倉期にかけて、神祇信仰はむしろ盛んになり、神に死後の救済を祈るという現象も珍しくなくなった。
仏教者側の主導するこうした神仏習合の動きに対し、鎌倉時代の後期から伊勢神道などにおいて、神を仏の本地とする神本仏迹説が唱えられ始める。
室町時代にはそうした風潮を受けて吉田兼倶が、神道を根、仏教を花とする根葉果実説を提唱したが、本地垂迹説の奔流を覆すまでには至らなかった。
日本における本地垂迹説に基づく神仏習合の伝統は、明治維新にあたって出された神仏判然令と、それに続く神仏分離運動によって終止符を打たれるまで継承されるのである。
この本地垂迹説は、中世の思想や文化に影響を及ぼしていった。芸術の面で花開いたものに神道曼荼羅がある。神の本地を描いた本地曼荼羅、神域の風景を描いた宮曼荼羅をはじめ、さまざまな種類がある。
春日の宮曼荼羅は御蓋山を背景に、春日神社の社殿や周辺の風景が大和絵の手法で写実的に描かれている。山の上には四柱の祭神に若宮を加えた五所の祭神の本地仏が、図像ないしは種子によって表現されている。神道曼荼羅は本地垂迹の思想を図像化したものである。
また文学にも影響を与えた。とりわけ寺社縁起のなかには、濃厚な神仏習合の世界をみることができる。十四世紀に成立する神道集に収められた神々の縁起譚には、仏を本地とする主人公が人間と生まれ、さまざまな試練を経て神として再生するという筋書きが数多くみられる。
そこでは在地の神々とその伝承が、本地垂迹の論理を介して寺社縁起の世界に組み入れられている。本地垂迹説が民間信仰圏の神々を社寺信仰圏に吸収し、その内部に位置づけるという役割をはたしているのである。
在地の人々は仏教を受容するにあたって、直接南都北嶺の頂点的な教学に触れるのではなく、古来より共同体が信仰してきた神と仏との関係を説くこうした説話を通じて仏教世界との関わりを認識し、それを受け入れていったのである。
中国には儒学における礼楽がある。礼儀と音楽のことで伝統的な生活規範としての礼と音楽で、儒学の発達によって春秋戦国時代以後には社会的権威によって学問的に意義づけられた。
礼は王者が人の感情を節してこれを善導したが、礼は差別を主としているのに対して、楽は人心の和同によって教化を助けるものとして用いた。すなわち音楽も純粋な芸術的立場からではなく、礼の形式を行う補助作用として用い、礼楽合わせて王道を敷く根本とした。さらに士太夫の間では礼・楽・射・御・書・数の六芸が重んじられたという。
アジアの芸術に影響を与えたものに叙事詩がある。マハー・バーラタは、ラーマーヤナとならぶインドの二大叙事詩である。ヒンズー教の根本聖典の一つでもある。十万節からなり、ホメロスのイーリアス、オディッセイという二大叙事詩をはるかにしのぎ、世界最長のスケールを誇る。
マハー・バーラタの主な舞台は、西北インドで展開されたバーラタ族の王位継承戦争である。この同族間の戦争は、クル国(現在のデリー付近)の百人の王子(カウラヴァ軍)とパーンドゥ王の五人の王子(パーンダヴァ軍)との間で戦われたもので、この戦記の伝承が神話や哲学的な詩編、倫理的訓話などのさまざまな要素を集めながら、紀元後五世紀に完成したと推定される。
マハー・バーラタは単なる戦争の物語ではなく、五王子側は一応戦いに勝ち国を治めるが、最後は静かに死んでいく。この静寂な人生の締めくくりがマハー・バーラタのラサ(インド美学における文学や芸術の「味わい」)であるとされる。
文学的、芸術的側面だけでなく、インド社会の規範などを広範に含み、一種のヒンズー教の百科全書的な役割を担っている。ヒンズー教のバイブルといわれるバガヴァッド・ギーターの詩編は、マハー・バーラタの第六巻に収められている。また、マハー・バーラタは、インドだけではなく、タイやジャワなど広く東南アジアの芸術・文化にも大きな影響を与えていったのである。
もう一つのラーマーヤナは、二万四千節からなる長編である。ヒンズー教の聖典ともなっている。紀元前から伝承されたさまざまな説話が、三世紀ごろに集成され「詩の始まり」とも呼ばれる。
悪を滅ぼすために人間の王子ラーマとして生まれたヴィシュヌという神が、さまざまな人生の苦難に耐えながら、悪鬼王ラーヴァナを撃退する物語である。美女シーターとの愛と別離、迫害と流浪など、英雄譚ならではの劇的、悲劇的要素に満ち、文学だけではなく舞踊などの芸術に大きな影響を与えた。また、インドだけではなく、ジャワやタイなど南アジア、東南アジアに広く流布している。
インドの詩人、思想家、哲学者、芸術家、教育者であったタゴールは、西ベンガルのカルカッタに生まれた。詩作を始めたのは十五歳のころとされるが、初期の詩風はシェリーやブラウニングの影響を受けている。後年になると詩風は次第に宗教的なものになり、生命の神秘と人類の平和をうたいあげたものが多くなっていった。
仏教や礼楽、そして詩は、東洋的な発展の過程にあっても、直接的に仏と芸術を結びつけることはなかったといえる。
ただ日本の芸術が、日本固有の文化となって発展するなかで生まれた道思想は、仏教や儒教などの中国からの影響によるものと思われる。本地垂迹説から神道説が生まれたように、仏教や儒教などの思考法で技芸を解釈することが、単なる技芸ではなく一種の権威づけとしてなされていったのだろう。
そのなかで今回は、茶道中心に考えて見たいと思う。というのは、茶道が最も宗教思想を前面に出していると思われるからである。当然ではあるが、茶道と仏法は何の関係もない。なのに何故、ものすごく関係があるように思われているのか不思議である。この不自然さの中に日本の文化の実態を見る思いなのである。
道とは、ルールであり、人生の道標ともいうべきものでもある。人の道を意味させていると思われる。けれども「人間とは」の問いに答えることなしに人の道は語れない。
日本の道思想には、それでも人が人間として生きていくなかで必要な精神性がある。当然、人道はそのまま仏道ではないことも承知しているはずである。
いづれにしてもこの縁覚思想ともいうべき道思想は、一分の理の悟りともいえる場合もあるだろう。声聞・縁覚という二乗の衆生については後述するつもりである。人道から仏道に至る道のりは遠いのか近いのか。その距離感が「人間とは」という問いの答えとの距離感なのかもしれない。
初めて中国から体系的に茶の知識を持ち込んだ書物は唐の陸羽の書いた『茶経』と言われている。この本には、茶の木の育て方、収穫方法と道具、たてかた、飲み方、歴史などが詳しく書かれている。
茶を飲む習慣と茶の製法は平安時代に遣唐使によってもたらされた。当時の中国茶は現代の烏龍茶に似ただんご状の半発酵茶と考えられている。当時の日本人は、茶を嗜好品としてよりも薬としてとらえており、必要量のみを煎じて飲んだと考えられている。しかし、当時は根付かず喫茶は廃れてしまった。
鎌倉時代に、日本に禅宗を伝えた栄西や道元によって薬として持ち込まれた(栄西は持ち帰った茶の種を京都・栂尾の明恵上人に贈ったことから同地では上質な茶を得るようになったという)抹茶が、禅宗の広まりと共に精神修養的な要素を強めて広がっていった。さらに茶の栽培が普及すると茶を飲む習慣が一般に普及していった。
室町時代においては、飲んだ水の産地を当てる闘水という遊戯から、闘茶という、飲んだ茶の銘柄を当てる一種の博打が流行した。
産地によって異なる茶の比較が生じ、栂尾産を「本茶」、その他の産地のお茶を「非茶」として飲み比べをする遊びが上流階級の間に流行した。「本茶」と十種類の「非茶」を飲み比べする茶飲みゲームだが、会場を豪華に飾り付け、香木や砂金、鎧、太刀など高価な懸賞物と酒宴まである華美でぜいたくな遊びであったという。
また、本場中国の茶器がもてはやされ、大金を使って蒐集し、これを使用して盛大な茶会を催すことが大名の間で流行した(これを「唐物数寄」と呼ぶ)。こうした茶会の風潮に疑問を感じた僧・村田珠光が、栄西が広めた茶の薬効と味わいを楽しむ簡潔な喫茶法を主張した。珠光が茶会での博打や飲酒を禁止し、亭主と客との精神交流を重視する茶会のあり方を説いたのである。“侘び茶”の始まりでもある。 
わび茶はその後、堺の町衆である武野紹鴎、その弟子の千利休によって安土桃山時代に完成されるに至った。
利休のわび茶は武士階層にも広まり、蒲生氏郷、細川三斎、牧村兵部、瀬田掃部、古田織部、芝山監物、高山右近ら利休七哲と呼ばれる弟子たちを生んでいく。
さらにはわび茶から発展し、小堀遠州、片桐石州、織田有楽ら流派をなす大名も現われた。現代では特に武家茶道、或いは大名茶などと呼んで区別する場合もある。
江戸時代初期までの茶の湯人口は、主に大名・豪商などが中心のごく限られたものであったが、江戸中期に町人階級が経済的勃興するとともに飛躍的に増加した。
これらの町人階級を主とする新たな茶の湯参入者を迎え入れたのが、元々町方の出自である三千家を中心とする千家系の流派である。この時、大量の門弟をまとめるために、現在では伝統芸能において一般に見られる組織形態である家元制度が確立した。
また、表千家七代如心斎、裏千家八代又玄斎、如心斎の高弟、江戸千家初代川上不白などによって、大勢の門弟に対処するための新たな稽古方法として、七事式が考案された。これらの努力によって茶の湯は、庄屋、名主や商人などの習い事として日本全国に広く普及していったのである。
ただ、同時に茶の湯の大衆化に拍車がかかり、遊芸化が進んでいったという弊害もある。「侘び・寂び」に対する理解も次第に変質し、美しい石灯籠を「完璧すぎる」と言って、わざと壊すとか割れて接いだ茶碗を珍重するなど、大衆には理解し難い振る舞いもあって、庶民の間で「茶人」が「変人」の隠語となる事態も招いた。
江戸末期になると、武家の教養として作法が固まっている抹茶の茶の湯を嫌い、気軽に楽しめる茶を求める声が町衆から出てきた。
同時期に、単なる嗜好品と化してしまった煎茶の現状を憂い、煎茶に「道」を求める声があがった。これらの声をくみ上げる形で、江戸時代中期に黄檗宗万福寺の元僧売茶翁(高遊外)が行っていた煎茶に改めて煎茶の作法を定めたのが煎茶道である。煎茶道は漢詩の文人文化を中心に広まり様式が確立されていった。
煎茶を好んだ著名人として江戸初期の石川丈山、中期に上田秋成、後期には頼山陽の名が挙げられる。
明治時代になると、封建制度が崩壊し、諸藩に庇護されていた各流派が財政的に困難に陥るようになった。
そうした中、裏千家十三代円能斎鉄中は一時東京に居を移して茶道再興に努めた。努力の甲斐あって有力財界人の関心を呼び、茶道が女子の教養科目として組み込まれた。
このため茶道は、本来のわび茶(亭主と客との精神交流を重視する茶会)とは別の「女子の教養」としての要素も獲得し、今では美しい着物姿での華やかな茶会が当たり前になっている。
また明治の同時期に鳥尾得庵、田中仙樵(後に大日本茶道学会を創設)は、利休が千家三流派など各流派へ茶道を分けたのではなく元々一つの流であったと唱え、多くの流儀の茶人達の旧幕時代からの伝承を一堂に集めて研究し、その成果を一般人へ発表することで日本の茶道を再び創り出そうとした。戦後は海外にも茶道は広まり、茶道の大衆化は世界的レベルとなっている。
中国では、茶の作法を「茶芸」という。今日、日本で行われている中国茶の淹れ方は、福建・広東で発祥した形式である「工夫茶」である。工夫茶は、もともと烏龍茶の淹れ方であるので他の種類の茶葉には適さないが、現在では中国茶芸の主流となっており、他の茶葉も工夫茶で淹れられる。
中国茶はその種類が非常に多く、茶葉によって淹れ方が異なるため、「最も美味しく茶を淹れる方法」や一種のパフォーマンスとして、中国茶芸は発展した。中国においては、漢の時代には飲茶の習慣が根付いていたと考えられているが、嗜好品として広まったために、「道」としての茶道はおこらなかった。ある意味当然であって、嗜好品に権威などいらないのである。個人個人の感性で味わえば良いものに、日本人はなぜ「道」にして共同・共有感覚、制度感覚、儀式感覚といった、一定のルールを決めたがるのか不思議な島国民族の感性であると言える。
茶道をするうえで重要と思われる精神に六つのキーワードがあるという。一つ目はおもてなしの心。
茶道とはおもてなしの心であり自分を下げ、客には思いつく限りの丁寧さで対応する精神。茶会で亭主が茶を点てる行為そのものもおもてなしの心と。
しかし茶事の楽しみは、亭主が七で客が三といわれるように、もてなしがメインではないのである。もちろん客に茶を提供するわけだからまったくもてなしの気持ちがないわけではないのだが、それはあくまでもメインではない。
ましておや自分を下げる理由など亭主にはない。様々な行き届いた手配も客のためではなく、自身の茶会に臨む姿勢を表現するための準備である。
したがって茶事は客に対して様々な制約を課すのである。この制約を客の茶会に臨む姿勢のように言われるが、けっしてそうではなく、亭主の茶事に臨む覚悟を見せるために必要な客への制約なのである。
茶事における客に対する様々な制約は、客のために施す主人の思いを少しでも理解し応えるための制約のように言われているが、実際は違うのである。
むしろ主人の茶事に臨む覚悟と修行の様子をたまたま客として拝見させてもらうという立場の違いを鮮明にすることが主体であって、主人の修行の邪魔にならないようにさせているのが、さまざまな制約である。
客が扇子を膝前に置く所作も結界を敷くためともいう。茶室は神聖な修行の場であることを強調するためのパフォーマンスでもある。茶会が仏道修行の場であるなどという発想の根拠が問題なのだが、あまりそこを問題にする人はなぜかいないという不思議。
茶の湯は仏道修行でもなんでもないので、本来、ここまで制約する必要もなかったのである。亭主と客との精神交流を重視する茶会こそ侘茶の在り方であったはずである。
じつは茶室に入る前に俗世間と切り離すような細工やさまざまなセッティングも禅宗の悪影響なのである。
もっと素直に主客が茶を挟んで楽しむ交流の場でよかったのである。そうすれば、もてなしが儀式にならず自然の流れの中でもてなしは行われるのである。
二つ目は、侘び寂びの心。必要でないものを全て削ぎ落とした完璧なまでのシンプルさ。 自然を愛し、自然な姿を求めるありのままの心。 虚飾を全て捨て去ってそこに残る清らかな美しさ、それが侘び寂びなのであると。
自然をありのままの姿というのであれば、人間も自然の一部である以上、ありのままでもいいのではないだろうか。仏法ではこれを無作という。そして虚飾と必要のないものとの関連が意味不明である。
虚飾を捨て去れば清らかな美しさを持てるという保証などどこにもない。そもそもありのままの心、すなわち無作を詫びとか寂びとか言わない。自然は決して詫び寂びだけではない。自然における三千羅列の因果の厳しさは、人間にも当てはまる厳しい現実なのである。
人間の不足不満は、平等でないという感覚や満足できない様々な問題に対し、侘しさを感じるのも人間である。
仏法には「世間とは差別の義」とあるように現実の人生における寂しさは、否定のしようもない事実である。だからといって肯定し諦めたりする訳にもいかないのである。この不足不満を単純に人間の欲望のなせるものとして断罪してもいけないのである。また欲望を断ち切ろうとしても無駄であり人生の侘びしさや寂しさといった一面をどんなに強調してもなんの解決にもならない。
その侘び寂びに人間味を感じたりするのは結構なことであるが、これも禅宗とはまったく関係ない思考である。
三つめは、不完全美の追求。「花は盛りに月は隈なきを見るものかは」「花をのみ待つらむ人に山里の雪間の草の春をみせばや」。
千利休の茶の真髄としてよく引用されている。このように完全でないことの素晴らしさを日本人はよく理解している。茶道で使用される道具は地味なものも多いけど豪華なものも多い。しかし無造作に作られたものにこそ真の美しさがあると。
実に不思議な発想である。完全でないのが美、素晴らしいのではないだろう。不完全であってもそこに完全さが想定されるまたは完全さがわかっている場合の不完全である。
冬は春を想定できるから冬の厳しさに耐えられる。完全を知らなければずっと不完全のままである。ようするに完全とか不完全とか、ましておや美などとは関係ないのである。そしてさらに禅思想と不完全の美はまったく関係もない。
どうしてこうなったのか不思議としか言いようがない。石州流のように、自然は調和が取れている完全なものはないとして、両手を同時に使ったりすることを禁じていたりしている。確かに自然は全く同じものはないかも知れないが、調和に満ちた絶妙のバランスを保っている。それは不完全に見えて無駄なものがないという意味で完全性を持って存在しているのが自然でもある。
四つ目は、一期一会である。茶道の世界と言えば「一期一会」。一度きりの出会いを大切にしなさいという。同じ客で同じ道具で同じ季節に茶事を開いたとしても、それでも二度と同じ会をすることは出来ない。常に今は今しかないからと。
山上宗二の言葉である。この会とは茶会のことで、出会いの会いではない。「常に今しかない」の今とは「只今臨終の精神」「常在戦場の精神」のことで、最後の茶事に臨むという亭主の緊張感を表現したものである。
戦国乱世の時代、裏切り、反逆など様々な争いが横行した世情の中を生き抜いた茶人たちの激しい生きざまでもあったのだ。
茶の湯を好んだ信長や秀吉が、もてなしの心とか、出会いの大切さを考えていたなどとは思えないだろう。利休も宗二も秀吉に切腹させられている。
山上宗二の一期一会とは、客をもてなす精神ではない。あくまでも茶会を催す主人の茶事に対する姿勢であり、主人側の覚悟である。
茶事は修行としての茶事なのであってそこには客が入りこむ余地はない。客が中心ではなく主人の在り方を表現するための覚悟の一期一会(一生に一度の茶会の覚悟)である。けっして一生に一度しか会わない人にも誠心誠意でもてなすという意味ではない。
一期一会の解釈が、何時ごろからもてなしの精神になったのかは定かではない。しかし何度も言うが、もてなしの心と禅宗の教義とは、まったく関係がない。
ようするに禅宗の僧侶が茶の湯に耽っているという批判をさけるために茶事も修行の一つになるといって辻褄を合わせただけだろう。
闘水や戦闘茶が賭け事の対象になってしまった茶の湯を仏道修行の一環として茶道と呼び、さも仏道に入る道のように振る舞ったのだと想像できる。法を説かずに法を明示させるための教外別伝という禅宗の誤った思想からくるものである。
一度きりの出会いを大切にすることは素晴らしいが、これも禅宗とはまったく別世界の話である。禅宗は一人で法を悟れることを強調し、師匠すら必要ないとする以上、他人との出会いを一期一会とは言わないし、誠心誠意で出会いの客をもてなせなどと言うはずがない。
五つ目は、和敬清寂である。前の二文字は茶事における主客相互の心得、後の二文字は茶庭、茶室、茶器に関する心得をあらわしているという。
 和とは、和合、調和、和楽の意味だろう。互いに楽しもうという心でもある。敬とは、他を敬愛する心である。清とは、清潔、清廉の意味となるのだろう。まわりも自らも清らかでありなさいという教えともいえる。
寂とは、寂静、閑寂の意味であろう。清寂は、必要のないものすなわち虚飾を捨て去ることで生まれる、清らかで静かな人生を語り合う場こそ茶事の本分という主張であろう。
和敬清寂とは、宋に留学した大応国師が帰朝(1267年)した際、台子とともに伝えた劉元甫の「茶道清規(作法)」を抄録して「茶道経」と名付けて刊行したなかにある言葉。
それによると茶禅儀の創始者は守端禅師で、その門下元甫長老が和敬清寂を茶道締門と定めて茶道会を組織した。これが和敬清寂の起源であるという。(「茶道辞典」より)
茶祖といわれる村田珠光(1422年)が、足利義政(1449年)から茶の精神をたずねられたとき、「一味清淨、法喜禪悅。趙州如此、陸羽未曾至此。人入茶室、外卻人我之相、内蓄柔和之德、致相交之間、謹兮敬兮清兮寂兮、卒以及天下太平。」と答えたといわれる。
村田珠光が和敬清寂を謹敬清寂と言い換えたのはなぜか。足利将軍に和敬とは言いづらかったのだろうと推測できる。
謹敬は『韓非子・内儲説下』に「和敬」 は『礼記・楽記』にみえる。茶道の精神をあらわす語として、特に江戸時代後期によく用いられたが、韓非子も礼記・楽記も禅宗とはなんの関係もない。
千利休の「和敬清寂」は、もともと薬の飲みかたから始まった茶の湯の作法(清規)から出来た言葉をそのまま言ったのだろう。茶道の精神ともいえるかもしれないが、禅宗とはまったく関係はなくましておや禅語などでもない。禅宗の僧が言ったから禅語だと思ってしまったのだろうか。解釈が単純すぎて笑える。
和敬清寂の出典は『茶祖伝』(1730)とされ、その元禄12年(1699)の序文において巨妙子(大心義統1657-1730:大徳寺第273世)が「今茶之道四焉、能和能敬能清能寂、是利休因茶祖珠光答東山源公文所云」と著している。
千利休が「能く和し能く敬し能く清く能く寂」の「四諦(よんたい)」を茶の湯の根本として定めたと述べている。
謹んで清寂を敬うことも和して清寂を敬うことも決して悪いことではない。戦国の世を目の当たりにしてきた茶人にとって人生を友と語りあう静かな空間を欲したことだろう。この思いこそ侘茶の本道なのだと思う。
だからといって茶室を世間から隔絶されるように演出するのは、世間のうちでは修行にならないと思い込む禅宗の誤りからくるもので、元来、仏法における修行は六識に求めよといわれているのである。
また扇子を手前に置いて結界を作るといった仕草や作法など、茶室を修行の場、道場の如く振舞うといった見当外れなこともさせたりする。
さらに茶室に飾る掛け軸は絵より文字が好いなどとおよそ禅宗らしくないことを言う。禅宗は不立文字と師無用論そして先ほどあげた教外別伝を立てる宗派なのである。
人間のための仏法が人間世間から隔絶した場所で、瞑想にふけっていたのでは、人間のための仏法とは言い難い。何度でも言うが、茶の湯と仏法はまったく別物である。
六つ目の茶禅一味など何をもってすればこのような考えが出てくるのか全く奇妙としかいいようがない。
村田珠光の「一味清淨、法喜禪悅」から禅宗の「教禅一味」を捩って造られた言葉であろうと思われる。茶道ではその精神の根幹に禅の教えを取り入れているというのなら、茶道自体が間違っていることになる。
村田珠光が一休禅師に参禅し悟道したことが始まりと言われているが、遊芸に陥ってしまった茶の湯の世界を戒めるため、茶道の本質に禅の教えを見出したと勝手に主張しただけである。
禅思想を知らない人が言ったのか、禅宗の坊さんが言ったのかは定かではないが、あまりに間違っていることに驚きを感じる。何度も言うようだが、そもそも禅宗は不立文字を主張する宗派である。墨蹟などなんの意味もないと主張しているのである。
さらに詫びや寂びなど禅宗の教義とはまったく関係もない。不立文字とならんで禅宗の教義には、教外別伝、師無用論、直指人心、見性成仏などがあるが、およそ茶の湯とは結びつかないのである。
禅宗の坊主が茶の湯を好んでいたら坊主の遊芸と批判されかねないので、思いついた教外別伝の拡大解釈に過ぎないというのが真相だろう。
自然は自然のままでもよいが自然の畳み込みによる技芸もまた価値創造といえる。それは華道や盆石だけでなく写真や彫刻にもみることが出来る。日本の文化の様々な生き様は、神と仏の習合が織りなす結果でもあるといえる。
東洋美術と仏の関係を語るところを少し横道にそれてしまったように思う人もいるだろうが、芸道と仏道をむりやり関係づけようとすると茶道のような誤った方向に進んでしまうのである。
権威づけ、格付けが必要なのは芸術とは別の次元で、必要とする人たちがいるということだろう。
「茶の道は皆々虚なることにて候。さりながらその虚をたてて奥に真実あり。その実は人々めんめんの心中にある事にて候」とは、片桐石州の言葉である。
虚とは嘘ではない。虚実というと「嘘と本当」のように思う人もいるだろうが、そうではない。虚とは「実に至らない」という意味である。人間の心中にある実を虚より探り至ろうとするために茶の道はあるという。含蓄ある言葉ではあるが、奥にある真実に至ることは出来ないだろう。
次章で禅宗および禅についてもう少し述べて置きたいと思う。



第3章 日本の文化芸術

そもそも禅宗とは、禅定観法によって悟りに至ろうとする宗派で、菩提達磨を初祖とするので達磨宗ともいい、仏の心印を伝えるという意味から仏心宗ともいう。
仏法の真髄は教理の追究ではなく、坐禅入定の修行によって自ら体得するものであるとして、教外別伝、不立文字(真の仏道は文字によって伝えられている教法ではなく、別に心を以て伝えたもの)の謬義を立てる。
この法を釈迦は迦葉一人に付嘱し、第2祖阿難・第3祖商那和修と代々相伝され、第28祖の達磨に至ったとする。以後第2祖慧可・第3祖僧慧・第4祖道信・第5祖弘忍と伝えられ、弘忍から第6祖慧能の南宗禅と神秀の北宗禅とに分かれた。
しかし北宗禅はすぐに衰えたのに対し、慧能の門下からは青原行思・南岳懐譲・荷沢神会などが出て、中国禅の主流となった。
青原行思の系統からは、洞山良价・曹山本寂が曹洞宗を、雲門文偃が雲門宗を、法眼文益が法眼宗を開いた。
また南岳懐譲の系統からは、慧山霊祐・仰山慧寂が慧仰宗を、臨済義玄が臨済宗を開いた。これら五家の中で、臨済宗が最も盛んとなり、やがて黄竜慧南・楊岐方会が出て黄竜派と楊岐派の二派に分かれた。これらの諸派を総称して五家七宗という。
大梵天問仏結疑経に「仏(中略)言く吾に正法眼蔵・涅槃の妙心・実相無相・微妙の法門有り。文字を立てず教外に別伝し(中略)摩訶迦葉に付嘱す」とある。
教外別伝とは仏道を伝えるに際して、言語や文字による教説を排して直接心から心へと伝えることとしている。この教外別伝を利用して茶道の精神から仏の心を悟れるとでも言ったのだろうと思うと吃驚する。
伝承や口伝と言いながら茶室の床の間に墨蹟を掲げたり、師無用論を説きながら自分は第28祖だとか、達磨を始祖といったりする。教義上では何祖であろうと関係ないだろう。しかも有名な禅僧の墨蹟を有難がっている。さらに仏教以外の経書を学び、文筆を行ない、教義を説くという矛盾を示し、加えて依経とする大梵天王問仏結疑経自体、一切の経録に存在せず真偽が問われてきたものである。さらに依経が存在すること自体、教説とも反していて自語相違も甚だしいのが禅宗の実態である。
また村田珠光が言ったとされる「心の師とはなるも心を師とせざれ」などは、仏心宗とも言われる禅宗の教義を否定するものである。
禅宗の義に本分の田地という語がある。本地の風光、本来の面目ともいう。衆生がもともと具えもった安心立命の境地のことである。禅宗では坐禅によってその境地に住することができると説く。
しかし、坐禅では、所観の対境を定めない故に、移ろいやすい人の心に依らざるを得ないので、とてもその境地に至ることはできないだろう。
所観の対境とは、天台の三大部(法華玄義・法華文句・摩訶止観)の観心のことである。天台が心を観ずる法として立てた託事観(暦事観)、付法観、約行観(従行観・直達観)の三種の観法をいう。
託事観とは事に従って、また事を借りてする観法であり、付法観というのは法門、法相に寄せて行ずる観法で、約行観は一念の心を所観の対境として即空、即中、即仮を諦観する観法のことである。
釈尊は涅槃経の中で「願わくは心の師と作りて心を師とせざれ」と説き、さらに「是くの如き経律は、当に知るべし、即ち是れ如来の所説なり。若し魔の所説に随順すること有らば、是れ魔の眷属なり」と。日蓮が禅天魔と破折した理由でもある。
さらに直指人心、見性成仏の義を立てている。すなわち、経文は月をさす指であり、月(成仏の性)がとらえられれば指(経文)には用がないとした。禅宗にとって茶道は、月なのか指なのか。当然、指なのだろうからいずれは用がないと切り捨てることになるのだろう。
茶道であっても仏道に至る修行になるとでも言ったのだろうか。ただ驚くばかりである。禅宗の坊主がお茶を飲みたかっただけであろう。そんな時に飲茶に意義付けをしたり権威づけたりした。これも修行ぞとでも言ったのか。日本の坊主らしいと言えば言える。とくに禅宗は、得意の教外別伝を持ち出して、飲茶もまた極めれば仏道を悟れる行為、修行であるととんでもないことを言ったのではないかと推測したくなる。
どんな思想を根幹にしようと自由であるが、禅宗の信徒でなければ茶の湯をやる資格がないなどという輩は、もっと禅宗の何たるかを知ってから言って欲しいものである。
千利休は「数寄道」、小堀政一(遠州)は「茶の道」という語も使っていたが、江戸時代初期には「茶道」と呼んでいた。現在一般に、茶道といえば抹茶を用いる茶道のことだが、江戸期に成立した煎茶を用いる煎茶道も含まれていた。
禅についても述べておきたい。禅は仏教における修行法の一つであって、本来は特定の修行や宗派をさす言葉ではなく、静かに坐して瞑想することを言う。
仏教が成立する以前から、古代インドでは瞑想の実践が重視された。それらは多くの場合、苦行的な性格を伴うものだった。
仏教は、禅のもつそうした苦行性や神秘的側面を取り去って智を重視し、悟りへと至る自覚的な方法として位置づけた。
仏典に見られる禅定思想の代表的なものには、戒定慧の三学や四禅八定がある。また六波羅蜜(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)にも、禅思想の反映を見いだすことができる。
一世紀ごろ中国に仏教が伝来すると、禅の思想は、一見中国固有の老荘思想や神仙思想によく似ていたため、中国人の着目するところとなった。やがて中国独自の禅思想が成熟した。その代表的人物が、隋の時代に活躍した天台智顗である。法華経を重視する智顗は、大乗禅の伝統をふまえつつ、具体的な実践方法として止観という形で体系化した。
他方、天台智顗とほぼ時代を同じくして、中国では宗派としての禅も成立した。中国の禅宗は、西域から来たインド僧の達磨を初祖とする。
天台智顗が止観の依拠として法華経を重視したのに対し、禅宗は真実の悟りは文字では伝えることができないとして、不立文字と教外別伝を主張する。仏から正しく伝えられた禅を実践することによって、みずからの心の内面を凝視し(直指人心)、そこにある仏性の顕現を目指す(見性成仏)ことが禅の目的であるとした。
禅の日本への伝来は奈良時代から断片的に進められてきたが、本格的な移入は1187年(文治三年)に入宋して虚庵懐敞から臨済宗黄竜派を伝授した栄西に始まる。栄西に続いて、後に東福寺開山となる円爾らの入宋僧によって、次々と臨済の教えがもたらされた。栄西や円爾の禅は天台や密教も容認し、その併修を認める兼修禅の性格が強かった。
それに対し、十三世紀の半ばから純粋禅が蘭渓道隆、無学祖元らの来日僧によって伝えられ、禅仏教の主流となった。彼らは北条氏の保護をえて、鎌倉の地には彼らを開山とする建長寺、円覚寺といった巨刹が立ち並んだ。
また元の使者として来日した一山一寧は、幽閉後許されて建長寺の住持となり、その流れは一山派とよばれた。これらの臨済宗諸派はやがて五山派を形成し、そこでは中国南宋文化の影響を濃厚にうけた独自の絵画や儒学や文学が生まれた。
江戸期の儒学時代の幕開けを告げる藤原惺窩や林羅山は、いずれも五山の禅僧として儒学を学び、やがて還俗して専門の儒家となった者たちである。
他方、1223年(正治二年)、宋に渡って天童寺の如浄から曹洞宗を学び、それを日本にもたらしたのが道元である。瑩山紹瑾は道元の出家主義を改めて教線の拡張を図るとともに、能登の総持寺をはじめ多くの寺を開いた。室町以降、臨済宗が貴族や上層武士に受け入れられていったのに対し、曹洞宗は葬儀に関わることによって民衆のあいだに分け入り、「臨済王侯、曹洞土民」という言葉も生まれた。
日蓮は禅宗について「禅天魔」という批判を加えているが、その主たる対象となったのは、栄西に先だって臨済宗を弘めた大日能忍と建長寺開山の蘭渓道隆であった。
日蓮は禅の教外別伝の教えが、法華経をはじめとする仏説の軽視と衰退を招くことを指摘した。その一方で、北条氏の威勢をかさにきて居丈高な振る舞いをする道隆を、仏教者の道にはずれたものとして厳しく批判したのである。
心と仏の関係は、禅宗の教義にもあるが、日蓮はこれを有名無実の法と破折する。「心即ち是れ仏なり」といった禅宗の教義は、菩提達磨の血脈論や正法眼蔵巻六などにある。
血脈論に「心は即ち是れ仏、仏は即ち是れ心なり。心の外に仏無く、仏の外に心無し」とある。即ち凡夫の心と仏とは全く同一であるとする説である。しかし、十界互具の法理の裏づけがないので、有名無実の説であると日蓮に破折されている。
なぜ即心是仏と言えるのか仏法法理の裏づけのない言葉だけの思い込み発言なのである。禅宗が一念三千、十界互具を説けなかったことにより、なぜ、凡夫の心と仏とは全く同一となるのかを明かすことが出来ないままになってしまっているのである。
このなぜに答えるためには、どうしても天台家の法門を用いなければならず、それをしたくなかったので、結論だけを使ったために起きたことである。結論に至る過程を個人の悟りとして説明しない禅宗のあり方がよく出ている言葉である。
ようするに一念三千が完成されない経を基にした観念的な教えであると。心こそ仏、仏こそ心の思想も人間の生命のうちに内在する仏の生命に対する本覚思想に過ぎない。
禅宗は経典を否定しながら主張するときは経典を引用して自分に都合のいいように利用する。個人の修行によって悟りを得ることが出来るからあえて経典にも師にも頼らないという禅宗の思考は、単に独善的な思い込みによる悟りと様々な自語相違から成り立っている。日蓮が禅天魔と破折した四ケ格言のとおりである。
妙楽大師の止観輔行伝弘決巻四に「依法不依人」という譬えがある。法を求めるのに、人の貴賤貧富に依ってはならないことを教えた言葉であるが、禅宗の人々はよくよく吟味すべきであろう。
茶道以外の「道」の付くものも見てみようと思う。まず「華道」であるが、生け花は仏に対する信仰心から自然に咲く草花を室内へと持ち込んだものといわれている。
生け花を単なる技芸としてではなく、人間としての修養の面を重視した呼び名が華道である。世阿弥(室町前期の能役者・能作者)の言葉に「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」というように、花を植物としての美しさだけでとらえるのではなく、「美」として昇華させた“美意識”がなければ「華道」は成立しないという。
能が今日まで、数百年の伝統と歴史を保ってきた源流の師である世阿弥の言葉であるから、その重みを感じてしまう。演者が独りよがりの自己満足に浸るのではなく、見る側の厳しい視点に立って芸を磨いてこそ人間の成長の軌道があると言った「離見の見」から拝すれば、「華道」といえども「人の軌道」といえるのだろう。つまらない禅宗の坊主の無意味な言葉より遥かに人生の達人を見る思いである。
古代のわが国では、自然を崇拝する原始宗教(アニミズム)によって大きな岩や樹木などに「神」が宿る(依代)という信仰が芽生え、なかでも松はその樹形や一年中枯れない(常緑)ことから神の依代として特別に扱われてきたが、こうした信仰によって神木が戸外から庭へ、そして室内へと移され、仏に捧げる花が生活を彩る生け花へと変遷してきたのであろうと思われる。日本人らしい素晴らしい感性であると思う。
現在の生け花の原型は奈良時代の供花(くげ)に始まるといわれる。神仏へ供えていた花が平安時代に入ると観賞の対象ともなり、室町時代では、建築形式の変化もあって仏は大きな伽藍から書院造の床の間の掛け軸へと移されるとともに、供花も信仰とは無縁の観賞を目的とした“たてはな”と呼ばれる形式が成立した。
“たてはな”は桃山時代には構成理論を確立し、“真”“副”“請”“真隠”“正真”“見越”“流枝”“前置”の七つ枝によって自然界の景色を表現するものとなった。
しかし江戸時代中期の元禄年間には衰退し、代わって新しい様式の“生花”が誕生した。更に、江戸時代後期になると一般の人々にも普及し、同時に、それまで男性が独占していた生け花が女性の芸事の一つとして定着することになった。
明治時代に入ると自由思想が広く浸透し始めるとともに、その気風を取り入れた“盛花”が一気に普及し、第二次大戦後は時代を反映した前衛的な生け花が脚光を浴び、海外にまで認識されるようになった。
①茶花は、茶室の構成要素として誕生したものである。山野草の素朴な一輪挿しなど、茶道の“侘び”の精神に沿ったものが特徴で、派手さを競う華道とは対照的であった。たて花が立花として大型化したのと対照的に、茶花は投げ入れ花が小型化したものでもあった。
②盛花は、明治時代、後に小原流を創立した小原雲心が池坊の要職にあったときに考案したもので、水盤という新たな花器を使って注目を集めて盛花と名づけられた。当初、はっきりした花型を持たなかったが、いけばな人口の増加に伴って花型が規定されるようになって今日に至った。
③江戸時代になると、単純に瓶にさす投げ入れが華麗な立花に対して普段着のいけばなとして再評価されるようになり、その後、大正、昭和にかけて盛花と共に、“傾斜型”“直立型”“下垂型”などやさしい花型が規定された。
④自由花は、大正から昭和初期に登場したもので、創造力や自由な感覚に満ちた造形的な表現を盛り込んだいけばなである。
生け花が広がるとともに技巧の達人や名手が数多く登場し、それが多くの流派に分かれていくきっかけとなり、今日では、池坊から枝分かれした流派の数は日本いけばな芸術協会に登録されているだけで400流派近いという。主な流派としては池坊、古流、遠州流、未生流、小原流、草月流などがある。
 次に書道を見てみよう。書道は毛筆と墨によって漢字や仮名文字を書くことだが、単に文字を書くということではなく、精神を集中させ、心の内面を書体によって表現しようとする日本の伝統的な芸術の一分野である。
古代の日本にはさまざまな文化が中国からもたらされたが、“書”もその一つであり、飛鳥から奈良時代にかけて遣隋使や遣唐使によって伝えられた。当時の中国では端正な楷書体で書かれた「王義卿」の書法が盛んなころで、我が国もまず最初にその書法を学んだ。
次いで留学生として唐で学んだ空海が持ち帰ったのが「顔真卿」の新しい書法である。顔真卿の書風は感情を表に出した大胆なものであり、空海は『風信帳』などにその書法を取り入れた。
遣唐使の派遣が中止されたころから我が国独自の文化が発展し、延喜5年(905)の『古今和歌集』に代表される“和様の書”や“仮名文字”が発展・定着した。
取り入れた中国風の文化から我が国独自文化への転換である。その後、和様書は我が国の書の本流として多くの流派を形成しながら継承されていったが、鎌倉期から室町期に禅僧の交流によって中国の宋・元時代の書法が流入し、“墨跡”という日中混合の書法が生まれたのである。
書道においても禅宗によって精神的奥行なる有名無実な裏付けのない言葉遊びで権威づけしていくのである。有難がる人々もいるだろうが、くれぐれも金儲けに利用したりされたりすることの無いように祈るだけである。実に困った宗派である。もちろん「書」の芸術的評価は、宗教とは別次元であることは論をまたない。
“墨跡”は桃山・江戸期を通じて僧侶や漢学者らに受け継がれて唐様という流れを作り、和様と唐様は互いに影響し合うことなく我が国の書の二大潮流となった。
和様は筆をやや寝かせて構え、穂で紙面を払うように運筆することから字形が丸みをもって柔らかであり、一方の唐様は筆を立て気味に構え、穂を紙に突き刺すような運筆が多く、両者は対照的である。
今日の書道界が「漢字」と「仮名」に分かれて存在するのも“和様”“唐様”の思考が底辺にあったからではないかといわれる。“楷書”“行書”“草書”“篆書”“隷書”の五種の書体を漢字の五体という。
①篆書とは、紀元前13世紀ごろの甲骨文字から、秦の始皇帝が制定した小篆と呼ばれる書体までのすべての文字をいうが、文字は縦に長く曲線的で、左右対称の字が多い。現在では印鑑に用いられる文字として知られている。
②隷書は、紀元前3世紀ごろに生み出され、漢代には公用書体となり、2世紀中ごろの後漢時代に完成された。木材を組むような感じで文字が構成され、字形はやや扁平である。横画の収筆をはね上げるのが特徴で、身近なところでは紙幣に用いられている。
③草書は、紀元前2世紀ごろに篆書や隷書の速書体として生まれたといい、点画が省略されたり、続け書きされたりする書体である。行書に近いものから判読が困難なほど崩されたものまで多様である。
④行書は隷書の速書体として草書と前後して発生したと考えられる。点画が連続的に書かれ、日常最も広く使われる書体でもある。速く書けて読みやすい実用書体である。
⑤楷書は、中国・三国時代に生まれ唐の初期に完成されたとされるが、点画を省略することなく一画一画を区切って書かれた謹厳な書体で、今日の活字のモデルでもある。 
平安初期の三人の能筆家、『風信帖』の空海、『光定戒牒』の嵯峨天皇、『伊都内親王願文』の橘逸勢のことを“三筆”といい、同じく平安中期の三人の達筆家、『智証大師諡号勅書』を書いた小野道風、『離洛帖』の藤原佐理、『白氏詩巻』の藤原行成を“三蹟”と称されている。
次は「香道」である。辞書には「香木を焚いてその香りを鑑賞する芸道とある。組香・炷継香・一炷・香合わせ」などの種類がある。
仏のための供香から始まった香は、その後、室内や衣装にその香りを移してもてなしや身だしなみのグッズとなり、詩歌や物語、あるいは季節の風情と結び付いて我が国独特の文化へと発展していった。
香の歴史をみるとまず奈良時代以前においては、聖徳太子が活躍した推古3年(595)、日本書紀に、淡路島に香木が漂着したという記述があり、これが“香”に関する最古の記事とされるが、それより更に50年ほど前、百済を経て仏教が我が国に伝えられた際に仏像や経典と共に唐文化の一つとして香が伝えられたという説がある
香料を直接火で焚いて仏前を清め、邪気を払い、厳かな雰囲気を醸し出す「供香」として用いられ、宗教儀礼としての意味合いが強かった。正倉院の遺物をみればそうした仏教と香との関わりの深さを知ることができる。「美と香」は、仏教においても法説に結構用いている語であるが、残念なことに芸術とは直接結びつかない形での使用である。
平安時代に香料が多種輸入されるようになると香料を選んで練り合わせてその香気を聞く「薫物」が主流になる。
すでに 奈良時代の末期には、仏のための供香が貴族たちの住居に持ち込まれ、家庭でも香を焚く習慣が生まれていたというが、衣服に香をたき込めてその香りを楽しむ「移香」や「追風」「誰が袖」、部屋に香りをくゆらす「空薫」などが日常の生活のなかにみられるようになった。
鎌倉・室町時代になると武士が台頭し、それまで貴族が好んだ「薫物」に代わって香木の自然な香りが好まれるようになった。出陣に当たって、沈香の香りを聞いて心を鎮め精神を統一させたり、甲冑に香をたき込めて戦場に臨んだともいう。
また、足利義政のもとで志野宗信や三條西実隆ら文化人の手によって「六国五味」といわれる香木の判定法や組香が体系化されたのもこの時代である。六国とは沈香の分類の基準で、香木を産地別に分類した、伽羅、羅国、真那賀、真南蛮、寸門多羅、佐曾羅のことである。
五味は味によって香りの相違を知るもので、辛・甘・酸・苦・鹹の五つである。江戸時代には、“組香”の創作やそれを味わうための香道具の製作などが大いに発展し、庶民の間にも香道が浸透していった。
数百種にも及ぶといわれる今日の組香の多くはこの時期に創られたという。また、線香の製造工程が伝わったのもこの時期で、その手軽さから国内に一気に広がった。
さらに流派も多く、活動を停止したものを含め、今日では、三条西実隆を流祖とする「御家流」、志野宗信を祖とする「志野流」が主流となっているが、志野流の分流で米川常伯を祖とする「米川流」や、風早実種を祖とする風早流、古心流、泉山御流、翠風流などがある。香席におけるマナーもいろいろ考えられているが、略したいと思う。
 最後に盆石を見てみたい。日本人は古来、美しい風土の中で自然を愛し、自然と親しみ、人生と自然を融合させてきたといえる。日本人の自然観を黒塗りの盆上に表現し、床飾りとして独自の道を歩みつづけてきたのが盆石である。
 黒い盆の上に数寸の自然石を置くことで山々を表し、白砂をまき、羽根や小さなホウキで流れや波を描くことで、雄大な海や川を表す。このように盆石とは、自然がおりなす様々な表情を盆上に描くもので、日本古来の縮景芸術の一つである。
細川流の伝書に、『石術四躰』という言葉がある。『石術四躰』とは、「盆山」、「盆庭」、「盆石」、「景砂」の四つの形態を総称したもので、それぞれ発祥と由来がある。
その中で「盆山」が最も古く、推古天皇の時代に百済国より献上された「博山香炉」の鉢の上に「霊山ノ形ナシタル石ヲ据エ回リニ白砂ヲ敷ク・・・」と有る。
そして盆庭石(箱庭のようなもの)の時代を経て、足利八代将軍義政により、「盆石」という様式が確立される。有名なものに、銀閣寺の銀沙灘がある。庭師の能阿弥、芸阿弥が石庭のミニチュアとして盆石を使ったといわれている。
御所の文化として栄えた盆石を、現在ある様な形に完成したのは、茶人である武将の細川幽斎、三斎父子で、これより細川流盆石が誕生した。
江戸時代中期には、日本各地の景勝地を盆石で表現する、「盆山石図式」、「盆山百景図」等々、盆石の図版が発行され、「石」だけの時代から「砂」の時代へと移っていった。そして床の間の普及と共に床飾りとしても盆石は発展した。
 江戸末期、明治初年には、一時、盆石が衰退したが、勝野博園が盆石の興隆を願って明治四十三年に「かつらの巻(日本百景)」を出版した。博園は、江戸時代から伝わる後水尾天皇ゆかりの「勅伝」の本、「利休好み二十八景高砂の盆」などの古典の盆石を広く世に広めた。勝野玄鵬は、現代的手法を用いて、写実的な味わいを出す事や色砂を使って、「盆画」を考案した。
盆石は、時代と共に生き、家屋の変化と共に、洋風空間にも調和する多様な形式の盆石が作られるようになってきた。
 日本の伝統文化の素晴らしさはこれらの様々な技芸からも見て取れる。動中静、静中動の思考は、虚栄と権威と宝飾の衣を捨て去ることによって、人間の無作の生き様が見えてくる。ここにこそ、「道」思想の眼目があるのではないだろうか。芸術に無関係な宗教や学問の権威などまったく必要としてはならないのが、人間のために人間自身が創造した人間のための表現手段である芸術の存在価値である。



第4章 仏教と芸術

日本史をみながら宗教と芸術について考えて見たが、やはり仏教教義と芸術にはなんの関係も見ることが出来ないのである。
ようするに仏教が芸術を教義上必要とはしていないのである。それでも芸術を宗教に関係がありそうに語ったりして、権威づけたがる人が多くいる。現実とはこんなものなのだろうなとも思う。
飛鳥、白鳳、天平文化といった歴史に名を残す文化には、必ず国家権力の介在があったことを考えると、芸術が、政治的に利用価値があったのだろうと思われる。
文化には地域や民族といった小単位のものもあった。そして、このどちらにも芸術的な遺産があったと思われる。
芸術とは、国家とか文化とか宗教とか哲学とかには、本来的に無関係なのである。これらが創作活動の縁となり、それぞれで特色あるものになったとしても、極端に言えばこれらが一切なくても、それでも芸術は存在したと思う。それほどに芸術は、人間とって必要不可欠な存在なのだということである。
芸術は単に技術とは違い、人間の持たねばならない、表現手段の一つなのだろうと思う。だとすれば、なぜ仏教は、このような人間固有の表現方法をまったく無視してしまったのだろうか。
教説にも芸術についての説話はない。たとえば後述するが、色香美といった芸術に関係する感覚や六感、六根などにしてもおよそ芸術的視点が見られない。
色香美が三学に展開され、はては三大秘法に展開されるに至ってはなおのこと芸術的視点から遠ざかる。
コミュニケーションの表現手段として仏教はなぜ言葉と文字だけを重視したのかということである。
もちろん時代的な背景や科学技術などの発展など、今日とかなり様相は異なるとはいえ、当時でも壁画や絵画、彫刻、音楽、舞踏など様々な文化芸術は存在していたのである。
ハイデガーは「全ての芸術はその本質において詩作である」と言ったが、私は詩よりも音楽ではないかと思っている。すなわち詩さえも音楽的であり続けることによって芸術的であると。
仏法にも耳根得道の国という言葉がある。仏法を聞くことによって衆生が成仏得道する国のことで、娑婆世界をさす。十方世界の中で娑婆世界の一切衆生は、耳で法を聞いて成仏得道するのでこのようにいう。
法華玄義巻六下に「此の土は耳根利なるが故に、偏えに声塵を用う」とある。日蓮は、一念三千法門に「此の娑婆世界は耳根得道の国なり以前に申す如く当知身土と云云、一切衆生の身に百界千如・三千世間を納むる謂を明が故に是を耳に触るる一切衆生は功徳を得る衆生なり」と述べている。
それほどに音声や音楽は人間の生きざまに影響を与える存在だといえる。仏法はその音を言葉にして残す形をとったといえる。これを仏法では「経」という。経については後述するつもりである。
したがって仏法自体は芸術的発想ではなく衆生救済の観点から耳根を捉えていくのである。芸術の創作活動は、仏道修行ではないとするからである。
技術も芸術もそれで大成する人には、それなりの才能があったと言える。その才能は持って生まれたものなのか、あるいは後天的に具わったものなのか。モーツァルトの生い立ちをみると持って生まれた天性なのではと思いたくなる。
先天的に具わっているかもしれない才能などどうやって分かるのだろうか。人間のDNAに刻まれた各種の情報は、確かに一人の人間を作り上げているかもしれないがそれだけではないだろう。
文化的遺伝子(ミーム)やミラー・ニューロン、さらに後天的記憶媒体と言われる大脳皮質などの研究が進むにつれ様々なことが分かってきたという。
一人の人間の持つ才能は、これらの意識構造のなかで積み重なって形成されてきたのだろうと思う。
もっとも生命は、意識だけでは語れないのである。九識論だけでは有非情の生命論にはならない。有非情の生命観については生命論序説を参照してほしい。
日本仏教の歴史の中で本覚思想が流行ったことがある。日本天台宗が主として主張したことから、天台本覚思想とも言われた。悟りとは本来、自身に備わっているので修行をする必要はない。修行によってはじめて悟りを開くことができるとする「始覚」に対峙する概念である。
技術的進歩・成長など修練を重ねることによって獲得できるものは、さしずめ仏教でいう「始覚」といえるだろう。けれども人によっては持って生まれた才能が開花してしまうこともあるだろう。まさに「本覚」である。
なお「本覚」という言葉そのものは、金剛三昧経、仁王般若経といった経典や、実際には中国撰述説が有力である大乗起信論(馬鳴作と伝えられる)にみえる。「本覚」が独自の意味になるのは、平安中期以降の日本においてであった。
平安時代から日本で発展する本覚思想は、天台思想をも含む伝統的な仏教理念とはまったく対照的な考え方をとった。
本覚思想によれば人間の本性は仏そのものなのであり、成仏を目指しての修行は何ら必要もなく、現実をすべてありのままに受け入れることを説く。このような変革の努力を放棄した考え方には、宗教思想としての堕落であるといった側面をみることができる。
本覚思想に対して批判的立場を取った日蓮等鎌倉仏教の祖師に加えて、比叡山の宝地房証真という人がいた。
彼は日蓮と同様、本覚思想が理想と現実を一体視して、実際の修行を軽視する点に向けられていた。けれどもこうした批判は中世までは一部の思想家に留っており、それが全面的に展開して本覚思想が衰退するのは江戸時代になってからである。
草木国土にいたる全ての森羅万象に仏性が具わっているとはいえ、存在そのものが仏である訳ではない。もともと天台の一念三千の法門は、草木国土にいたる全ての森羅万象に十界(地獄界から仏界まで)が具わっている故に仏界を日常的に顕現する為の様々な修行を説いたのである。
縁に触れて仏界が湧現できたとしても日常的に定着させるのはかなりの困難さをともなうのが現実といえる。
当然、芸術にたいしても持って生まれた才能だけがすべてではないだろうから、芸術の世界で本覚思想のような思想に影響を受けるとは思えなかったのだが、調べてみると結構影響があったようである。
本覚思想は、芸術における才能ではなく生命に内在する仏性のことであり、この仏性はあらゆる存在に内在するから修行の必要はないとなるが、このような考え方は芸術に対する情熱と探究心、自分の才能に見切りをつけて諦めてしまう人もでてくるだろうと思われる。
生まれ持った才能といっても開花させるにはそれなりの修練により、技術や技巧を身に着けなければならないだろう。
ましておや元来、それ程の才能を持っていないにもかかわらず、ただただ好きだっただけでは、なかなか才能の開花はおぼつかないのが現実ではないだろうか。逆に、物凄い才能を秘めながら、見切りをつけてしまう人もいたことだろうと思う。
歌道の世界に及ぼした本覚思想の影響も無視できない。例えば室町時代の歌人である正徹とその門人の心敬は、その歌論において、歌の道を本覚思想に結び付けて論じ、歌のなかに「もとのさとり」、「もとの仏」といった形で詠み込んでいる。
さらに能や生け花などの芸道理論が構築されるにあたっても、口伝が重んじられるなど、本覚思想との深い関わりが推測される。
仏教では、キリスト教やイスラム教で説かれるような絶対者の観念は存在しなかった。仏とは宇宙に遍在する真理を他の人に先駆けて悟った覚者の名称にほかならず、そのため仏は救済者であると同時に、人間がそうなるべき最終的な目標であった。
しかし、原始仏教や部派仏教(小乗教)の段階では、一般の人間が成仏することは事実上不可能であるとされていた。
すべての人が仏性をもっており、それゆえ成仏が可能であることが強調されるのは、法華経や涅槃経を中心とする大乗仏教においてのことだった。
すべての人々に成仏の道を開放する法華経の理念に依拠しつつ、それをさらに体系化したのが中国の天台だった。天台は十界互具や一念三千論によって万人の成仏の可能性を明らかにした。成仏のためには、従来の仏教が説くように何度も生まれ変わって無限の修行を重ねることは不要であり、だれもが自身の心の実相を観ずることによって、速やかに悟りに到達できるとされたのである。
ところが本覚思想において、仏と人間の距離を意図的にゼロにしてしまったのである。このように、仏と凡夫という聖俗二極の概念をまったく一元的に捉える本覚思想においては、仏のいる浄土の理想境も現実の国土を離れて存在するものではなかった。
本覚思想にあっては、人間だけでなく心をもたない草木や国土にいたるまで一切の存在が、本来成仏の相を示しているとされたのである。刻々と生滅の変化を遂げるこの現実の姿こそが、永遠普遍の真理そのものなのであると。
それゆえ、国土が災害や社会悪によって地獄のような悲惨な様相を呈していたとしても、仏の目で見るとき、そこは浄土以外のなにものでもないとしたのである。
現実の絶対肯定の思想ともいうべきこの本覚思想は、十二世紀ごろから比叡山を中心に著しい発展を遂げ、最澄や円珍、源信などに仮託されたおびただしい数の本覚法門の文献が偽造された。
そうした文献は秘授口伝、あるいは切紙相承といった形をとって、師から弟子に密かに受け継がれた。そこでは生死即涅槃、煩悩即菩提といった表現がしばしば用いられ、絶対不二の立場が強調された。その思想は天台宗という枠を越えて、他の宗派にも影響を与えていったのである。
本覚思想の影響は、芸術や文化といった、より広い分野にも及んでいた。平安時代後期から、大和絵とよばれる日本独自の絵画様式が発展していく。
その代表ともいうべき平等院鳳凰堂(阿弥陀堂)の扉絵では、来迎する仏や諸尊の背景に、美しい日本の風景が描かれている。本覚思想では、草木国土悉皆成仏というスローガンに知られるように、人間だけでなく心をもたない草木国土にいたるまで森羅万象がみな仏性を具えており、成仏の相を示していると考えられていた。
われわれが日常目にする自然や事物をおいては、ほかのどこにも求むべき仏や浄土は存在しない。仏教をテーマにした絵画に美しい自然を描き、そのうちに仏や諸尊を溶融させるような技法が、本覚思想の世界観に対応するものであることは明らかであろう。
平安後期以降に発展する本覚思想の奔流に対し、敢然と反旗を翻したのがいわゆる鎌倉新仏教だった。
新仏教の最初の祖師とされる法然は、その主著・選択本願念仏集で、末法に生を受けた衆生はこの世で成仏することを断念して、念仏による来世の往生に救いを求めなければならない、と説いている。
仏と衆生を一体視する本覚思想に対し、法然は両者をきびしく区別しようとするものだった。(念仏によって西方極楽浄土にいきそこで境涯を高めてから法華経を学び、本当の成道に向かうことを説いた)
同じく新仏教の系譜に位置づけられながらも、日蓮は法然とは対照的だった。日蓮は死後の極楽往生を切望する念仏者を批判し、此土こそが唯一の存在実体であり、西方浄土などは幻想に過ぎないと断定した。そして、あくまで現実世界で解脱を追求すべきであると主張したのである。
ただし、日蓮は本覚思想とは異なり、当時の現実をそのまま寂光土であるという考えを認めなかった。立正安国論はその冒頭において、天変地災と飢饉・疫病によって、地獄の様相を呈する当時の状況をリアルに描写している。
悪法である法然の念仏によって災害が続発し、本質的には浄土であるはずの国土がその本来の姿を現わすことができないままに、醜悪な姿をさらしていると考えていたのである。
日蓮のいう安国が、娑婆即寂光の理念に基づき、あくまで現実の娑婆世界に仏国土を求めようとする点において、その思想は本覚思想に通ずるものがあった。
しかし、日蓮は現実をそのまま浄土と見ることなく、此土に建設すべき究極の目標として高く掲げた点において、本覚思想とは立場を異にしていたのである。
室町時代になると、さまざまな文化に対する本覚思想の影響はさらに顕著になる。吉田兼倶にいたって大成される唯一神道をはじめ、鎌倉時代の末以降の神道説では、もっとも根源的な性格の神がしばしば本覚神とよばれている。神を本覚とし、仏を始覚とするような反本地垂迹説もみうけられるようになる。
今日、本覚思想の評価をめぐっては、その絶対肯定の立場が現実の全面肯定を促し、社会の矛盾や悪政をそのまま容認する役割を果たした、という批判的な見方がある。
他方、本覚思想を仏教哲学のクライマックスとして、日本の芸術や文化に貢献した点を高く評価する立場も見うけられる。また最近ではエコロジーの観点から、自然と人間の一体を説くその論理が注目されている。
その際、日蓮をはじめとする鎌倉仏教が、本覚思想の影響を受けつつも、それを克服することによって、その宗教に現実否定の視点を導入し、実践性を回復したという事実は十分に考慮すべきだろう。
もって生まれた才能だけでなく、性格や人間性といった面でも人は様々な能力を発揮する。そのなかでも技術と学問の二極化は、かなり性格に影響されると思われる。
技術者と学者の違いは大きい。経済学を学び経済学者として生計を立てている人は、経済学者であろう。しかし、経済学を学んでも、数学者になったり、脳科学者に成ったり、文学者になったりする人もいる。すなわち学者とは専門分野を持たず、いま、何に関心があるかによって何の学者にもなれるのである。
芸術家は学者ではなく分野としては技術者と言えるだろう。したがって芸術家が芸術論を語ることは得意ではないのである。
技術者は専門を持っていて、他分野に向かうことはかなり困難なことだと思う。時には万能の天才などと呼ばれる人も居るかもしれないが、めったにいないと思う。その意味では、技術者と芸術家の違いはあまりないといえる。
それでは、芸術家と技術者とオタクの違いも考えてみたい。技術は後天的に身に付く特性あるいは習性なんだろうと思う。
いかなる仕事であっても二十年もやればそれなりの技術者に成れるだろう。しかし芸術家やオタクは、かなり潜在能力を発揮しないとなれないのだろう。
けれどもこの三者は、かなり専門的な分野に限られていて、生活のために役立つ収入を得るには技術者が一番かと思う。とはいえ技術者のなかでも職人気質が豊富な人もいるが、この人などは現代風に言えばオタクそのものであろう。
芸術や技術といった人間が成せる事柄について、ことさら強調して語るとき、そこに人間の成せる領域から超越していることによって、同じ人間から尊敬されたいとか、経済的利益を得たいとかいった意図を感じてしまうのである。
人は生きるために必要なさまざまなことを生み出した。芸術も技術もまたそうである。それ以上でも以下でもないのである。必要だから存在するものの事柄にすぎない。
私がコンピューターに関わってから半世紀近くが経った。今日のコンピューター技術の発達は、想像以上のネット社会を現出した。もっともコンピューター技術そのものはほとんど以前と大差はないように思える。
今日のコンピューター社会は、化学と工作機械の発達がもたらしたものだという印象をもっている。具体的に言うと接着剤、絶縁材といった化学技術に基板のハトメといった工作技術の成果だろう。コンピューターシステムやデータ伝送システムは、とりたてて発達しているようには思えない。
けれども現在のコンピューター社会を見て人間の能力の素晴らしさに感動している人も多々いることだろう。コンピューターを初めて作った人は、偉大な芸術家だという人もいる。もっともコンピューターは絵画や音楽と違って鑑賞する対象ではないが、新しい人間文化でもある。技術も芸術も人間が創造し、人間社会に根付いた術である。
ついでに一言述べておきたいことがある。それは、芸術家や剣術家がよく使う「無我の境地」についてである。この「無我の境地」なる言葉は仏典には存在しない。
「我」を自分自身の思いや個性と解釈して、自分を無くすことが芸術や剣術の最高の境地のようにいったりするがこれは、誤りである。
元来「我」とはバラモン教の教えであり、固定化した実体の意味である。詳しくは後章で述べる。仏教では縁起説を説くので固定化した実体の存在を否定しバラモン教を批判した。 
これが仏教の無我説である。それがいつのまにか、我が自分の個性の意味となり、個性に執着していては技術の成長はないとなり「無我の境地」をいいだしたのである。
確かに職人の技術を身に着けるために最初は真似することから始まるだろうが、有りもしない「無我の境地」なるものを持ち出して特別な修行が存在するかのように用いるのは単なる権威づけに過ぎない。
したがって西洋の芸術家に「無我の境地」などと言ったらきっとビックリして考えられないと言うと思う。
もっとも彼らの芸術論は、どうしても神に対する崇高な思いに向かうので似たり寄ったりなのかもしれない。
それは芸術だけでなく物理学においても同様である。宇宙における研究や発見の動機を「創造主としての神に対する崇高な思い」となる。
音楽もそうで「天体の音楽」という言葉から宇宙そのものが奏でる音も神が奏でる音楽となっている。
音に関しては仏法にもかなりの表現がある。経典の経の持つ意味合いを「一切世間の言語音声」とし、さらに三時(過去・現在・未来)に通じる時間と規定したりしている。菩薩にも妙音菩薩がいたり、音楽を奏でる衆生が出てきたりと様々である。
また六感(眼耳鼻舌身意)のなかで特に耳の効用を説く。耳根得道という言葉がある。成仏は耳より法を聞くことから始まると。当然、法を説く人がいる訳だが、その法を文字に表せば目から読むことになる。
けれども目から入る情報はすべてが真実ではないことが多いとも仏教ではいう。眼からの情報に惑わされるのも人間であろう。その意味において音楽とはまことに不思議な存在でもある。
 「すべての芸術は、音楽を指向する」と筆者は思っている。一枚の写真であっても、一個の彫刻であっても、その前後の情景とともに時間の流れと、音の旋律が聞こえてくるような作品に出合うことがある。
至福の時を感じてしまう自分がそこにいる。すぐれた芸術作品は、いかなる分野の芸術であっても音楽的であるような気がするのは、筆者のたんなる思い込みなのかもしれませんが・・・・。
目は光を、音は耳を必要としている。この光と音が人間に与える影響は大きい。そして芸術の大半が目と耳を必要としているのである。目や耳が不自由な人には芸術の一部は理解されないのかもしれない。これは芸術という人間の持つ表現手段に制約が存在していて多分に不公平なところがある。
目や耳が不自由な人でも人間生命の感得に制限はない。人間が神に近づくための芸術など人間に必要ない。芸術は、人間が人間として生きていくうえで意味を持ち、創造された表現手段でしかないのである。それは芸術家も技術者も同じで、それぞれが持つ専門分野のプロフェショナルではあるが、それ以上でも以下でもないのである。



第5章 直観と智慧

西洋の芸術を考えると哲学史のようになったりする。そして日本の芸術を考えると仏教史のようになったりしてしまう。
この哲学と宗教が、科学と近づいたり、遠ざかったりしながら今日のように生き残っている。芸術もまた同様である。科学万能の時代が来ても(たぶん来ないだろうが)やはり、哲学も宗教も芸術も生き残っていることだろう。
芸術という言葉は、利用する媒体や作品の形態によって絵画、彫刻、映画、音楽、舞踏、文学等々あるが、それぞれが芸術であり、直観的で技術的であることは間違いないだろう。
芸術を文芸と美術に分類したりするが、陶芸、建築、金属細工、広告などは、美の追求だけでなく実用的な目的を兼ねているといえる。
また芸術様式のなかでも、目的より実用的で美しい作品が創造されることもある。さらに実用的でないが素晴らしい芸術的作品を創造される可能性もある。なかには、作者の思いに関係なく評価拡大されることもあるだろう。
「真夏の太陽にきらめき千変万化する驚くべき色光を発している。真ん中に立ってぐるりと見回すと光の音楽で身体がゆらめく様な感じがする。これは自然の池ではない。誰もこんな池を見た事もないしこれからも見る人はあるまい。私はモネの眼の中にいる、心の中にいる」(モネの睡蓮に関する小林秀雄の文章)
この文章を読んで思うのは、作品を鑑賞する人は、ある意味同じ思いになっているのではないかなということである。
しかし文章で表現できるかというとそうでもないだろう。小林秀雄という知的な人物のなせる業だと思う。だからといって文章でこのように表現できる人だけが鑑賞者たりうるというのは言い過ぎではないかと思う。
作者にたいする知的情報や作品にたいする審美眼を養うことも大事だが、その思いを文章で表現できるのは、その人の能力、才能以外のなにものでもない。西洋の哲学者よりはるかに優れた芸術論を読む思いである。作者と作品と鑑賞者という異なる時空間において、鑑賞している現在を的確に表現していると思うからである。
思い通りに行かない人生にあって人々は、悩み苦悩する。洋の東西を問わず人間の儚さ脆さを苦難に遭遇するたびに痛感する。
行き詰まりと閉塞感に自身の宿業を思わずにはいられない。悩み苦悩するのは、若者だけではない。老老介護に疲れた人もいる。老後を一人で生きようとする人もいる。夢や希望を必要としているのは若者だけではない。西洋人は若者が芸術を語り、東洋人は老人が芸術を語る傾向にあるのは何故だろう。
いずれにしても人間が創造した芸術に期待するものは、神や仏の領域へと人間を導てくれる先導的な機縁なのだろうか。芸術にそんな力作用の存在を認めることが可能だと考えざるをえない人間の弱さに虚しさを覚える。
人間は本当にそんな弱い生き物なのだろうか。自然の摂理のなかで人間の持つ強さ、特質は、人間が生き抜くために必要な全てを持っているはずである。青年であれ、老人であれ人生を生き抜くために人生を、能動的に捉えられないはずがない。
そんな人間が必要性を実感して創造したものが芸術である。芸術を必要とする人間という不思議な生物について考えてみよう。
まず人間という言葉の意味である。動物学的には霊長類の一員とされていて、他の生物に比べて大脳が発達している。梵語ではマヌシヤといい、「考える存在」を意味していた。仏教では「聖道正器」といい、仏道修行をすることのできる素質をもった存在と。法華経法師品第十に「衆生を愍むが故に、此の人間に生ずるなり」とある。
仏教的に考えれば、仏道修行するために人間として生まれたことになるが、仏教をまったく知らない人は、どうしたらいいのだろうか。芸術が仏道修行の一つであるなら人類共通の道が見えてくるのだが、そうもいかないのである。
ただ、芸術が文化なら現代の三学(戒・定・慧が戒壇・本尊・題目となり現代的には文化・平和・教育となるというのが筆者の主張である)思想から言えば芸術も戒の一部になるかもしれない。
三学は仏道修行の規範であるから、まったく仏法と関係ないとは言えなくもない気がするが、かなりこじつけの感もいなめない。
日本人が美や芸術にどのように関わってきたのかその歴史的な背景を見てみようと思う。檀林という単語を聞いたことがあるだろうか。檀林とは、学問・芸術などを講じ談ずる所である。
仏教の場合は檀林と書き僧侶の学問所のことになる。檀林は栴檀林の略称で、学侶が学功を積んで大成し、栴檀のように芳香を放つことを期待する意味が含められていた。
談所、僧林、学林とも呼ばれ、わが国最古の檀林は、嵯峨天皇の妃、嘉智子皇后が、洛西・嵯峨に創建した檀林寺である。弘仁十四年、唐より義空を請じて檀林寺の開基とし、十二院をかまえて禅定の道場としたのである。その後、檀林の名は室町時代の末期に至って復活し、徳川時代の初期には、各宗が檀林を設けるようになった。
日本の文化は、仏教の影響を受けながらも独自の発達を遂げたといえる。その典型的な文化スタイルが道思想であろう。
和歌が歌道となり茶道や華道も生まれていった。神仏習合から本地垂迹といった社会風潮のなかで、知識人の間で流行った様々な技芸に対し仏教との関わりを持たせようとしたのである。
しかし仏教と仏像はまったく関係がないのに、仏像が信仰の対象になってしまっていく。釈迦の教法にも存在しない仏像が、多くの技芸家によって制作されるとその仏像を利用しようとする輩が出現してくる。そして仏教に関係ない方向に進む。
芸術家が大日や観音、阿弥陀の仏像を作ったり描いたりするのは勝手である。芸術家が仏像の創作活動に進むのは、芸術家の感性であってそれまで否定はしない。むしろ当然の行為でもあろう。
しかし神道や仏道に倣って技芸にも道をつけて格式や権威を持たせようとするのは誤りであるといえる。そしてこれ以降は、仏教とは名ばかりになって芸術も仏教も互いを利用するためにだけ使うことになる。
仏教の法の高低浅深など全く考慮せず、小乗経から大乗経や法華経も一括して仏教としか考えなくなっていく。茶道に至っては禅宗とは全く関係もないのに茶道の根底に禅思想があるかのように語るのである。
山上宗二の一期一会も千利休の和敬静寂も禅思想とは何の関係もないのである。いま、流行の「おもてなし」という標語も禅宗にはない発想で、日本人の国民性からくるものであろうと思う。
「全ての芸術はその本質において詩作である」と言ったハイデガーは、さらに「芸術の最高形式は詩である」という。芸術とは、いわば「真理を開示させる」行為であるとまで言い切る。西洋の哲学者の思いのなかにある芸術と詩の直観力に対する期待は、東洋人よりもはるかに大きいといえる。
ただ東洋における直観知の思考は、芸術に結びつかないのである。そこで直観知と智慧の違いについて述べておきたいと思う。特に智慧と知識の区別がつかない哲学者では、仏法の発想における智慧の意味は思いもつかないだろう。
東洋でいうところの智慧の発想は、西洋哲学にはないのである。智慧は仏と人間の統一にとって欠かすことのできない思想であるが、西洋における神と人間の統一は存在と認識により、神の存在は人間の直観による認識によると考えるからである。したがって直観と智慧の違いは単に知ることの方法論的違いなどではないのである。
直観とは、一般的に他の媒介や推論によってではなく、直接に対象を認知する働き、あるいは直接に認知された内容のことをさす。日本語では初めに「直覚」と訳していた。これは勘や第六感を含めることもできるからである。
哲学においては①感覚に基づく、認識の素材としての直観。カントはこれを経験的直観と呼び、これに我々の悟性による思惟が加わって対象の認識が成立するとした。
②あらゆる知識や推論の基礎にあるとされるアプリオリ(先天的)な直観。例えば「三角形は三本の直線をもつ」というような幾何学の公理。デカルトの生得観念、カントのいう時間・空間の純粋直観、フッサールの本質直観などもこれに含まれる。
なお教育学者ペスタロッチは直観の三要素として形・数・語(名称)を挙げ、これらが子どもにとって正しい自然認識の基礎となると主張したが、これは①と②の両方を含んでいる。
③真実在との合一としての、また認識の最高段階としての直観。プラトンにおけるイデアの直観、スピノザにおける神の直観知、シェリングの知的直観など。広義には、ベルクソンのいうところの純粋持続の把握、あるいは生命の躍動(エラン・ヴィタール)を把握する直観もこれに含まれる。
④インド哲学における「現量」もやはり直観に対する考察である。対境を分別したり、推量したりすることなしに直観的に知覚することである。対境を量知する二量(現量・比量)の一つとし、因明入正理論に「現量は、無分別を謂う。若し正智有あらば、色等の義に於いて、名種等の所有の分別を離れ、現現別に転ず。故に現量と名づく」とある。
すなわち概念作用に基づく推量知に対して、対象そのものの自相を直接的に認識する直観であり、世親(天親)等によって説かれた。
これらの直観に対し、智慧はまったく異なる概念と言える。そもそも仏教でいう智慧とは、事物・事象の是非・善悪を分別し真理を見きわめる生命作用として把握している。西洋哲学で言う直観は多分にこの智慧に近く感じるかもしれないが、まったく異なる概念なのである。
古代のインド哲学は、人間と世界、宇宙の根源へと思考を深める過程で、素朴な人格的神々を超えた実在を人間の内面と宇宙の根本に想定することになった。
人間の生命の内奥には、我(アートマン)という根本原理が存在し、人々はヴェーダの祭式を行なうことによって自己の内面に「聖なる我」を確立して行くことができるとした。
初期のバラモン哲学では、この「聖なる我」を増大させ、死後に天に生まれること(昇天)が人生の理想と考えられた。
さらに、後になると、輪廻説と我が結びつき、我は悪業と善業を蓄積し輪廻する主体と考えられるようになった。
バラモン教が宇宙の根本真理と同一な、常住不変の我を人間存在の奥底に見たのに対し、仏教はすべての存在はそれ自体として不変の実体ではなく、瞬間、瞬間に生起を繰り返すという「縁起」の理論から、無我説を説いた。
部派仏教、特にすべての言語や概念の対象は実体を持つと考える説一切有部は、まさにバラモン的な常住の我を認めるようになった。
また、後代の涅槃経のような大乗経典において、すべての衆生に内在する「仏性」を「大我」と表現する場合も出てきた。これらをバラモン教的なアートマンの考えが仏教に影響を与えたと見ることもできる。 
仏教内部でもこのような考えに批判が加えられ、竜樹は中論などで、破我(説一切有部の我実在論への批判)を行っている。
竜樹とは、150年~250年ごろインドに出現した大乗の論師である。梵名のナーガールジュナを音写して那伽曷樹那、那伽阿周陀那とも書き、漢訳して竜猛、竜勝ともいう。付法蔵の第十四祖でもある。
南インドで外道、小乗を破折し、大いに大乗仏教を興隆させ、優波提舎(大乗教の解釈・論議)をはじめ荘厳仏道論、大慈方便論、中論等を作った。中論は代表的著作とされ、このころ南インド・アンドラ朝のシュリ・ヤジュナ・シャータカルニ王を七年にわたり赤旗を振って折伏し、この王の保護のもとに新しい仏像芸術を移入して文化の華を咲かせた。
竜樹の中観論は天台宗に、中観論、十二門論、百論(竜樹の弟子提婆の著)は三論宗に、十住毘婆沙論は浄土宗等に依処として重用されたことから、八宗(倶舎・成実・律・法相・三論・華厳・真言・天台)の祖師と呼ばれ、中国、日本の仏教界に多大の影響を与えている。
竜樹の根本思想は空で、当時小乗教の因縁や戒律に執着していた民衆に、諸法の本性は無常であり、実体のないものであるとして、中論の八不中道、般若空の法理を展開した。日蓮は開目抄に「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず」と述べ、一念三千の妙法を竜樹も内心には覚っていたとされている。
仏教における智慧は、単なる認識作用とは捉えていないのである。すなわち諸法の実相を照らし、無明を破して悟りを得る働き、作用のことである。悟りとは、認識することではないということである。
六波羅蜜の中の智慧(般若波羅)にあたる悟りを導く基となるものが慧で、外に向かって働きかけるもの、発現するものが智である。悟りとは外に向かって働きかけることが前提になっている。一人で悟ればそれで終わりではない。したがって智慧は認識とも直観とも異なる概念なのである。
「智に依って識に依らざれ」とは、涅槃経に説かれている法の四依の一つで、仏の智慧によって、人師・論師等の浅識(知識)によってはならないとの意味となる。智は仏智のことでもあり、識は菩薩以下の浅い知識をいう。涅槃経巻六来性品第四の三に「智に依って識に依らざれとは、言う所の智とは、すなわち、これ如来なり。もし声聞の善く如来の功徳を知る能わざるあらばかくのごときの識は依止すべからず」とある。
また智慧とは、仏の境涯を得た身のことで仏の身体をいうのである。仏を尊崇する人々にとっては、自身の機根の違いとそれに応じる仏の説法の違いなどによって、種々の側面がとらえられる。そのため、種々の仏身が立てられてきた。
身とは梵語カーヤの訳で、身体、本質という意味である。その身に仏の境涯を得るとこの身が智慧と呼ばれることになる。
したがって智慧が認識作用といった精神的側面だけではなく身体そのものの名称となるのである。このことは直観という認識作用と大きく異なる概念でもある。
仏意は「ぶっち」とも読む。仏意の五重玄とは、仏の本意によって立てる名体宗用教の五重玄のことである。
修禅寺相伝日記に立てる総説の二種の五重玄(仏意、機情)の一つである。機情の五重玄が衆生の機根に応じて妙法蓮華経を説くのに対して、仏の内証を説くことを仏智という。
諸仏の内証に具わる五眼(仏・法・慧・天・肉の各眼)の体性を具え、またこれを五眼即妙法蓮華経とし、五智(法界体性智・大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智)に配している。
五智とは、仏がもっている智を五種類に分けたもので、無量寿経巻下に説かれていて、仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智をいう。
五智のうちの二つの智の働きが、芸術の持つ特質ともいえるかもしれない。一つは妙観察智。たくみに諸法(外界)を分別(観察)して衆生(人間)の機根を観察し、説法して疑を断ずる智(作品)のこと。また成所作智。自利・利他の業を成し遂げる智のこと(作品を通して自身の感じるものを自身のために制作し、また人々にも啓蒙する)とこじつけてみた。
しかし仏法からみた芸術の持つ働きは、ここまでともいえる。芸術を否定するのではなく、芸術よって表現される限度ともいえる。
ゆえに仏法は、芸術という人間の智によって創造された行為の存在に対してその素晴らしさとともに限界を規定しているともいえる。すなわち芸術作品およびその行為それ自体では、生命の本源を見抜くための智とは言えないという意味での限界である。
縁覚の衆生の悟り(智慧)は自利に走る傾向にある。そして芸術家もまたその傾向性を持っているように思えるのである。自分の悟りは自分のためで、他人がその作品をどう評価しようと気にしないといった人もいるだろう。
まさに智慧の慧の部分のみで外に働きかける智がない。これでは、本当の智慧とは言い難い。芸術の社会性、公共性は、菩薩の行為とともに考え直さなくてはいけないのではないだろうか。
仏法哲学に対する理解は別にしても智や慧、識とかにたいしても、かくのごとく掘り下げて思索されてきている。
芸術の修養と仏道の修行の違いは、はっきりしている。仏教は、芸術や技術といったことがらを初めから仏道修行の対象にしていないのである。
現実社会に生きる生身の人間としての側面が生身、色身と呼ばれた。また、内に悟った法の側面が法身と呼ばれるようになった。
部派仏教では、その法を構成する項目を分析し羅列したが、この法身についても、戒・定・慧・解脱・解脱知見の五分法身など、仏が具えている特性(功徳)(属性)を羅列してとらえた。
密教では、自性法身、受用法身、変化法身、等流法身の四種法身を立てる。仏の永遠普遍の本性である自性法身は、さらに、覚りの真如の理体そのものである理法身と、それを覚知する智慧である智法身に分けられる。
理法身は法身に、智法身は報身の智慧身の側面である。法の功徳を享受する受用法身は、自受用法身と他受用法身に分けられる。
大乗仏教では、菩薩思想の発達とともに、長遠な菩薩行によって得た、優れた特性を備えた仏の側面が考えられた。また、永遠性と具現(現実)性の二つの側面をつなぎまとめるものとして、永遠に存在して人々を救済する功徳を具える仏身が説かれた。これが報身としてとらえられる。
4世紀から5世紀ごろには、世親らの瑜伽行派(唯識学派)が、仏身について総合的な説である三身説をまとめた。この三身は、法身あるいは自性身、報身あるいは受用身、応身あるいは変化身である。
このうち法身・自性身は、仏の永遠普遍の本性としての法の側面をいう。部派仏教とは違い、項目羅列的なものではなく、法性・真如などの普遍的根源的なものである。
報身・受用身は、因行による功徳を自身が享受する側面であるとともに、他をも教化して享受させる側面をいう。このうち前者を自受用身、自受用報身といい、後者を他受用身、他受用報身という。
応身・変化身は、永遠普遍の法が衆生の機根に応じて姿かたちを変化させて応現する側面をいう。この三身説では、法身・自性身は永遠普遍のもので法界(現象・存在のすべてを包摂する世界、全宇宙)に遍満するものとされ、それが衆生の機根に応じて他の二身が生じると考えられた。
報身・受用身は、仏としての功徳を自身と国土に実現しているものと考えられ、種々の特徴によって荘厳された身体をもち浄土に住するとされる。
中国の天台大師智顗は、摩訶止観巻六下で「境に就いて法身と為し、智に就いて報身と為し、起用に就いて応身と為す」述べ、覚りの対象となる真理に即する面が法身であり、その真理を覚知する智慧に即する面が報身であり、その法と智慧が縁に応じて現実社会に生起した慈悲などのはたらきに即する面が応身であるとしている。
ハイデガーの芸術論における「真理の開示」という芸術の働きに近い考えが、三身のうちの報身ともいえる。もちろん芸術家が持つ直観が、報身の働きだとは単純に言えないが少し無理矢理に結びつけて言えばそうなる。
その上で、この三身が一身に分かち難く具わるものであるとする。また、報身には、自受用報身と他受用報身が区別される。自受用報身とは、自ら内心に証得した法の功徳を受容する身である。
これに対して、他受用報身は、他者を利益するために示す身である。この他受用報身は、仏が衆生を救済するはたらきを示すものであるので、応身としても位置づけられる。ただし、報身は、初地以上の菩薩という機根の調った衆生に応じて諸経典で示された荘厳な仏身であり、応身の中でも勝応身と位置づけられ、それ以下の機根の衆生に応じて示された劣応身とは区別される。
直観と智慧は、仏教においてはかくのごとく異なる概念なのである。悟りを導く基となる慧だけでもこのような解釈がなされている。さらに外に向かって働きかける、発現する智と相まって智慧は、仏と人間の無差別を説くことになる。
直観が芸術と深く関わりながら人間の側から仏や神の存在を意識するとすれば、智慧は仏と人間という差別を取り払いつつ、人間生命に具足する仏の側面を生身の人間に発現する力用となる故に単なる作用ではなくなるのである。したがってその人間が創造する芸術も智慧の能動的発現性の一つになるのだろうと思う。
とはいえ仏法的には、直観そのものを直接仏道修行とは結びつけていないということになる。というより直観力が仏道修行にとって絶対必要な力とは考えていないのである。
対境を分別したり、推量したりすることなしに直観的に知覚するといっても概念作用に基づく推量知に対し、対象そのものの自相を直接的に認識するだけの知に過ぎないといった評価である。西洋哲学と仏法の思考はかくのごとく異なるのである。
東洋の場合は、芸術と言わずに美術と言うらしい。美術は美を創造する技術となる。したがって芸術は、技芸術となるが、仏教とは直接の関係はない。
仏教美術というのは、仏教思想を絵画や彫刻、建築に反映させようとした芸術家の技術的な努力ではあるが、それはけっして仏教そのものを表現しようとしたのではないだろう。仏道への入門あるいは崇拝の気持ちを表現したものに過ぎないのである。
芸術家自身も自分の描いた絵画や彫刻によって衆生が成道できるなどとは考えてもいないであろう。にもかかわらず、絵画や仏像が信仰の対象になっていくのは、あたかも仏像を拝むことが仏道修行であるかのように仕向けた宗教家たちの思惑があったからに過ぎない。
そのことに慣れると今度は様々なグッズを製品化させていく。布施だけの収入から物品販売収入が増えていく。宗教や芸術を商売に替えていく方法はいずこの地でもいずれの時代でも変わりないといえる。
日本の芸術も西洋の美学も仏や神と勝手に結びつけることによって権威づけがなされてしまったのである。
芸術や文化そのものは、神や仏とは、なんの関係もないのである。なぜか人間は、絶対という言葉が気になってしょうがないのだろう。また超という言葉も好きみたいである。人間があまりに不安定で頼りないからなんだろうか。それともそんな人間の性質を利用してなにか良からぬ企みをしたがるのだろうか。詐欺まがいの犯罪が横行したり、不安につけ込む詐欺と大差ないと感じるのは私だけだろうか。
仏教哲学に対する理解はさておいても、美術や芸術を仏教や哲学と無理やりに結びつけたりして語るということの違和感だけは感じてもらえたのではなかろうかと思う。



第6章 仏教の美意識観

冒頭の「宇宙・自然は、流転する事象のみがある。実体的で固定的な「美」は存在しない。「美」があると思うのは、「美」が実際にあるからではなく、苦を倦みだす「美」への執着の故である」とは筆者の言であるが、仏教も同様だと思っている。
人間の心にある美への執着が人間に苦を生み出しているのだが、人間は実に様々な事柄に執着する生き物である。
別の見方をすれば、この執着が芸術の進化にも繋がり、人間文化に果たした芸術の功績は大きいと言えるかもしれない。
そもそも仏教に一体どんな美意識があるのだろうか。釈尊の夫人は当代随一の美人と言われたそうだが。法の偉大さを味わうときに美味と言ったりしても美そのものに法的価値を認めている訳ではない。大乗仏教が美に対して特段の位置づけをしなかった理由でもある。美はあくまでも比喩的意味合いとして用いられている。
芸術という表現手段に用いられるところの眼耳鼻舌身意という六識の持つ特質は、単に意識の問題ではなく個人固有の業として智慧とも深く関わりをもって説かれているのである。
したがって芸術作品の持つ意義もまた、仏法から見れば人間の智と慧と識から新たな視点が見えてくるのである。
芸術という人間の感性から生まれた表現手段の素晴らしさは当然、認めるところではあるが、かといってそれが、仏意であるとか真理の開示であるとかというものではない。
仏法と芸術の関係は、それほどに別次元なのである。仏教美術が、仏法に深く関わりをもっているかのように解説すること自体、たんなる誤りといえる。
そもそもたとえば観音菩薩の顔が、菩薩像のようであるなどなんの保障も証明もされることはない。作者の勝手な創作と思い込みに過ぎないのである。
西洋における天使もそうだが、子供の顔と羽根を持つ生物など存在しないだろう。迹化の菩薩や天使もそうだが、これらは、生命次元の力用、作用の別表現なのである。
それを絵画や彫刻という素材で表現しようと試みた人間の思惑なのである。とはいえこれらの作品を拝するとき、その出来栄えに感心するのも事実である。天使はやっぱり可愛い方がいいし、菩薩は優しく慈悲深い印象を与えた方が好いだろう。般若のような観音でも、炭鉱夫のような顔した天使では、飾り物にもしたくなくなるだろう。
仏教の美意識について考えて見ると一つの視点が見えてくる。それは、仏の慈悲が最も美しいというものである。因縁説やその他の各種の分析論は、その仏の慈悲を衆生の生命と心によって感得する可能性を解説しているように見える。
もちろんこれも芸術的に美しいといった意味ではない。ただ最も美しいと比喩される仏の慈悲を顕現できる、そんな可能性を秘めた衆生とは一体なんなのだろうか。そして生命と心とは何か。ここにこそ仏法の本源的な問いがあるのだろう。
仏教には、直接的に現在の芸術にあたる教法はないが、人間の持つ様々な感性に対する思考がある。その一つに十二因縁がある。梵語プラティーティヤ・サムトパーダの訳語である。 
仏教で説く縁起説(因縁による生起の意。因縁生、縁生と訳される。一切のものが、事物の因と縁によって生ずること)。仏教における縁起の基本となるものは十二因縁である。
十二縁起ともいう。この十二因縁は、一に無明、二に行、三に識、四に名色、五に六処、六に触、七に受、八に愛、九に取、十に有、十一に生、十二に老死の十二をいう。この十二因縁を三世に配当して連鎖のように連なり生死を流転することを説き三世両重の因果を説いていく。
十二因縁の一つ一つは、人間が生きていくうえで生じる様々な感性を意味しているといえる。これらはなにも三世に配当しなくても、今世において人間が一生のうちで感じる個人固有の業より固有性を持って発生する。この因縁が芸術への志向性を人間にもたらしてくれるのである。これを業感縁起ともいう。
そしてこれから発展して、大乗の唯識法相によって立てる「頼耶縁起」が説かれたのである。頼耶とは阿頼耶識のことをいう。潜在意識とか潜勢力の意となる。すなわち過去の経験の総和としての潜在意識によって、現象世界が顕現するという唯心的な縁起論である。 
唯識とは、梵語ヴィジュニャプティ・マートラターの訳である。己心の外にあると思われる事物・事象は、ただ心の認識によって映じ出された表象のみであるとの意味である。
あらゆる事物・事象(万法)は、心の本体である識が変化して仮に現れたものであり、ただ識のみがあるとする大乗仏教の一学説でもある。人間の一生のうちで感じる幸不幸といった情感も心の認識によって生じるという説である。
唯識では、従前の部派仏教で主張されていた六種の識(眼、耳、鼻、舌、身、意の六識)のほかに、認識の元となる種子を蓄え熟させ認識の根本を担う心(心王)として、阿頼耶識(蔵識)を立てた。
阿頼耶識から、根源的な自我執着意識である末那識を分立させ、八識を立てる説もある。さらに清浄と染汚が並存する阿頼耶識よりも根本に清浄な阿摩羅識(根本清浄識)があるとし、九識を立てる説もある。
智と慧と識についての様々な教説は、芸術論における人間の五官だけの技術論では捉えられないところの問題を提起しているのである。
さらに生命機能の一部である六官、六根、六境、六識、六触、六欲がすべて芸術という人間にとって必要な表現手段の一つを可能にするのである。そう考えると人間の芸術活動そのものも六欲の一つには過ぎないのではないだろうかと思ってしまいそうになる。けれども思いを形に表わすことは人間が生きていくうえでとても重大な行為であると思う。
そこで芸術の創作に必要な人間の感覚器官について仏教の見解を見てみようと思う。五塵の境という言葉がある。五根(眼・耳・鼻・舌・身の五つの感覚機能・器官)の対象となる五つのものという意味である。色・声・香・味・触の五つをいう。倶舎論巻一の新訳には「五境と言うは、即ち是れ眼等の五根の境界にして、所謂色・声・香・味・所触なり」とある。
芸術作品を創作するのに必要なこれらの五境は五根の所縁となって煩悩を起こしてしまい、人間はそこで悟りを開いた気分になってしまう傾向にある。これを煩悩という。
それですめばいいのだが、この煩悩が五欲を起こしてしまうから厄介なのである。真理を汚染することがちょうど塵埃のようであることからこのような煩悩を五塵といわれるのである。
この五塵の境が起こす欲望を五欲という。色欲・声欲・香欲・味欲・触欲の五つである。大智度論にあり
① 色欲とは色彩・形状・男女などに対する欲望
② 声欲とは楽器の音色・男女の歌詠などに対する欲望
③ 香欲とは芳香に対する欲望
④ 味欲とは一切の飲食・美味などに対する欲望
⑤ 触欲とは男女の肌・柔軟な衣服などに触れようとする欲望。
また大明三蔵法数では、財欲(全ての財宝を貪むるという欲望)・色欲(色彩・形状・男女などに対する欲望)・飲食欲(食欲など)・名欲(名誉欲のこと)・睡眠欲(怠惰・放縦のためただ睡眠に耽ろうとする欲望)の五種をあげている。
人間にとって芸術の創作活動に必要な五根にたいしても仏教は、人間生命と法との関連で思考する。
雑阿含経巻二十六等では、煩悩を抑え、悟りへ導く五つのすぐれた働きのことを五根という。この場合の五根は、信根(三宝・四諦を信ずること)・精進根(勇猛に正法を修すること)・念根(正法を憶念すること)・定根(心を一境に止めて動揺しないこと)・慧根(真理を思惟すること)の五つをいう。
今は芸術に関連したことだけ考えようと思う。まず六根である。六根とは、眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根の認識作用を起こす色境、声境、香境、味境、触境、法境の六種類の対象をいう。これを六境という。六根は六境を縁として六識を生ずる。
たとえば、眼根は色境を対境として眼識を生ずるのである。この眼根には五種ある。物心にわたって物事を見極める五種の眼のことで、肉眼(さえぎるものがあれば見えなくなる人間の肉体に具わった目)・天眼(昼夜遠近を問わず見ることができる天人の眼。禅定を修した人がこれを得る)・慧眼(真空無相の理にたって物事を判断する二乗の智慧の眼)・法眼(衆生済度のために一切の事物・事象を判断する菩薩の智慧の眼)・仏眼(一切の事物・事象を三世十方にわたって見通す仏の智慧の眼)をいう。
日蓮は開目抄で「諸の声聞は爾前の経経にては肉眼の上に天眼慧眼を備う法華経にして法眼・仏眼備われり」と述べている。
芸術家や学者等が到達する境涯は、天眼・慧眼までであるが、それでもどちらの眼もそれなりに魅力的であるのは確かであって活かし方によっては、様々な人々に影響を与えることだろう。
色境には顕色と形色とがあり、顕色には、青、赤、黄、白、雲、烟、塵、霧、影、光、明、闇の十二種があり、形色には、長、短、方、円、高、下、正、不正の八種がある。
声境には、有情より発する有執受の声とそうでない無執受の声とがあり、そのおのおのに、それぞれ有情が何か刺激を与えて発する声と、自然に発する声とに分かれる。
香境には、好香、悪香、等香、不等香の四種類、味境には、甘、酢、鹹、辛、苦、淡の六種類。
触境には、地水火風の四大種と滑性、渋性、重性、軽性、冷性、飢性、渇性の七造触、合わせて十一種類、法境には、色受想行の四蘊と虚空、択滅、非択滅の三無為、合わせて七種類があるとされている。
六根、六境、六識を合わせて十八界といい、六根と六境を合わせて十二入という。認識の主体が迷いの境涯である時、六境は六根をして煩悩を起こさせ、生命を汚染し、功徳の財を奪ってしまう。そのために六境は、六塵、六盗、六賊とも呼ばれる。
次に意識についてである。仏教では心の働きのうち、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識という五種の認識作用を説く。眼・耳・鼻・舌・身(皮膚)の五つの感覚器官(五根)が色(色・形)・声(音声)・香・味・触(寒暖・柔軟などの物質の触覚)というそれぞれの知覚対象(五境)に眼・耳・鼻・舌・身の五種の認識作用が生じるとする。
部派仏教では、法(存在・現象)を知覚の対象とする意識と同等に五識を扱い、合わせて六識とする。大乗の唯識思想では、五識で得られた知覚・認識に基づいて、内面的な思考・感情を担う六識が起こるので、六識に先立つものとして、前五識ともいう。
ただし、六識には、五識によって起こるものと、夢や禅定での知覚など五識から離れたものがあるという。
根本の煩悩である無明の力によって迷い(不覚)の心が起こることから業識という。迷いの心が起こってそこから事物事象を知覚する働き(意∥末那識)が現れるので転識という。
阿頼耶識から認識の対象(境界)となるあらゆる事物事象(一切法)が現れてくるので現識という。その一切法に対して、迷いに属するものと清浄な悟りに属するものを区別するので智識という。
瞬間、瞬間の生命が次の瞬間の生命を生み出し相続していき、過去の行い(業)の影響が種子として蓄えられて失われず現在・未来においてそれが成熟して果報となって現れるので相続識という。
このような仏教の思考は、単純に目や耳から入ってくる情報にたいしても六感すべてが関係していることを意味している。当然、芸術作品も同様で表現資材の種類にかかわらず生命全体の持つ不共業、生きている時代、環境そのものの持つ共業に影響され、支えられているということである。
 したがって十二因縁や六感等で感じる美意識もまたすべて仏界の生命を志向していると考えるので、ある意味において人間の持つ美意識は、仏の慈悲へと向かうといえるかもしれない。
しかしこの場合も西洋哲学的な美意識とはあきらかに異なるのである。仏教的には美意識の存在は認めても美意識そのものが仏道に向かうことはない。
仏教の原理に衆生がよく仏の応現を感じ、仏がよく衆生の機感に応じて互いに通じあうことを感応道交というものがある。
感は衆生の機感、応は仏の能応、道交は感と応が相通じて一道に交わることである。天台の摩訶止観巻一に「問う、行者自ら発心するや、他、教えて発心せしむるや。答う、自、他、共、離、皆な不可なり。但だ是れ感応道交して、発心を論ずるのみ。子の水火に堕つれば父母騒擾して之れを救うが如し」とある。
また感とは九界であり、応とは仏界であり、感応道交とは九界の衆生の智は仏界を境とし、仏の妙智は九界の衆生を境として、境智冥合することである。
日蓮仏法においては、末法今時に約して、感応道交とは三大秘法の本尊に向かって事行の題目を唱えることとなる。
 観心本尊抄文段に、如来滅後五五百歳始観心本尊抄の題号に多意を含むことを明かしている中に「四には事行の題目を含む。謂く『如来滅後後五百歳に始む』とは、即ちこれ末法事行の始めなり。『観心本尊』とは、即ち事行の題目なり。謂く『観心』即ちこれ能修の九界、『本尊』即ちこれ所修の仏界、十界十如既にこれ分明なり。豈法の字に非ずや。九界・仏界感応道交、能修・所修境智冥合し、甚深の境界は言語道断、心行所滅なり。豈妙の字に非ずや」とある。
本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えるときに、本門の本尊、すなわち仏界と、九界の衆生の生命が感応道交し、即身成仏を現ずることができると説く。
感応とは一つには心が感じ応えることであり、二つには衆生がよく仏の応現を感じ、仏がよく衆生の機感に応ずることとなる。
仏法でいう感応は二番目の意味である。声がこだまとなって応ずるように、天の月が池の水にその影を映すように、衆生の生命と仏の生命とが、互いに通じ融合することをいう。
感は衆生のほうからいい、応は仏のほうからいう言葉である。末法においては、衆生が御本尊に題目を唱えるとき、感応の原理によって、我々の身体の中に仏の清らかな力強い生命力(仏界)が涌現すると説く。
また感応妙とは、感と応の相通ずるさまが妙であることをいう。法華経迹門十妙の第六。天台大師の法華玄義巻六上に説かれる。
感応とは二つのものが互いに感じ合うことをいう。特に衆生の機根(感)と、それに応ずる仏の化導のはたらき(応)が相通じて妙であることをいう。
法華玄義巻六上に「果智は寂にして照らし、感有れば必ず彰る。故に感応妙を明かすなり」とあり、法華文句巻四上には「衆生に此の機有って仏を感ず。故に名づけて因と為す。仏は機に乗じて応ず。故に名づけて縁と為す」とある。
なお、法華玄義巻七上には本門十妙を説くが、そのなかに、本仏と衆生との感応が妙であることを示す本感応妙が説かれている。
作者は感、作品は応。鑑賞者は感、作品は応。人間は感、自然は応。有情は感、非情は応。そして有非情は相即する。有情の生命状態を非情が感じて、有情に応じて融合する。非情と非情の間でも成立するのだろう。
生命状態の異なる二つの作品が並んで展示されると、どちらかに影響されていくことも考えられるのである。当然のことではあるがこの原理は、有情と有情の間でも成立する。
すなわち人間と人間の間で巻き起こるコミュニケーション原理でもある。人間間のコミュニケーションに関しては、執筆中である「コミュニケーション革命」で詳説する。そしてこれが仏法の有非情の生命原理なのである。
あらためて重ねて言うが、感応とは、仏と衆生との問題であって、作者と作品のことではないが、このような仏法の生命原理を芸術という人間の行為のなかに類似点を見出そうとすると、単なるこじつけと言う人もいるだろうと思う。
それでもあえて言うなら、人間の芸術行動を単に精神衝動で片づけてしまうよりはましなのではないかと思える。
さらに重ねて言っておくが、それでも芸術行為(行動ではなく仏教用語である行為を使う)は、仏道修行ではなく、人間の持つ表現手段の一つであって目的になるものではない。
音楽芸術に関連して仏教でいう音や声についても考えてみたい。仏教でいう音声とは、有情・非情を問わず万物が発する音、声をいう。
法華経法師功徳品第十九に「是の清浄の耳を以って、三千大千世界の、下阿鼻地獄に至り、上有頂に至る。其の中の内外の種種の所有る語言、音声、象声、馬声、牛声、車声、啼哭声、愁歎声、螺声、鼓声、鐘声、鈴声、笑声、語声、男声、女声、童子声、童女声、法声、非法声、苦声、楽声、凡夫声、聖人声、喜声、不喜声、天声、竜声、夜叉声、乾闥婆声、阿修羅声、迦楼羅声、緊〓羅声、摩〓羅伽声、火声、水声、風声、地獄声、畜生声、餓鬼声、比丘声、比丘尼声、声聞声、辟支仏声、菩薩声、仏声を聞かん」とある。
日蓮は一切の音声の体について一念三千の法理のうえから「法界の音声・南無妙法蓮華経の音声に非ずと云う事なし云云」といい、また「経とは一切衆生の言語音声を経と云うなり、釈に云く声仏事を為す」という。
これは章安の玄義の私序王に経を釈して「声、仏事を為す、之を称して経と為す」とある。この釈を受けて妙楽は「声仏事をなすとはしばらく仏在世の声教に約すが、義は滅後に通ずる故に名づけて経となす」。
三世常恒なるを経といい、仏は常住にして滅することなく、法を説き続けていることになる。また妙法の悟りに約していえば、衆生と仏とは一体不二の故に、一切衆生がそのままの姿で発する言語音声もすべて経となる。
経とは梵語スートラの訳で修多羅、蘇多覧とも音写する。三蔵(経蔵・律蔵・論蔵)の中の一つであり仏の説いた教法のことでもある。また経典、経文ともいう。一切経、大蔵経は経・律・論を含めた呼称で、経はそのなかでも根本となる。蓮華と経は、時空間との関わりにおいて欠かすことの出来ない原理である。
すべての芸術は音楽的であるだけでなく人間存在の時空間に関わっているのである。ゆえに仏教は、人間の六感のなかでとくに音声に重きをおくことになるので、ことさら美や技芸に関する説法は必要なかったといえる。
私の好きな画家であるホイッスラーの言葉に「音楽が音の詩であるならば 絵画は視覚の詩である」がある。音楽を絵画で表現したいとした異質の画家である。
ベートーベンやワグナーが切り開いた革命的な音楽の世界を間近に見た19世紀から20世紀を生きた画家は、絵画の世界でも革命を起こしたかったのだろうか。自身の絵にノクターン、シンフォニー、ハーモニーといった音楽の用語を用いたのである。
そして「音楽家が和音を作り、壮麗なハーモニーを生み出すように、芸術家は色や形の要素を調和させ美しいものを生み出す」と。彼はまたジャポニスムでもあったらしい。
浮世絵に影響を受けたといわれているが、わたしの印象は、何か一つのものに影響されたというより存在するあらゆるものから、常に何か新しいものを探究しようとした画家だと思う。
人間が自然の景観に感動したりするのは、非情の生命状態と有情の生命状態が感応するからである。この原理は、芸術作品と人間の間でも起こる。
作者の生命状態が、作品に蓄積され鑑賞者との間で感応が起こる。簡単に言えば作者と鑑賞者は作品を介して同じ生命状態になる、あるいは同じであったときに感応は生じるのである。
そしてそれだけではない。鑑賞者の生命状態が作品の生命状態を変えることもあるし、反対に作品が鑑賞者の生命状態を変えることもある。
生命状態が蓄積されることにより時代を超えて作品が、鑑賞者に感応をもたらすという。この生命状態を現代的に言えばエネルギーの相互関係ともいえるかもしれない。
もちろんこのエネルギーは、物理学的に把握されているエネルギーではなく、生命的なエネルギーを想定していることは、論をまたない。
作者のエネルギーが、作品に蓄積され、そのエネルギーが鑑賞者に影響を与えるといえる。人によっては感応が、感動になり歓喜になり時にはまったく逆の感情を引き起こすこともある。
作品にエネルギーが蓄積されるとはいかなる原理なのかというと、作品という非情の生命に存在する十界の因果における果報である。この果報を生命論的に表現すると生命の位置エネルギーといえる。
仏法でいう境界、現代的にいえば境涯に近い考えである。九識論における第八識に蓄積されるとともに因果の果報に蓄積されていく。唯識では有情の識に蓄積される原理を明かしているが、一念三千の生命原理は、有非情の因縁果報にわたる連鎖となる。そしてこの有非情の原理は人間と自然の間でも成立する。
筆者は、これをもって芸術の定義をしておきたいと思う。すなわち芸術とは「人間と自然、人間と人間の間に生じる感応の原理によって創造された作品およびその行為」であるとしたい。
そしてこの人間が人間のために創造した行為を「感応の芸術」と名づけるのである。自然と人間の密接な関係を生きざまの中で実感してきた人間にとって、ことさら取り立てて語る必要はないのかも知れない。
人間は自然のなかでしか生きていけないが、自然は人間がいなくても存在し続けることが出来る。その関係は、自然の家主に対し借家住まいの人間といったところかも知れない。
当然そこには自然契約が存在すると考えても可笑しくないだろう。ともに生きる道を選んだ訳で、生存のルールといったものが存在するのではないだろうか。自然との共存共生の契約あるいは約束事でもある。
この視点を社会契約、国際ルールの中で活かせる方途は、まず自然と人間を根底においてそのうえに平和・文化・教育の理念を据え、その上に政治・経済・外交等を置く思考である。
単純な上部・下部構造といった関係ではなく根底に何を置くかが肝心要であるいう思考である。現実にはすべてに根底に政治・経済があるかの如く振舞うことが、政治家や指導者の大いなる過ちなのであり不幸の連鎖の元凶なのである。





芸術論序説 第二節

芸術論序説 第2節 人間と自然と芸術
第1章 有非情の概念と芸術
第2章 有非情の人間と芸術
第3章 業と共業の芸術存在
第4章 不二の空間論と芸術(未掲載)
☆彡少々訳があって掲載は当面見送らせていただきます
第5章 依正不二の人間と芸術(未掲載)
☆彡少々訳があって掲載は当面見送らせていただきます
第6章 色心不二の人間と芸術(未掲載)
☆彡少々訳があって掲載は当面見送らせていただきます



第1章 有非情の概念と芸術

草木国土に関連して仏教には、有非情という視点がある。そこで有情と非情の違いを芸術に関連した事柄で考察してみたいと思う。芸術も作品も非情界の存在であるが、創造する人間は有情界の存在と仏教では規定されている。
当然、自然は非情界の存在となる。「文は人なり」といった言葉があるが、有名な文学者の作品と著者の人間性が一致しないこともままあるように思える。(人格や人間性という言葉については価値論序説で述べておいたのでここでは略す)
序文で紹介したゲーテの「芸術の本質が個性的自我の内面から出てくる創造にあり、真の芸術は美であるよりも精神の性格的表現である」は、ある意味で芸術に関わる有情と非情の関係性を語っていると言える。
すなわち非情の作品は、有情の内面、精神の性格的表現と規定していることである。一見、当然のことのように思えるが、仏教における有非情の概念はこれほど単純ではない。
有非情が単に生物と鉱物といった違いではなく、仏法の生命論にまで拡大されてくると一筋縄ではいかない感がでてくるだろうけど、それでも芸術論に限った範疇で考えてみたいのである。
簡単に言えば非情の作品にも一念三千が内包されていると考えるからである。芸術をゲーテの言う精神の性格的表現ではなく、生命の発露としての芸術を考えてみたいのである。とはいえ芸術を神や仏と直結することはない。
有情と非情の概念を作者と作品に、さらに作品と鑑賞者の間に関わる生命的関係論として把握すべきであるというのが筆者の主張である。
有情とはいえ非情の世界に住するわけであるから、有情と国土の関係が基本になるだろう。そこで仏教は、有情の住む世界を三分し、欲・色・無色の三界を設定する。
更に欲界を一地、色界・無色界をそれぞれ四地に分けて九地とした。九有・九衆生居・九有情居ともいうが、有情の住む国土をこのように分類する意味はいろいろ考えられるが、今は芸術に関連する事柄に集中したいと思う。
有情の外の国土、草木等といった非情の自然世界を外器という。器世間は有情を入れるうつわの世界で、自然世界の意味である。有情の依りどころとなる世界で、依報ともいう。
そしてこの非情の世界といえども生命の一形態と把握する仏教では、一念三千を有すると考える。ゆえに有情とともに非情の成仏を認めることになる。
非情界(心・情・感覚等のないもの)の成仏のことである。生の成仏(有情界の成仏)に対し死の成仏という。
大乗玄論巻三には、一切の諸法は悉く依正不二であるゆえに、衆生に仏性があれば草木等の非情にもまた仏性があると説いている。
有情とは感情、意識をもつすべての人畜や生類をいうが、非情とは草木、土、石、国土など意識・感情をもたないものをいうのだが、非情はいかにして成仏できるのかが問題になる。
芸術を語るのに成仏といった宗教用語が出てくることに戸惑いを感じる人もいるだろうが、これは有情も非情も一念三千の当体であることを前提に考え、作品という非情が人間という作者、鑑賞者という有情との間に起きる関りを、生命の関係論として把握するためである。
有情の成仏と非情の成仏は互いに関係性があり、有情の成仏が非情をつかさどる。そうでなければ非情の国土を常寂光土にすることが出来ないからである。
また非情の成仏が有情をつかさどる。これは、非情の本尊に唱題して有情の人間が成仏する法理であるが、このことは非情の作品が、有情の人間に与える影響を考慮する必要があるからである。この法理を事顕本、理顕本という。
天台の止観の一には『一色一香中道に非ざること無し』……此の色香は草木成仏なり是れ即ち蓮華の成仏なり、色香と蓮華とは言はかはれども草木成仏の事なり、口決に云く『草にも木にも成る仏なり』云云」とされている。
草木成仏口決に「理の顕本は死を表す妙法と顕る・事の顕本は生を表す蓮華と顕る、理の顕本は死にて有情をつかさどる・事の顕本は生にして非情をつかさどる、我等衆生のために依怙・依託なるは、非情の蓮華がなりたるなり・我等衆生の言語・音声・生の位には妙法が有情となりぬるなり」と示されている。
芸術作品もまた人間の生き方において依怙・依託になるかもしれない。また人間の言語・音声も人間が発することによって、理顕本の妙法が有情となるということである。
また総勘文抄に「正報の有情と十方法界の依報の国土と和合して一体三身即一なり、四土不二にして法身の一仏なり……身土不二なり一仏の身体なるを以て寂光土と云う」と述べられ、一念三千の極理の上から依正不二、身土不二の成仏が説かれている。
蓮華とは権実の法を譬えたといえる。妙法は理解し難い故に、譬喩を借りて理解を容易にするのである。
法華玄義に「権実は顕われ難ければ、喩を蓮華に借りて妙法を譬う(中略)今蓮華の称は是れ喩を仮るに非ず、乃ち是れ法華の法門なり、法華の法門は清浄にして因果微妙なれば、此の法門を名づけて蓮華となす」とあり、草花の蓮華の特質がよく妙法を説明するのに敵しており、例えば蓮華と果実とが一時にそなわる姿をもって、妙法の因果倶時の法門をあらわしている。
また同玄義に法華論の蓮華の二義について「今、論意を解せば、若し衆生をして(如来の)浄妙法身を見せしむと言わば、此れ妙因開発するを以て蓮華と為すなり」とある。
衆生の心性に内在する清浄微妙の仏性が顕現することを蓮華の花の開くことをもって譬えるのである。
非情成仏・無情成仏ともいうが、草木成仏の実義は天台所立の一念三千の法門にある。即ち三千の法数に国土世間が包含されており、有情と非情の草木国土との互具互融が明かされ、有情の成仏は即、非情の成仏となることを明かされている。
妙楽は、華厳の清涼澄観が立てた非情に仏性なしとの説を破して「一草一木一礫一塵、各一仏性、各一因果ありて、緑了を具足す」としている。
一本の草、一本の木、一つの礫、一つの塵等にすべて仏性・因果がそなわっており、縁因仏性・了因仏性を具足しているとして、仏性は情・非情にわたることを説いている。
日寛は観心本尊抄文段上に草木成仏に二意があるとして、不改本位の成仏・木画二像の成仏を説いている。
文永九年(一二七二年)二月二十日、日蓮が五十一歳の時、佐渡で最蓮房日浄に与えた書に「草木成仏は非情の成仏であり、法華経では、有情・非情ともに成仏する」ことが明かされている。
天台の止観、妙楽の弘決に示された一色一香無非中道の釈を引いて、非情にも仏性がそなわっていることを明かし「草木にも成り給へる寿量品の釈尊なり」と、紙や木も仏となり本尊となりうることを示している。
また有情は非情をよりどころとして生活しており、有情が成仏する時は依正不二の原理によって非情も成仏するとされている。
更に衆生の一身にも有情・非情がそなわっており、また三世間は有情と非情であることを示し、この草木成仏の原理を含む一念三千の法門を根本として、三大秘法の南無妙法蓮華経の大曼荼羅を図顕した旨を明かし、この法門をよくよく心に留めておくよう説かれている。
御義口伝に「色香等とは一色一香・無非中道にして草木成仏なり」と述べ、一色については草木成仏口決に「此の一色とは五色の中には何れの色ぞや、青・黄・赤・白・黒の五色を一色と釈せり・一とは法性なり・爰を以て妙楽は色香中道と釈せり、天台大師も無非中道といへり、一色一香の一は二三相対の一には非ざるなり、中道法性をさして一と云うなり、所詮・十界・三千・依正等をそなへずと云う事なし」と説き、中道法性とは十界三千、また依正等をことごとく包含していることをさす。一念三千法門(四一三ページ)には百界は仮諦、千如は空諦、三千世間は中諦であり中道であると説かれている。
色も香もともに草木を意味する。「一色一香中道に非ざること無し」とは草木にも十界三千、依正がことごとく具足し、成仏することができることを意味する。草木成仏の法門によって、紙幅の御本尊に日蓮大聖人が魂魄を込められる義が明らかになるという。
日蓮は草木成仏口決に「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり、当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり、天台・妙楽・伝教・内にはかがみさせ給へどもひろめ給はず、一色一香とののしり惑耳驚心とささやき給いて・妙法蓮華と云うべきを円頓止観と・かへさせ給いき」と述べている。
非情の成仏を説くことによって宗教的意味における本尊と人間の関係論は、スタートするわけだが、それでは芸術作品と作者および鑑賞者の関係はどうなるのであろうか。
作品という非情界の生命にも十界の生命が存在するとすれば、芸術作品も成仏の対象となるだろうか。
だからといって作品がそのまま仏や本尊に成れる訳ではない。非情の生命は有情の生命を支えるが、有情の生命に影響を受ける存在でもある。したがって芸術作品という非情界の生命は、有情の生命状態に左右される存在とて規定されていくのである。
ヘーゲルはかつて芸術を、哲学や宗教についで、高い文化的位置においた。世界観の類型的表現の一形式であり、文化の至高形態であるともいう。
文化という人間の営みの成果に、「美」を根底に置きたがる人間の指向性を見ることはできるが、芸術性に優れた作品を生み出した人物が、あまり人格的に褒められない場合がある。
作品と作者の人格の遊離は何故、起きるのであろうか。学問はその歴史に負うところがあるが、芸術は天才の自己決定に基づくせいか、新しい時代のものが、古い時代の作品を凌駕していると言うことはできない。
理想の人格とか究極の価値、最高善、人格完成を人間に求めるのは、あまりに観念的である。人間が為しえる理想的な行為を菩薩行であるといっても、人間は人間以上でも以下でもない。
神を理想として神に近づきたいといっても神にはなれない。また仏の境涯を得たいといっても菩薩の行為を仏といえるところまでである。
現実に人間が三十二相八十種好を備えた仏の境涯になったとしても眉間から白毫を発したら周囲の人々は尊敬より恐怖感を抱いてしまいかねない。
「それを思うことが多ければ多いほど、また長ければ長いほど、常に新しくまた増大する感嘆と畏敬とをもって心を満たすものが二つある。それは私の上なる星輝く天空と、私の内なる道徳法則である」という「実践理性批判」末尾の言葉は有名ではあるが、日蓮仏法における菩薩の行為は、その自覚と実践においてカントのいう「内なる道徳法則」を超越していると実感する。
行為において自己愛を中心にすると矛盾に陥ることを明らかにし、自己愛ではなく普遍的な法則を尊敬すること、そして道徳法則にこそ人間の崇高な価値があるとカントは主張するが、残念なことにカントは仏法を知る機会がなかったのだろう。
日蓮が一閻浮提総与の大御本尊を書き表したことについて「日蓮が魂を墨に染め流して書きて候ぞ」と言った。
もちろん仏教は霊魂の存在など認めていないので、日蓮のいう魂とは、心、思い、思索、想念、一念そして生命から迸るエネルギーなどを指して言ったことだと推測するが、問題なのはこれらを文字に籠めることが可能なのかどうかである。
単純に心の思いを声に出したり、文字に表したりすることは可能である。けれども有情が非情に与える影響は、どのような経緯をたどって起こるのであろうか。さらに非情に有情の思いはどのような形で残るのだろうか。
有情とは梵語のサットヴァの訳語である。感情や意識をもっているすべての生類の総称である。旧訳では衆生という。
広義には仏を含めた一切の生きもののこととなる。狭義には、九界の衆生をいう。また衆生の一身に有情と非情を具えている。
日蓮の草木成仏口決に「我等一身の上には有情非情具足せり、爪と髪とは非情なり・きるにもいたまず・其の外は有情なれば・切るにもいたみ・くるしむなり、一身所具の有情非情なり」と述べている。
絵画や仏像、文字に開眼できるのは、草木成仏の原理によるとしても、これをそのまま認めると絵画や彫刻の芸術作品も開眼すれば本尊にも仏にもなれることになる。
ただし開眼の方法と意味がはっきりしないのである。法華経で供養すれば好いとなるのだが、この場合の供養とは何を指すのだろうか。
人が絵画に向かって法華経を読経すれば開眼供養になるのか。開眼の意味が今一つはっきりしない。さらに開眼すると生身の仏となるというが、開眼するのは有情の力用であって、非情が自ら開眼することはない。
そして開眼したとしても外見の変化はない。しかし、相と性は変化していると思われるので非情より有情に働きかける力用はつよくなるのだろうか。有非情の力関係はどうなるのだろうか。この原理は有情が非情に影響を与えることへの具体的な例なのだろう。 
開眼供養の本来の意義は、一念三千の存在を認めることが正意なのであって、非情といえども一念三千の当体であると認める方法として、一念三千が説かれている法華経を供養するという体裁を整えることが主眼なのである。
そうしないと非情界の生命状態を有情界の生命状態を同列に扱うことが出来ないからに他ならない。
国土の変革と人間の変革を同等に扱うことは、色心不二、依正不二の原理による。これによって非情の存在といえども生命次元で扱うことを可能とするのである。
したがって開眼という法会はその形式的な儀式であって、開眼供養によってその非情の様相が変化するわけではない。変化するのは一念と境地であるが、非情の一念、境地とはその時点の非情の生命状態を指していうことになる。
当然、人間の一念とは、顕現の仕方が異なる。非情の生命には、心の発現性が低いゆえに所観の対境を自身で変化させられないからである。そこで有情に頼む以外になく、有情の生命状態に左右されてしまうのである。
すなわち有情の一念が、非情の一念に与える影響によって三如是の変化はないが七如是が変化することを意味している。とはいえ仏像や仕覆の本尊には心がないゆえに、32相が備わるといえどもそのまま仏になるということではない。
新たに彫刻し、鋳造し、書写した仏像・絵像等を、法をもって供養し、心を入れ、生身の仏と同じにするための儀式、法会をいい開明、開光明ともいう。
草木成仏を説き明かしたのは法華経のみである。真言宗などが開眼供養を行うのは、天台の法門を自宗に盗み取って行っているもので、本尊問答抄には「仏は所生・法華経は能生・仏は身なり法華経は神なり、然れば則ち木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし而るに今木画の二像をまうけて大日仏眼の印と真言とを以て開眼供養をなすはもとも逆なり」と破折している。
けれども日蓮は、仏像や仏画を否定しているのに何故、開眼供養を認めるような発言をしているのだろうか。そこには当時の時代背景が関係していると考えられる。
日蓮の弟子である四条金吾が造立した釈迦仏に対し、木像の開眼供養は法華経にかぎることを述べ「釈迦仏の木像を造立する功徳によって、梵天、帝釈、大日天、大月天等の諸天善神が金吾を守護するであろう」と讃嘆している。
これは本意でなくとも用捨時宜したからだと思う。当時は日本国中で阿弥陀の仏像を本尊としていたが、門下が阿弥陀仏を捨てて釈尊を立てるのを讃歎されたに過ぎないというところだと思う。
文永元年(一二六四年)日蓮が四三歳の時、鎌倉で述作した「法華骨目肝心」という著作がある。そこでは木絵の二像は生身の仏に劣るというが、像の前に法華経を置けば生身の仏と同等になると草木成仏の義を述べている。
そして、草木成仏の本義は一念三千にあるとし、一念三千を知らない諸宗や一念三千の義を後にとり入れた真言宗などには木絵二像開眼の力はなく、法華経だけが開眼できると断言している。更に法華経の得益に生身得忍と即身成仏があるが、法華経の真意は即身成仏にあることを述べている。
日蓮は諸御書において、末法の今日に至っては、釈尊その他、一切の仏・菩薩の絵像、木像を本尊として拝んでも何の利益もないと断定している。
観心本尊抄には「詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏・木画二像の本尊は有名無実なり」と述べ、さらに「問うて云く然らば汝云何ぞ釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや、答う上に挙ぐるところの経釈を見給へ私の義にはあらず」と説く。
また富士一跡門徒存知の事には「日興が云く、聖人御立の法門に於ては全く絵像・木像の仏・菩薩を以て本尊と為さず、唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為す可しと即ち御自筆の本尊是なり」と述べている。
釈迦を本尊にするといっても釈迦の何を対象にするのだろうか。仏像など釈迦を見たこともない人の作った仏像を本尊にできるなどと思うこと自体不自然である。かりに釈迦を本仏と考えるならそれなりの理由が必要であり、釈迦自身も何らかの根拠を残さなくてはいけなかっただろうと思う。
自身の作品を自分自身そのものと実感できる気がすることがあったとしても、現実には本人ではないことなど作者自身が一番分かっているはずである。
なぜならどれほど自分自身を知っているかが大きな問題なのである。思い込み、独りよがりといった人間の犯しやすい過ちを否定しきれるほどの人間は、まずいないだろう。この事実を有名無実という。
蓮華は非情にして生の成仏、妙法は有情にして死の成仏。非情の蓮華に当体と比喩がある。これを芸術論的に解すれば、芸術作品が譬喩蓮華と言えるかもしれない。
とは言っても当体とは何かが問われることになる。作者が感じた何かとしか言い様がない。いずれにしても作者が、何らかの素材を用いて表現したものが作品であり、それは譬喩となる。
そして表現したかったものが当体となる。したがって作品そのものが作者の当体そのものにはなり得ないのである。
当体蓮華に関して仏教は、開近顕遠・本地難思・境智冥合・本有無作の当体蓮華と説くが、譬喩はあくまでも譬喩であって当体ではないことが前提である。
そしてこの教説は、当然のことであるが芸術とはなんの関係もない。とはいえ芸術を譬喩蓮華に準えて語るのはあくまでも原理的意味においてであることを了解してもらいたいのである。
そこで当体蓮華に関してはさて置き、とりあえず譬喩蓮華について述べておきたい。譬喩蓮華とは、法門の譬喩として用いられた華草の蓮華をいう。
譬喩の蓮、譬喩の蓮華ともいい、因果倶時の妙法を説くのに、華草の蓮華が花と実を同時に具えていることを因果倶時に約して、難解な当体蓮華を明かしたものである。
天台が妙法蓮華経の題号を当体蓮華、譬喩蓮華に分けて解釈し、法華玄義巻一に蓮の実を守るために華がおおう、華が開いて蓮の実が顕れる、華が落ちて蓮の実がみのるの三義を施開廃の三釈として、本迹の三喩に立て分けてこれを譬喩蓮華としたが、これ以上詳しくはここでは略させてもらう。
芸術がその作品を通して作者の思いを譬喩蓮華のごとく表現していくこともあるのではないだろうかと思うのである。
日蓮という人間の深さは計り知れないものがある。彼の学識と生涯を貫いた思索の痕跡は、あまりに膨大で私の手に負えないものがある。日蓮仏法に比べれば、数学、物理学、法律学、化学や医学、哲学等々など、所詮、人間が必要に迫られて作り上げたものは、こんな筆者でも理解可能なことばかりである。
蓮華に関する教説だけでも一生涯をかけてやり通さなくてはならないぐらいの内容であろうと思われる。さらに妙法に至っては想像すらできないのが現実である。筆者の余命を考えればとても入り込む余地もない。後世の人々に託したい。
以上、仏教における有非情について簡単に紹介したが、要は、芸術作品という非情の存在と作者および鑑賞者という有情の存在との関係論とも関係する。作者と作品と鑑賞者の関係をこのような有非情の視点で把握することによって見えてくるものがある。



第2章 有非情の人間と芸術

前章では有非情の概念と芸術および草木成仏(非情の成仏)について述べた。そのうえで非情の成仏と芸術作品における関係について考えてみたい。
芸術作品は、もちろん自然の存在とは異なり人間の手の加わったものなのだが、それでも作品は成仏できるのだろうか。出来るとすれば成仏の意味である「仏と開く」という人間的な表現は当てはまるのだろうか。
いくら芸術が自然の模倣とはいえ作品は自然ではない加工品である。とはいえ作品は非情界の存在である。したがって作品も十界三千の当体である。
ただし芸術作品を依正不二の人間と芸術、色心不二の人間と芸術といった視点でいかに語ろうとも芸術作品はすべて譬喩であることには変わりない。そして譬喩は、模倣とは異なる概念である。
それでも不二論で芸術を語るのは、あくまでも仏法法理の入門・導入に使えるだろうという判断であって、便宜的な使用でもある。
蓮華という有情の諸法と、譬喩蓮華という非情の現実との違いは、一体どこにあるのだろうか。また妙法という非情の実相と、当体蓮華という有情の現実との違いは、一体どこにあるのだろうか。この問題はまた別の機会に述べてみようと思っている。
とりあえずは、筆者の芸術に対する定義および感応の芸術について述べておきたい。「人間と自然、人間と人間の間に生じる感応の原理によって創造された作品およびその行為」を芸術の定義とした。この定義にも基づいて創造された「作品」およびその「行為」まで含めて筆者は「感応の芸術」と命名した。
心の美しさと自然の美しさが、調和を保っていくところに人生における美が創造される。数学における美しい方程式は単純で、調和のとれた対称性からくるといわれている。
物理学もまた同様に思われる。これは自然がそうであるべき、またはそうであるという思考からくる。
自然の美が調和を感じさせ、やがて調和が戒律になり、今度は戒律に不自由さを感じ始めると、調和が美ではなくなっていく。そして利の追求が調和を崩壊させていく。自然の美は利を追及しないから、自然が自らの手で調和を崩すことはない。
同様に人間もそうあるべきではないだろうか。一見複雑そうに見える人間世界であっても実はとっても単純で調和のとれた構造になっているとしたら複雑にしているのは人間自身であるということになる。
日本人の自然観のなかで、季節に対する感受性の豊かさを表現したものに72節候がある。自然と人間の美しい関係を端的に表していると思う。季節の移り行く様を言葉で表現したものでまさに芸術そのものであろうと感じる。素材が言葉であってもそこに価値創造は可能なのだという良い例だろう。
もちろん言葉は文字によって留められ、ある意味で作品となって後世に残される。自然も人生も無常でないことを楽しむかのごとくである。
価値創造において美をことさら強調する必要はないだろう。美しいから価値があるのではない。価値があるから美しいといえる。したがって価値を創造することは出来ても、創造された価値を価値基準にしてはならない。
道(技能、技芸、技術)を極めることは価値創造の行為と言えるが、この道は仏道ではない。様々な技芸がある。これらの技芸を楽しむことは価値創造の楽しみでもある。故に絶対的な真はない。術ならばそこに創造という人間の手が加えられる。美を真理にまで高める必要はない。美は価値創造可能な術によって作られたものである。
価値論序説でも述べてが、カントのいう「美は趣味という能力で判断される」とは、趣味による下位の感情の判定として主観的な原理であるが、趣味判断たる美的判断は、主観的普遍性を持つと規定している。
さらに「美は意識が捕らえるもので、人間がどれほど深く理解するか。いかに美しい風景が展開されても、人間としてその内部に、この美を賛嘆し、さらに永久化しようとする思いがないと芸術は成り立たない」という。
これは自然の美しさとは別に、人間自身が美を創造する意志を持つ必要性を強調している。そうでなければ芸術は成立しないと言うことである。それゆえに解釈という作品との対話が必要になるという。
さらに彼は「芸術作品は、有限を介して無限へ至るはずの精神の道、世界から超越へ、歴史から普遍へ、物質から理念へ至る垂直の柱なのである」とまでいう。
仏教では当然ながら芸術にこれほどの期待を持つことはない。精神が無限に至るという思いもなければ、歴史的価値を普遍の価値にまで高められるといった思考はない。カントに比べると仏教のほうが現実的で、いわゆる宗教的ではないのである。
法華経の美意識は単なる自然観とは異なり、法の高低浅深を意味している場合だけである。すなわち法の高いほど(法の高低浅深は、救える衆生の多さと国土の広さ、救える期間の長さという時空間で決定される)美しいと表現する。
それでは日蓮は、美という概念をどのように捉えていたのだろうか。御書に出てくる「美」は、32か所。大半が法の高低浅深の意味で使っていて仏教者らしさをそのまま出している。法華経信解品と寿量品の文は、度々出てくるが同様である。
少し変わったところでは、「石は玉をふくむ故にくだかれ・鹿は皮肉の故に・殺され・魚はあぢはひある故にとらる・すい(翠)は羽ある故にやぶらる・女人は・みめかたちよ(美)ければ必ずねたまる」があるが芸術とはまったく関係ない。
むしろ美が現実的には、尊ばれることよりも災いをもたらす因になったりする。法華経も同様に最も優れている故に猶多怨嫉されるのであると。まさに美は美しいから価値があるのではなく、美しい故に価値も反価値も生じるというのが現実といえる。
芸術作品単体の評価というより、非情の存在と作者および鑑賞者という有情の存在との関係の中に、人間が必要性を直観しながらその意味を理解できなかった芸術の在り方が見えてくるだろう。
あらゆる事物・事象が一身から請じることと、心の鏡像の外的表現を芸術であるとするなら、芸術は生命の発見と顕現の作業といえないこともない。
教育もまた芸術と同じく、「人間生命」の「発見と顕現」でなくてはいけないのではないだろうか。それゆえに教育も価値評価の対象にしてはいけないということだろうと思う。育ちゆく若芽の中に、その特質を開花させる因が内在していると考えれば、人間教育は、まさに、発見と感動の連続となるだろう。
人間教育とは「生命」という無上の宝を、自他ともに輝かせ、限りなく生命の価値を創造させていく「最高の芸術」であり、「永遠の聖業」であるという人もいる。
三世間についていえば、衆生世間、五陰世間は有情、国土世間は非情である。有情は一念三千から論ずれば百界千如にとどまる。観心本尊抄に「百界千如は有情界に限り一念三千は情非情に亘る」と記されている。
様々な対境による修行の妨げになるものに対しての修行法を説いていったのが摩訶止観である。止観の修行により、前世の宿習から二乗(声聞・縁覚)の自利心、自己心が出てくる。故にこれを対境とするのである。
対象(所観の対境)を観ずる衆生の智慧の側面のことを能観という。天台の維摩経玄疏巻二には「能観とは、心が空仮に非ずと観ずれば一切諸法も亦空仮に非ず、また、空仮なりと知れば諸法も空仮となる……これを観行即という」とある。即ち、能観の智で一心三観を修して三智を成ずると説く。
三智とは一切智、道種智、一切種智のことである。大智度論巻二十七に説かれている。一切智とはすべての事象に了達した声聞・縁覚の智慧であり、悟りでもある。
道種智とは、多様な現実に対応して種々の道法を究め、それを適切に選択して衆生を救う菩薩の智慧であり悟りでもある。
一切種智とは、一切智と道種智とを合わせ持つ智慧で、一切の普遍的真理を悟るとともに、種々の差別の事象を知り尽くした仏智のことである。このうち声聞・縁覚の悟りについて述べておかなくてはならないだろう。
とくに縁覚の生命の傾向性は、現代でいうと最も芸術家に近い感性だとされている。縁覚とは辟支仏、辟支畢勒支底迦、辟支迦羅等と音写し、独覚ともいう。縁一覚、因縁覚等とも訳す。
仏の教導によらずに自ら理を悟り、自利の行に努め、利他の心がない聖人、聖者のことである。無仏の世に独り覚る故に独覚ともいう。
大乗義章巻十七には、一つには、仏の十二因縁の理を観じて、断惑証理(迷いを断って法理を悟る)するゆえに名づけ、一つは、飛花落葉等の外縁によって悟るゆえにいうとある。
法華文句巻四上では、仏の世にあって十二因縁を観じて悟りを得る者を縁覚とし、無仏の世に飛花落葉などの外縁によって独り悟りを得る者を独覚とする。
十法界明因果抄には「第八に縁覚道とは二有り一には部行独覚といい仏前に在りて声聞の如く小乗の法を習い小乗の戒を持し見思を断じて永不成仏の者と成る、二には鱗喩独覚といい無仏の世に在りて飛花落葉を見て苦・空・無常・無我の観を作し見思を断じて永不成仏の身と成る戒も亦声聞の如し」と述べている。
独覚といい、縁覚といい法華経に至るまでは永不成仏とされている理由がここにある。これらの生命の傾向性が現代の芸術家にありがちな傾向とされているのも頷けるところでもある。
芸術家もまた様々な素材を用いて人間の心を表現しながらそれなりに人間の心を悟るということもあることだろうと思う。
飛花落葉といった自然の姿を見ながら、人生の苦・空・無常・無我を見つめることだろう。その縁覚の衆生が法華経に至るまで成仏ができないとされていたのは、自ら理を悟りながら、自利の行に努め、自分だけが仏道に入りたがって利他の心がなかったからである。
詳しくは別章で述べるつもりである。ようするに自分だけで悟ったつもりになっていい気になったり、悦に浸っているような人のことである。
一切智と二乗の関りは、まさに芸術家や学者等が行き着く最終地点ということになる。この出世間の智にまで至るのが二乗の限界なのである。
二乗がそれ以上の悟りに至ろうとする切掛けは、自らの死に直面したときである。己の悟りのいかに浅かったかが思い知らさられるのである。死を目前にして人は、自身の無力、悟ったと思い込んでいた悟りそのものの儚さを知る。
天台家では摩訶止観で説くように、次第の三観によって一切智、道種智、一切種智と順次に得るのが別教で、円融の三観によって一心に同時に三智を得る(一心三智)のが円教であるとする。
摩訶止観巻三上には「仏智、空を照らすこと、二乗の見る所の如くなるを、一切智と名づく。仏智、仮を照らすこと、菩薩の見る所の如くなるを、道種智と名づく。仏智、空、仮、中を照らし、皆な実相を見るを、一切種智と名づく。故に三智は一心の中に得と言う」とある。
また別の視点からも見てみよう。芸術は心や行動の可見化でもある。これを仏法では可見有対色ともいう。可見で有対の色法のことである。この色法に三種あると説いている。可見有対色・不可見有対色・不可見無対色の三つである。
可見は有見ともいい、目に見えるものをいい、有対は他の物質と同時に同一の空間を占有できないものをいう。
可見有対色は、色を五根・五境・無表色に分けた中の色境にあたる。色境は五境の一つで、顕色と形色に分けられ、眼識によって識別される赤・黄・青・白・雲・煙・塵・霧・影・光・明・闇の12種を顕色といい、長・短・方・円・高・下・正(形が平等であること)・不正(形が不平等なこと)の八種を形色という。
顕色については、倶舎論巻一には、地より水気の騰るを霧、日焔を光、月・星・火薬・宝珠・雷等の諸焔を明、光明を障えて見られることを影、全く物が見えないことを闇と名づけるとある。
阿毘曇心論巻一に説かれている三種色を見てみると、まず可見有対色は、目で見ることができ互いに障害になる(有対)ものをいい、眼根の所対である狭義の青黄等の色(色境)にあたる。不可見有対色は、目で見られなくて(不可見)互いに障害になるものをいう。
四境(声・香・味・触)は耳・鼻・舌・身に対するゆえに有対という。五根(眼・耳・鼻・舌・身)は五境によって知ることができるとする。
不可見無対色は、目で見られず互いに障害にもならないものをいう。意識の対象である法境に含まれる色法(無表色)にあたる。
これらの分析から芸術作品という非情界の存在に対しても様々な視点を設定できることだろう。いずれ筆者の時間に少しでも余裕ができたなら、様々な視点を披露したいと思っている。
このような仏教哲学の思考は、芸術という人間特有の行為に対し新たな視点を与えることだろう。
人間の心の移ろいは、実に微妙であるといえる。対境の十境、能観の十乗は天台の重要な法門である。それでも、これら十境を所観の対境とするような天台の観念観法は、末法適時の修行ではなく、まったく成仏の法とはならないのだが、芸術を語る上では結構役に立つものと考えられる。
何度でもいうが芸術道は、仏道の修行とはなんの関係もないのだが、それでも芸術は人間にとって必要欠くべからざる表現手段の一つであることは間違いないだろうと思う。
人間の生き方だけでなく、心の表現の仕方においても人それぞれであるのは、人間として仮和合した五陰が抱える不共業(六根、六惑等の個人固有の業)の影響により、人間の個性となって現前するのである。
感応の原理は、人間対人間専用のコミュニケーション現象ではない。有非情の間にも起きるのである。有情が感じ、非情が応じる。非情が感じ、有情が応じる。
有情の思いを有情が感じ、その思いに応えるのも有情。それでは、非情の心とはなんなのか。そして非情はいかにして応じるのか。
人間自身が感じる非情の心とは、自身に存在する非情の実相。人間自身の応じ方は表現。仏法ではこれを自浮自影の鏡と説く。この生命現象を感応の原理という。
自浮自影の鏡とは「じふじようのかがみ」とも読み、自体に森羅万象を浮かべ、その影を映し出す鏡のことである。妙法蓮華経をさし、総じては一切衆生の心、別しては妙法を顕現した衆生の心をいう。
摩訶止観巻一下には、鏡像円融の譬によって「当に知るべし、己心に一切の仏法を具すを」と。
修禅寺口決には「玄師の伝に云わく、自影自浮の大鏡之れ有りて、一念三千の観を成ず。自影自浮とは、釈迦如来、大蘇の法華道場に於いて、智者大師の為めに大鏡を授け、一心三観一念三千を伝う。其の事鏡とは、日光に向うの時、十界の形像を現ず。一鏡に十界を現ず。故に一念三千の深義なり」とある。
日蓮は御義口伝に「惣じて鏡像の譬とは自浮自影の鏡の事なり」と述べている。日寛の観心本尊抄文段には「故に知んぬ、自影自浮の鏡とは、事の一念三千の南無妙法蓮華経の本尊なることを」と。
感じ応じるのは仏自身。感じるのは衆生の心。仏の応じ方は慈悲と現れる。感じ応じるのは衆生自身。感じるのは仏の心。衆生の応じ方は誓願となり、総じては一切衆生の心であるが、別しては妙法を顕現した衆生の心である。
総じては一切衆生の心が、その心の表現手段として芸術を生み出したのである。妙法より観れば、芸術作品はすべて譬喩蓮華となるとはこのような意味からである。
感動するという人間の心情を仏法的に解釈すれば、それは、正報と依報が同じ境涯の時に起きる共鳴である。ベートーベンの「合唱」の曲を聴いて感動したとき、作曲されたときの境涯が二乗であれば、感動した人の境涯も二乗ということになる。
しかし聴く人が菩薩の境涯の人であったなら今度は曲自体の境涯が菩薩に変化していることになる。正報が依報の境涯を変える。
この感応の原理は、本尊と信仰者との間にも生じる現象なのである。本尊を本尊として存在させるのは、正報である信仰者の境涯によって決まってくるのである。瑞相御書には「夫十方は依報なり・衆生は正報なり譬へば依報は影のごとし正報は体のごとし・身なくば影なし正報なくば依報なし」とあるのはこのことである。
また、その結果、依報である本尊が正報である信仰者を作っているのである。同じ瑞相御書には「正報をば依報をもつて此れをつくる」とある。
さてそこで芸術作品の問題に戻ろうと思う。芸術作品も同様の原理で、有非情の関係が成立すると考えても良いのではないかと思っている。
先ほどの例で、曲が菩薩界に変わるといったが、逆に聴く人が菩薩界から二乗界に変わってしまうこともあり得るだろう。けれどもそんなことはどうでも良いことで、要は有非情間において起こり得る生命現象の在り方が問題なのである、
芸術論といっても所詮はこんなものなのである。芸術論は仏法哲理ではないのだから、取り立てて関連付けることでもないのである。
人間が人間であるために必要な表現手段としての芸術および創作活動の中で芸術が果たす役割を明確にしておいた方が、今後のためになることだろう。色心不二とともに依正不二の原理は芸術論の根幹をなす哲学なのである。
自然は自然であって、その自然が正報になれば、菩薩でない自然はないから人間を形付け支えることが出来る。本尊とはそういった存在なのである。
人間が正報になれば、人間は自然にその存在によって影響を与えることができる。菩薩を湧現した人間は、自然に対しても菩薩を感応させる。人間の乱れは自然の乱れとなって顕現することになる。
芸術は、心をありのままに映す。純粋に自然を見る目と自分を見る目。技術あるいは技巧ではなくありのままの自分。無作。ただし無作のままでは芸術にはならない。感応は感動という共鳴あるいは共感という状態を励起させて、有非情を共存・共生へと導くのである。
有非情間において起こり得る生命現象の在り方は、仏法の眼より観ずればこのように見ることが出来るのである。
この現象が、芸術作品と作者および鑑賞者と作品の関係においても成立するのである。しかも時代を超えて、作者についてまったく知らなくても、作品と鑑賞者において生じる生命現象は現存するのである。
有情が非情に与える影響は、どのような経緯をたどって起こるのであろうか。さらに非情に有情の思いはどのような形で残るのだろうか。ここまで考察するにはより深く仏法理論に踏み込まなくてはならなくなる。当然、芸術論においては、そこまで必要はないだろう。芸術は人間が人間の持つ表現形式の一つに過ぎないのである。



第3章 業と共業の芸術存在

美の価値創造について述べることは、価値論と重複してしまうので、美的価値を価値論と神から除外した形で、人間が創造できる価値について考えてみたい。
創造するということは、新たなる価値の構築といえる。すなわち美的価値は創造も可能である。またこれは真理と美の違いでもあるが、ともに発見は可能である。
だからといって美を真理と同様に扱うことはできないのは当然である。ただ美も真理も筆者の価値論において価値基準から除外している。
したがって美的価値といっても価値基準をもたないのである。美を相対的に捉えようと、快楽として捉えようと、実用的合目的として説明しようと、形式論に当てはめようと自由であるが、当然として絶対的基準を設定しないことが条件である。
ヘレニズム期から中世にかけて一般的であった美の相対説、快楽説、実用的合目的説、形式説などと比べるとプラトンの美学は神学的である。
「日常目にする事物や肉体などの美は主観との関係によってはじめて成立する感覚的映像に過ぎず、低級な美である」とし「真に純粋な美は知的な直感によってのみ捉えられる、感覚世界を超えた、存在のイデアそのものである」として、感覚世界で感じる美も、この美のイデアの反映に過ぎず、「神の超越的属性の一つとしての美」を主張する。
美学の祖とも言われるプラトンの主張は、西洋の人たちの美学思想の根底に漂うというか定着しているように思える。
美は神が人間に与えた課題であり、神の特技の一つとして位置付けているのである。神には様ざまな属性があるのだろうが、結論のでないことをすべて神のせいにするのはいかがなものだろう。
そして、美論や美哲学、美的価値などを語るのは、学者が多く、芸術家はあまり語らない。芸術家の感性が、自分の作品だけでなく、自分自身に対しても、そこに神を持ち出す自信などないからだろう。
作品が作者そのものであるという考えはとりあえず良しとしたい。次に作品の評価だがそれは、経済的な価値評価に直結することになり利の価値をもたらす。
芸術の価値評価と作品の価値評価、さらに作者自身の存在価値は別次元になるのだろう。芸術は存在するだけで価値がある。これを私は芸術の存在価値と呼んでいる。存在価値については後述する予定である。
何度も言うようだが、芸術に価値評価の基準はないからである。どんな立場の人が評価しようとその人の勝手であって、その評価が絶対的な意味はない。
権威のある人とはどんな人を指すのか疑問がつきまとう。協会の人が高い評価をするとマスコミはそのまま報道したりするが、絶対的基準などありはしないのだ。
文学界であっても何々賞の審査委員会のメンバーの作品がどれほどのものなのか疑問でもある。
ようするに時代が受け入れた結果に過ぎない。時代が変われば別の評価を受ける人もいるだろう。絵画の世界のフェリックス・ヴァロットンもそうである。
それではこの「時代」とは何なのだろうか。時代が抱える業を仏教では共業という。この共業と個人の抱える業(不共業という)との関連はじつに面白い。
個人に固有の業である不共業は、各人別々の業因によって、各自別々の果を感ずるものである。例えば各人の六根などがそうである。それに対し一つの業因によって感ずる所の果、また多くの人が同一の業因よって同一の果を感ずることを共業共果ともいう。
 当然のことであるが、不共業である個人固有の業は、個人の責任において解決しなくてはならないだろうが、共業は誰が責任を持つのだろうか。
社会・共同体を構成する人々に共通する業であるからその時代の人々の連帯責任なのだろう。然しこの共業はどのようにして決定されたのだろうか。
各人共通して善悪の業を作り、各人共通の苦楽の果報を感ずるものが共業ならその時代に生まれた人たちの総合的結果がもたらしたものということになる。
国土や山河等の依報なども共業であるが、さらに政治、経済だけでなく時代状況も含むだろう。共業に影響をもたらすと考えられるので、業に関しては、個人の集合が全体になってしまうこともあるだろう。まさに類は友を呼びその集合体が地域・社会、あるいは組織を形成してしまうことも起きるだろう。
業は、梵語カルマンの漢訳語である。カルマンの語根カルは、「行う」「作り出す」という意味であり、そこから生まれたカルマンは「行い」「振る舞い」という意味となる。古代インドのバラモン教では、この「行い」として、世襲的聖職者階級であるバラモンによる祭式の執行が安楽の境涯を保証するものとして強調された。
これに対して仏教では「行い」を本来の日常の振る舞いという意味に戻して、人間としての「行い」こそが、苦楽の果報の原因であり、善なる行い(善業)を励んで行う人が安楽の境涯を得られることを説いた。
業とは心身の種々の行為のことである。仏教では、身体的行為(身業)と発言(口業・語業)と感情・思考などの精神的行為(意業)の三つに分け、身口意の三業と呼んでいる。
倶舎論記巻十三には「造作を業と名く」とあり、更に身体の造作を身業、音声の造作を語業(口業)としている。種々の分析がなされ、多様な分類が示されている。
例えば、過去世(宿世)の業を宿業といい、現世の業を現業という。他者が認識できるか否かという観点から、他に示すことのできる表業と他に示すことのできない無表業の二つを分ける。また、善悪の観点から、善心に基づく善業、悪心に基づく悪業、善悪いずれでもない無記業の三業に分ける。
また業は業因のことも意味している。古代インドでは、日常の種々の行為の影響がその行為者に潜在的な力として残るとし、それが、あたかも種が、条件が整えば芽を出し花を咲かせ果実を結ぶように、やがて順次に果報として結実し、同じ主体によって享受されて消滅するとする。
また後の仏教の唯識学派では、業の潜在的影響力(習気)が果報を生み出すもととなることから「業種子」と呼び、それが阿頼耶識(蔵識)に蓄えられているとする。
この業をめぐる因果は、善悪の業(行為)を因としてその果報として苦楽の境涯を得るという、善因楽果・悪因苦果を説く因果応報の思想として整理された。
また、先に述べた、自らの行為(業)の果報を自らが享受するという原則を「自業自得」という。ただし、元来は善因楽果・悪因苦果の両面にわたるものであるが、現在では一般的に自身の悪い行いの報いとして苦悩に巡り合うという悪因苦果の側面の意味でもっぱら用いられてしまっているが、これなどは単なる脅しの効果の悪用をする不逞の輩、宗教者たちの悪用に他ならない。
業の因果の思想は、三世の生命観に基づく苦楽の境涯に順次生まれて経巡るという輪廻の思想とあいまって発達し、この業に関する輪廻(業報輪廻)からの解放・脱出(解脱)の方途が諸哲学・宗教で図られたのである。
仏教ではその伝統を踏まえつつ、独自の縁起の思想をもとに業について種々の分類が行われた。
例えば、次の生における十界の生命境涯を決定に関する性質から、次の生における十界の生命境涯を決定づける業因(引業)と、その生命境涯における細かな差異を決定する業因(満業)に分ける。また果報を受けることが定まっているかどうかで定業(決定業)と不定業の二業が説かれる。
定業とはその業の善悪が明確であって未来に受けるべき苦楽の果報が定まっている業因をいい、不定業とは定まっていない業因をいう。日蓮は可延定業書で「定業すら能く能く懺悔すれば必ず消滅す何に況や不定業をや」と述べている。
また、果報を受ける時期によって現世の業を三種に分けた、順現受業(現世に果報を受ける現世の業因)・順次受業(次の世に果報を受ける現世の業因)・順後受業(次の次の世以後に果報を受ける現世の業因)の三時業などがある。
初期の仏教では、業の思想は個人の行為について発達したが、やがて社会・共同体の次元に拡大して考えられるようになり、社会・共同体を構成する人々が共有する業(共業)を考えるようになった。
これに対して、個人に固有の業は不共業と呼ばれる。煩悩(惑、癡惑)から悪業が生まれ苦悩の果報へ至るという煩悩・業・苦の三道ならびに三徳が説かれる。
仏教の業の因果の思想は、本来、苦悩の原因を探り、その解決を目指すものである。したがって、因果の道理を深く洞察することが苦悩の根本的解決をもたらすので、心地観経には「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を見んと欲せば、其の現在の因を見よ」と説かれている。
日蓮は撰時抄では「三世を知るを聖人という」、聖人知三世事では「委く過未を知るは聖人の本なり」と述べている。
さらに当体義抄には、「正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩・業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて三観・三諦・即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり、能居所居・身土・色心・倶体倶用・無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり」と述べ、成仏の根本因である南無妙法蓮華経を信受することによって煩悩・業・苦の悪循環を免れ、仏界を開き顕すことができることを説いている。
この原理はさらに個人の不共業の転回が、所住の国土(共業)をも変革できることを明かしている。共業は不共業の転換によって革命できるとする原理でもある。
このように仏教の業思想は、決定論的宿命論ではなく、むしろ宿命転換のための理論である。ところが、部派仏教の時代にはすでに、精緻な分析から煩瑣で硬直的な思想が生まれ、変えられない運命を説く決定論のように理解される傾向が生じるに至った。
その結果、江戸時代の一部宗派における差別戒名などが象徴するように、本来人間を苦悩から解放するための仏教の業の思想が、かえって種々の差別を固定化した面もあった。
さらに僧侶が自身の宗教的権威と世俗的利益を確保するために業思想を悪用してきた歴史に対して深刻な反省が迫られる。
業が個人の行いによるなら共業は一体、誰の行いを指すのだろうか。すくなくても個の集合が全体となる場合もあるが、それでも全体には全体の個性がある。
依報が正報を造るなら時代がその時代に生まれてくる人間を決定することになる。正報が依報を支えるのなら個人が時代を支え変えることも可能なのだろう。そうでなければ広宣流布という社会運動論が成り立たなくなるからである。
 依正は有非情でもあるが、依報は有情にもなりえる。それは依報としての環境が自然だけでなく正報を取り巻く人間をも含めるためである。
そのうえで依報となる時代とはいかなる存在だというのだろうか。時代という存在は、その時代に生きる人間とともに確かに存在していると思う。仏教でいう存在の意味と西洋哲学で言う存在論との違いは、はっきりしているので、まずこの点から考えて見よう。
西洋でいう存在論は、存在の意味や種類、一般的構造について研究する哲学の一分野である。伝統的にはアリストテレス以来、形而上学あるいは第一哲学と呼ばれていたが、十七世紀に入ってからドイツで存在論という用語が使用され始めた。
近代以前の哲学においては、アリストテレスのように存在を研究する学問である形而上学が第一の基礎的学問であるとされていたが、デカルトによって存在を認識する意識の研究である認識論が第一の基礎的学問とされるようになった。
認識論を基礎的学問とすると、従来の形而上学は独断的学問と見なされるようになり、意識による存在の構成問題が重視され、それがデカルト、イギリス経験論、カント、ヘーゲル、フッサールと続いた。
フッサールは超越論的主観性による存在構成という枠内で、形式的存在論と質料的存在論とを区別し、形式的かつ普遍的な本質を扱う形式的存在論はすべての学問の基礎となるのに対して、質料的かつ領域的な本質を扱う質料的存在論は、全ての事実学の基礎となるとした。
それに対してハイデガーは「存在と時間」において、フッサールが存在論を超越論的主観性による構成問題と解釈したことを批判し、むしろ実存的存在者としての人間の存在理解を解明するという基礎的存在論から存在論を構想すべきだとしていたが、後期においては、人間による存在理解から存在を解明するという方向を否定し、存在の側からの人間への働きかけという問題設定をするようになり、芸術、詩などを手がかりにその問題を探ろうとした。
このようなフッサール、ハイデガーの存在論についての考えを全く否定したのは、カルナップらの論理実証主義者やクワインらのネオプラグマティストであった。
かれらはラッセルの記述理論を利用して、存在問題を述語規定を満足させる対象選択の問題に帰着させ、科学の対象ともなる個々の領域的存在論は認めたが、それを超えた一般的存在論、形而上学を明確な述語を持たない偽の問題として否定した。
神の存在証明は人間の認識によると考えると、存在と認識の統一は、神の存在証明に関して欠かせなかったのだろう。
しかし神が存在することを前提としたこの統一理論では、神と人間の存在証明としての統一理論にはならない。実在者としての人間存在からでは論点先取りになってしまう
そこで神の存在から人間理解へと進むためにハイデガーは芸術や詩を手掛かりにしようとしたのだろうが、なぜ芸術なのだろうか。
芸術を神との接点に据えるということは、芸術が神の属性であることを前提に、人間の内に神の属性が内在していると考えたからにすぎない。発想的には素晴らしいのだが、いかにせん神そのものの歴史観がなく、神は何時如何なる事態で神となり、人間と関わったのかが不明のままなので、結局、神も人間もその存在性を明確に語れないことになってしまったのである。
神が存在するかしないかではなく、何故、神が存在しなくてはいけなかったのかが根本的な課題なのである。
仏教における存在の意味は、人間と仏ではなく、人間と仏性である。その意味では芸術と仏性はともに神および仏との接点の役割を担うというより、人間の持つ才能と人間そのものの存在証明のためと言える。
もっとも仏性は、科学の対象になるような領域ではないが、人間も時代も実存在であるゆえにもっと科学的思索の努力をし続けて欲しいし、怠ってはならないだろう。
人間生命の内に仏性が存在するかどうかという論争は、仏教哲学においても大きな問題であった。仏性を後天的に獲得するか、潜在的に存在するかである。生命の分析論としての十界論、一念三千論より見れば、人間存在とともに仏性も実存的存在である。さらに仏法は、時代もまた実存的存在と規定する。
 時代という存在は、人間という存在と確実に関わり続けながら変化する無常の存在そのものである。
時の流れを覚知することを私は、生命論序説で「悟り」と呼んだ。時の流れを読みとる方法の一つが時の業を知ることでもある。それほどに時の流れは、重要で深い意味がある。
時代の業を覚知するのは、人間の認識ではなく、人間の智慧である。時代の存在と業は、その時代の人間と芸術の存在にも関係していく。
時代とは何かという問いかけは、ある意味人間とはという問いかけと同様に重要であろう。それはその時代に生きる人間の存在意味すら決定することになるからである。
 存在を認識論で語ったり、物理的に語ったりしても時代そのものを存在論として語った哲学はないだろう。芸術作品が時代を超えて存在し続けられることの根拠を仏教的見地から見つめなおすことの意味を問い続けたいと思う。
有非情、業、蓮華と経といった仏法原理をさらに不二論に展開して述べることによって、人間と自然を神や仏と切り離して、人間存在の意味と時代の存在意味を見いだせると思っている。
 人間の持つ六識、六境、六根、六感は、個人の人間の不共業という特質だけでなく、生きたその時代と国土といった共業にも関わりを持ちながら人間は現在を生きる存在である。その時代を、芸術という表現形式で語る芸術家とその作品の意味がそれぞれの時代に価値を創造しながら人類史に継続しているのである。時代や環境は、その時代や環境に生きる人間の業因によって定まったものであるという。
依報とは依果または依報果ともいう。依は依止、即ち、よりどころの意。依怙依託の義にも用いられる。報は報い・果報・応報等の意味である。身心(正報)のよりどころとなる一切世間、即ち草木・国土・衣食などをさす。
正報とは「しょうぼう」とも読むが、生を営む主体のことである。これに対して生を営むために依り処とするものを依報という。妙楽の十不二門に「三千の中生陰の二千を以て正と為し、国土の一千を依に属す。依正既に一心に居す」とある。
三世間のうち五陰・衆生世間という有情の側面を正報といい、それを取り巻く非情の国土世間を依報とするが、依正の二法は不二であると考えるのが仏法である。
時代や環境を依報とし、その時代に生きる人間を正報とすれば、依正不二の原理は、共業と不共業の不二を意味する。さらに十界の依報と正報とを貫いてはたらく因果律のことを因縁果報という。正報の善悪の業因によって、善悪の業果としての依報が定まる。
すなわち依報と正報とは因果が一体不二である。またこれを蓮華と名づけている。つまり十界はことごとく蓮華の当体(当体蓮華)であるとする。天台の法華玄義巻七下には「当に知るべし、依正の因果は悉く是れ蓮華の法なり」とある。
 ある時代に生きる人間にとって、なぜこんな時代に生まれてしまったのかと悩むよりこの時代が抱える共業を真正面から見つめなおすことの重大さと、その時代に生きている人間の果たす役割を真摯に見つめなおすことを提言しておきたいと思う。
色心が三世に亘る因果の法であるのに対し、依正は三世に亘る因果の報ということなのである。そして時代は三世に亘る因果の応となる。
平和、文化、教育を最優先してこそ人権は守られる。この三つは政治経済の根幹である。現実には、まったく逆になってしまって平和・文化・教育より政治経済がすべての根幹であるかのように振る舞う。ここに人類の悲劇が生じる因がある。そしてさらに平和・文化・教育のその根底には、人間が存在するのである。
個々の有情の仏道修行が、やがて非情の国土の宿業という共業をも転換することだろう。非人道の嵐は収まり、人種差別に泣く民衆はいなくなる。人権無視の嵐も収まり人格価値の輝きは増す。それぞれの時代に生きる人間は、時代が持つ宿業の嵐に対し、その時代に生きる人間の果たすべき役割があるのだろう。
その時代その時代で、創造される芸術の形式や思考は変化するとしても、それはそのまま時代の持つ業でもある。けれどもいかなる時代であっても、芸術は芸術として存在することになる。
仏法でいう因縁についても一言述べておきたいと思う。果を生ずべき内的な直接の原因を因といい、因を助けて果に至らせる外的な間接の原因を縁という。摩訶止観巻五には「果を招くを因となす、また名づけて業となす……縁は縁由を名く、業を助くるは皆これ縁の義なり」とある。一切の現象(法)は、因と縁が和合して生滅を繰り返すと説く。
大乗入楞伽経巻二に「一切の法は因縁により生ず」とある。たとえば植物の種子は因で、日光、雨、土等は縁である。この因と縁が和合して初めて芽を生じ、花が咲いて果実がなる。
また仏道修行においては、一切衆生の生命に具わる仏性が因で、それが種々の仏・教法を縁として初めて、成仏の果を現すのである。大乗起信論に「諸仏の法は因あり縁あり、因縁具足して乃ち成弁することを得」と説いている。
総勘文抄には「因とは一切衆生の身中に総の三諦有つて常住不変なり此れを総じて因と云うなり縁とは三因仏性は有りと雖も善知識の縁に値わざれば悟らず知らず顕れず善知識の縁に値えば必ず顕るるが故に縁と云うなり」と述べている。また御義口伝には「衆生に此の機有つて仏を感ず故に名けて因と為す、仏機を承けて而も応ず故に名けて縁となす」と述べている。


とりあえず芸術論序説は、半分だけ公開することにした。
ここから述べることは、仏法用語を頻繁に用いますが、決して仏法の本質を語ってはいないのです。芸術という人間文化の一分野について仏法的解釈を施しているだけです。芸術に対してある人は、芸術道であると考える人もいますが、この道は仏道とは異なる道です。仏法は、命と仏道修行と衆生本有の妙理を解き明かした法です。したがって芸術を究極まで突き詰めてもそこから得られるものは、宇宙森羅万象の道理を見つめることしか出来ない二乗の悟りと言われるものです。そしてその悟りでは、人間とは何かという本源的な問いの答えではないのです。
何度も言いますが、芸術は人間及び人間文化にとって必要不可欠な存在ではありますが、直接の仏道修行でも本有の妙理を人間の命の内に開くための修行でもないのです。
このことを後半に入る前に再度、確認して置きたいと思います。



第4章 不二の空間論と芸術(未掲載)
☆彡少々訳があって掲載は当面見送らせていただきます



第5章 依正不二の人間と芸術(未掲載)
☆彡少々訳があって掲載は当面見送らせていただきます



第6章 色心不二の人間と芸術(未掲載)
☆彡少々訳があって掲載は当面見送らせていただきます
















第4章 不二の空間論と芸術(未掲載)
☆彡少々訳があって掲載は当面見送らせていただきます


第4章 不二の空間論と芸術
作品と作者の関係を不二論で考えてみたい。もっとも何度も言うようだが、仏法用語をかなり拡大解釈してあてはめたもので、仏法そのものではないことは前もって言っておきたい。仏法は生命論であって芸術論ではないからである。
芸術の空間論。すなわち芸術の存在が与える影響の空間的広がりを広略要で考察してみたい。一人の人間の占める空間は決して広くないが、その影響力はかなりの範囲をカバーできることがある。
他者に与える影響の空間性を空間的広がりとすれば、影響力という力用を説明するために不二の概念が必要になるのである。
不二は時間経過に関わらず存在する生命の特質である。徐々に不二に至るのではなく存在する時点で不二なのである。
不二とは、二而不二(二にして二ならず)の意である。一往、表相的には、二つあるいはそれ以上の互いに異なり、相容れないものであるが、再往、本質的には、それらは分かちがたく、一体であることをいう。
したがって二つの真逆の両者の不二という意味ではない。これは二つ以上であってもいいのである。不二の三身論、三諦、三如是、三因仏性といった仏法の原理もまた不二一体を説くことになる。
インド哲学、仏教においては、とりわけ、永遠にして普遍な真実在・実相と個々の存在・現象という表面的には相容れない二者が、本質的には同一であることが、論議されてきた。
この個々の存在と普遍の実在という立て分けは、人間の悩み方がよく出ている発想で、これは東洋だけでなく西洋においても同様であろう。表面的な問題を解決したいという願望に対し、本当の自分は他にあるとする視点である。
現実に起きる様々な悩みを表面的には解決不能であるとして、原因を本質、あるいは実相よりみなければならないとするわけで、ある意味鋭い分析にも見えるが、別の見方をすると超越的で現実逃避に見える場合もあることだろう。
芸術を語るのになぜこんな哲学的課題になってしまうのか。哲学的側面は、別の機会にして、今回は芸術における作者と作品における不二と時代を超えて鑑賞する作品と鑑賞者の関係における不二の空間論を述べてみたい。
不二論に立つ者は、表面的に対立する二者が本質的に同一であることを、個別的な事物において永遠普遍の真実在・実相が具える特性を開き顕し、苦悩からの本質的な解放(解脱)が実現できる根拠と考えている。
ヒンズー教の正統哲学の六派哲学のうち、ヴェーダーンタ学派には、不二一元論を唱えた有力な学派があった。また中国・唐代の妙楽大師湛然は、法華経の教説を、十の不二の法門として整理している。
ヴェーダーンタ学派の不二一元論と妙楽の十不二門について簡単に紹介しておこうと思う。①ヴェーダーンタ学派の代表的な思想家としてシャンカラがいる。彼は差別としての現象世界や多数の個我の現れを「無明」による「幻」として否定し、ただ永遠普遍の根本原理であり個々の事物の本質であるブラフマン・アートマンのみを実在と説き、不二であるとしたので「不二一元論」という。
そして、個我がブラフマンと一体であることを純粋な智慧によって直観する時、人は解脱することができると説いた。シャンカラの思想は、釈尊の縁起説や仏教の中観派の「空」の理論と類似しているところから、彼はたびたび「仮面の仏教徒」と呼ばれていた。
また十不二門は、法華玄義に説かれた本迹の十妙を妙楽が十の不二門によって釈し、同釈籤巻十四に詳説したものである。
法華円教の開顕会入、三千三諦の互具互融の教えによって十妙を十不二門に包摂し、教観一如を説いて衆生の一念の心に各門の相対する原理が不二の関係にあることを明かし、妙法に基づいてこそ衆生が自身に本性として具えている仏の覚りの境界を開き顕すことができることを示している。
十の不二の法門とは、色心不二門、内外不二門、修性不二門、因果不二門、染浄不二門、依正不二門、自他不二門、三業不二門、権実不二門、受潤不二門である。
妙楽の十不二門のうち芸術論として活用できると思われるものが、色心、依正、修性不二であると思うので、この三つに関して簡単に説明しておきたいと思う。
不二の概念はもともと時間的概念を含まない空間的概念であるのが特徴である。すなわちは時間経過に関係なく不二であるからである。
けれどもその中で修性不二は、時間的であるゆえに空間内の時間的概念として把握する。修得される徳分も性徳されている徳分もともに感応する時間を含むことによって空間内を時間的に不二と顕現されるからである。
色心不二が空間論的空間を意味するのは、法として色心を観るためで、法の顕現は空間によって規定されるゆえに空間的である。
依正不二が空間的時空間を意味するのは、因果の果報という時空間において顕現する不二であるゆえに時空間的要素を含むからである。
修性は空間内の時間性 (修性は得るところの徳の視点に時間性あり)
色心は空間内の空間性 (色心は法の持つ影響力に空間性が見え)
依正は空間内の時空間性(依正は結果としての報いという時空間性が見える)
いろいろと意見はあるでしょうが私はとりあえずこのように分類しただけですので御勘如願いたいと思います。
まず修性不二から考えて見たいと思う。修性不二門は、智妙、行妙によって立てたもので諸法の本性(本然として具わる実相、仏性)と修行によって得られるものとは同一であるという。
もっとも同一といっても修行によって本性は顕現し、本性によって修行が起こるといった関係なのである。本性と修行の関係における時間経過の存在を考慮しているゆえに修性不二は、空間内の時間性であるという考え方である。
もう少し詳しく修性不二について述べて置きたいと思う。修性は「しゅしょう」とも読む。修得と性得が一体不二であること。十不二門の第三。法華玄義釈籤巻十四に説かれている。
修行して得た徳を修徳(修得)、本来生命に具わった仏性を性徳(性得)という。天台は法華文句巻九下で「若し但だ性徳の三如来(註・法報応の三身如来)ならば、是れ横なり。但だ修徳の三如来ならば、是れ縦なり。……今経(註・法華経)は円かに不縦不横の三如来を説くなり」として、衆生の生命に本来内在する仏性と久遠の仏が修行して得たところの果徳とは不二であるとしている。
また妙楽は法華玄義釈籤で「衆生の一念には性徳が具わっているが、それは修行によって顕現される。この性・修は水と波のように二にして不二であり、修行によって性徳を照らしあらわし、本来性徳が具わっているゆえに修徳を起こすことができる。ゆえに不二である」と。
訓練して得るものは技術・技能であり、本来内在するものを才能と言う。したがって才能は、訓練によって顕現されるということになる。表現と芸術という観点から考えれば、その素材の選択いかんでは異なる表現形式が存在するし、選択という契機を経ることによって人の好き嫌いが影響してしまう。
好きでも才能はなかったなどということもおきるのが人間である。そこで技術と才能という視点で考えることは止めて、作者と作品という視点で考えることにする。性徳という仏性、あるいは才能の視点はさて置くことにしたい。
作者と作品は不二であるという点は、作品の出来栄えは無視しても納得できることがある。その作者と作品の修性、依正、色心の不二の三点で考察して見ることにしたい。
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もちろんこの法門は、仏の徳分や仏性について説かれたものであるから、直接的に人間の芸術的才能とは異なる視点ではあるが、この視点から芸術について考えて見たいのである。

修性は「衆生の生命に本来内在する仏性と久遠の仏が修行して得たところの果徳」(天台)のことであり、この修徳と性徳が不二であるというのである。まさに仏と人間をまったく差別しないこの思想は驚異的でもある。
仏法はなぜ仏を人間と別格の存在と把握しなかったのだろうか。人間と仏との無差別は、そのまま人間と自然を差別しないという思考にも繋がる。
さらに久遠の仏も修行したというところがポイントである。仏法でいう仏は法の名称であって、人間が修得して顕現可能な境涯であるということである。キリスト教における神は人間が成り得ない境涯の絶対者であるのに対し、仏法はそのような絶対者を設定しないのである。
ただしここで言う天台の言葉の意味は、法華経によって自身の報身仏を示した釈尊の久遠時の話である。この久遠の弟子であった釈尊の師を日蓮は、南無妙法蓮華経と命名したのである。けれどもこの南無妙法蓮華経という法身仏は、キリスト教における神のような絶対者ではなく法である。
人間以外に絶対者を設定しないと何が起こるかというと、すべて自己責任となる。人間の行動も思考、人生に起こる様々な問題も悩みも苦悩も喜びも悲しみもすべて自身の問題として解決する以外にないということになる。
けれども仏法は、自身で解決できない悩みは起きないと言う。悩みそのものが、その人の境涯にあった悩みしか出てこないからである。ようするに高望みした悩みなど悩みにならないのである。
技術であれ、芸術であれその人の力量にあった悩み方であり、素人が名人級の悩みなどしないということになる。ここが技芸道と仏道の大きく異なる点でもある。
天台の言う久遠の仏果と衆生の性徳の不二は、性徳の顕現にポイントがあり、この顕現は修得によるのではなく修得を縁として性徳を顕現するという意味となる。技芸における術の修得は、それなりに過酷な鍛錬が必要とする場合があるだろう。
仏法においては実に様々な修行法やその修行によって得られる境涯、位を何重にも設けているように見える。とても生きている間に到達できそうもない気がするくらいの量である。経文ごとに異なる修行法や得られる位を列挙したら切がないくらいである。
日蓮は、仏道修行に過酷な修行を強いることはないという。これを直ちに正観(中正真実の観念・観法・観行などの意で、仏の境地をいう)に達するという。即身成仏、速疾頓成と同意である。
爾前経では歴劫修行(成仏するために長い期間にわたって諸行を修すること)を説いたのに対し、法華経では、序分である無量義経に「必得疾成無上菩提」を説き、提婆達多品では竜女の即身成仏があらわれて、如来寿量品には「速成就仏身」と説かれているように、歴劫
修行によらず、速やかに仏の境地に達することができるとする。
無量義経や提婆達多品は、後世に追加された経文であるが、要は法華経の真意に適っているゆえに同時に用いたりするだけである。
日蓮のいう末法の修行は、三大秘法尽きる。日蓮の悟りともいうべき画期的な修行法である。もちろん日蓮が勝手に言っているわけではない。無量義経や法華経の文を依処として日蓮独自の法門を展開したのである。
なぜ、法華経なのかというと法華経でしか一念三千が成立しないからである。他宗では、それぞれ一念三千を意識して、自分たちの依処する経典にも一念三千は存在すると主張したり、同じ意義を持っているとしたりするが、日蓮はこれらの宗をワン・フレーズで破折する。念仏無限、真言亡国(法盗人)、禅天魔と。
当然のことであるが、芸術の習得のための訓練や努力は仏道修行とは異なる次元であるが、もって生まれた才能も全く訓練なしでは光り輝くものにはならいないのではないだろうか。さらに芸術の技能だけでなく人格、人間性、人柄、他者への思いやり等々の個々の内面のあり方、生き方もまたある意味訓練次第なのだろう。
いずれにしても持って生まれた才能と修練によって得た技量、器量は本質的に不二であるというのが仏法の発想である。

不二の空間論について
修性不二の視点から作者と作品は不二である。
芸術の空間論。すなわち芸術の存在が与える影響の空間的広がりを広略要で考察してみたい。一人の人間の占める空間は決して広くないが、その影響力はかなりの範囲をカバーできることがある。他者に与える影響の空間性を空間的広がりとすれば、影響力という力用を説明するために不二の概念が必要になるのである。不二は時間経過に関わらず存在する生命の特質である。徐々に不二に至るのではなく存在する時点で不二なのである。

広略要の原理は当然「要」を肝心とする。この要によって「広」の存在意味が異なる。それでは芸術における「要」とは何をさしているのだろうか。


{広略要}
【挙因勧信】「因を挙げて信を勧む」と読む。法華文句巻四下(□大◎正三十四巻五五ページ)で法華経方便品第二の「我本誓願を立てて 一切の衆をして 我が如く等しくして異ること無からしめんと欲しき 我が昔の所願の如き 今者は已に満足しぬ 一切衆生を化して 皆仏道に入らしむ」(〓法一七六ページ)の文を釈して述べた語。仏の因位における誓願をあげて信を勧めること。法華経方便品第二で、仏は昔、自ら菩提を求めただけでなく、一切衆生を同じく仏道に入らせようと誓ったがゆえに説法しているのであるとし、また今その誓いが達せられたとして、信を勧めていることをいう。□御◎御義口伝(七二〇ページ)

【広】①広く全体にわたること。略・要に対する語。広・略・要の広などのように用いられる。法華経題目抄に「一部・八巻・二十八品を受持読誦し随喜護持等するは広なり、方便品寿量品等を受持し乃至護持するは略なり、但一四句偈乃至題目計りを唱えとなうる者を護持するは要なり、広略要の中には題目は要の内なり」(九四二ページ)と述べられている②詳しいこと。略に対する語。広開近顕遠や広開三顕一の広などのように用いられる③幅が広いこと。広長舌の広のように用いられる。□御◎御義口伝(七七〇ページ)法華経題目抄(九四二ページ)
【広略要】広は広く全体にわたるもの、略は簡略にしたもの、要は肝心肝要なもののこと。法華経についていえば、広は法華経一部八巻二十八品をいい、略は主要な方便品第二や如来寿量品第十六等の何品かを取り出したものをいい、要は寿量品文底の三大秘法の南無妙法蓮華経をいう。法華経題目抄に「一部・八巻・二十八品を受持読誦し随喜護持等するは広なり、方便品寿量品等を受持し乃至護持するは略なり、但一四句偈乃至題目計りを唱えとなうる者を護持するは要なり、広略要の中には題目は要の内なり」(九四二ページ)と述べられている。また法華取要抄に「日蓮は広略を捨てて肝要を好む所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり」(三三六ページ)と仰せである。
【法華取要抄】文永十一年(一二七四年)五月二十四日、日蓮大聖人が五十三歳の時、身延から下総国(千葉県)の富木常忍に与えられた書(三三一ページ)。略して取要抄という。法華経の要中の要である三大秘法の南無妙法蓮華経こそ、末法弘通の本尊であることを明かされている。十大部の一つ。本書の御真筆は中山法華経寺にある。富士一跡門徒存知の事に「一、観心本尊抄一巻。一、取要抄一巻。一、四信五品抄一巻……已上の三巻は因幡国富城荘の本主・今は常住下総国五郎入道日常に賜わる、正本は彼の在所に在り」(一六〇五ページ)と述べられている。また大石寺には日興上人及び日目上人の写本が存する。大石寺第二十六世日寛の取要抄文段によると、題号のうち法華の二字は釈尊一代の所説中、爾前の経を簡び捨てて法華経のみを用いることを示し、取要の二字は広略要の法華経のうち、広略の法華経を簡び捨てて肝要のみを取ることを示し、そのゆえに法華取要抄というとする。内容は大別して三段に分けることができる。すなわち①一代聖教を教法、教主の両面から勝劣を明かして、法華経が最勝の経であることを示す②法華経、特に如来寿量品第十六は釈尊滅後末法の日蓮大聖人のために説かれたものであることを明かして、末法にその眼目のあることを示す③末法流布の大法は法華経の肝要である三大秘法の南無妙法蓮華経であることを示し、広略を捨てて要の法華経である妙法蓮華経の五字を取る理由を明かされている。題号の法華は三段ともに通じ、取要は③に限る。また本抄では、当時の天変地夭の現証をあげられて、これらは正法の行者である大聖人を誹謗したためであり、末法広宣流布の先相であることを示されている。なお題号には①如来が要を取って付嘱する旨を述べるゆえ②日蓮大聖人が要を取って弘通する相を述べるゆえ、の両意を含む。正しくは日蓮大聖人が要の法華経たる三大秘法の南無妙法蓮華経を取って、末法に弘通される相を述べられるために法華取要抄と名づけるのである。また本抄の題号の次に「扶桑沙門日蓮之を述ぶ」と述べられているのは、末法の御本仏、日蓮大聖人が久遠元初自受用身としての御振る舞いによって、久遠の法たる南無妙法蓮華経を伝えられ、広く説法教化される意を示されたものである。










 個と環境 中 如是性 空間内の時間性 







第5章 依正不二の人間と芸術(未掲載)
☆彡少々訳があって掲載は当面見送らせていただきます


第5章 依正不二の人間と芸術


依報と正報が二にして不二であること。妙楽大師は、天台大師が法華玄義に説いた十妙を解釈するため、法華玄義釈籤に十不二門を立て、諸経では対立して相いれないもの(二而)でも、円教である法華経からみれば互具互融して一体化される(不二)と釈して、衆生の一念は二而不二であるとした。その中の第六が依正不二門である。釈籤巻十四には「已に遮〓の一体不二なるを証す……三千の中、生・陰の二千を正と為し、国土の一千を依に属せしむるを以て、依正は既に一身に居す。一心豈に能所を分たんや。能所無しと雖も、依正宛然たり……一切は遮〓の妙境に非ざること莫し」(□大◎正三十三巻九一九ページ)とある。文の意は、一念三千において五陰と衆生の二千世間を正報、国土の千世間を依報とし、この依正の三千世間は、即一心・一念(生命)にあり、依正はおのおの別体ではなく不二の関係にあるということ。更に釈籤の十不二門の部分のみを取り出し一巻としたものに十不二門があり、これを注釈した四明知礼の十不二門指要抄巻下には「果後に下の三国土を示現するを名づけて依報と為し、前の三教の主及び九界の身を示現するを名づけて正報と為す。寂光の円仏、本と二無きを以ての故に……此の浄穢の土、及び勝劣の身、同じく初心の刹〓に在り。何の二か有らんや」(同四十六巻七一七ページ)とある。大意は、依報・正報の顕現は仏の徳用であるとし、依報(客体)と正報(自己主体)とはおのおの別物ではなく相互に関連しあって現実の世界を形成しているとの立場から、すべての存在は、根底では一念を離れて存在しないという。このように正報(生活主体である自己)と依報(生活環境である自然)とは観念のうえでは区別できるが、実際には分離することのできないものであり、両者の関係は二而不二(二にして而も二ならず)であり、相依相関性を成しているというのが依正不二の意味するところである。妙楽大師の法華文句記巻十下に「依報正報、常に妙経を宣ぶ」(同三十四巻三六〇ページ)とある。□御◎総勘文抄(五六三ページ)瑞相御書(一一四〇ページ)諸法実相抄(一三五八ページ)


依報と正報が二にして不二であること。妙楽大師は、天台大師が法華玄義に説いた十妙を解釈するため、法華玄義釈籤に十不二門を立て、諸経では対立して相いれないもの(二而)でも、円教である法華経からみれば互具互融して一体化される(不二)と釈して、衆生の一念は二而不二であるとした。その中の第六が依正不二門である。釈籤巻十四には「已に遮〓の一体不二なるを証す……三千の中、生・陰の二千を正と為し、国土の一千を依に属せしむるを以て、依正は既に一身に居す。一心豈に能所を分たんや。能所無しと雖も、依正宛然たり……一切は遮〓の妙境に非ざること莫し」(□大◎正三十三巻九一九ページ)とある。文の意は、一念三千において五陰と衆生の二千世間を正報、国土の千世間を依報とし、この依正の三千世間は、即一心・一念(生命)にあり、依正はおのおの別体ではなく不二の関係にあるということ。更に釈籤の十不二門の部分のみを取り出し一巻としたものに十不二門があり、これを注釈した四明知礼の十不二門指要抄巻下には「果後に下の三国土を示現するを名づけて依報と為し、前の三教の主及び九界の身を示現するを名づけて正報と為す。寂光の円仏、本と二無きを以ての故に……此の浄穢の土、及び勝劣の身、同じく初心の刹〓に在り。何の二か有らんや」(同四十六巻七一七ページ)とある。大意は、依報・正報の顕現は仏の徳用であるとし、依報(客体)と正報(自己主体)とはおのおの別物ではなく相互に関連しあって現実の世界を形成しているとの立場から、すべての存在は、根底では一念を離れて存在しないという。このように正報(生活主体である自己)と依報(生活環境である自然)とは観念のうえでは区別できるが、実際には分離することのできないものであり、両者の関係は二而不二(二にして而も二ならず)であり、相依相関性を成しているというのが依正不二の意味するところである。妙楽大師の法華文句記巻十下に「依報正報、常に妙経を宣ぶ」とある。□御◎総勘文抄(五六三ページ)瑞相御書(一一四〇ページ)諸法実相抄(一三五八ページ)

四土(凡聖同居土・方便有余土・実報無障礙土・常寂光土)といっても、法華円教の円融相即の教えに基づけば、一土にほかならないこと。総勘文抄には「此の極楽とは十方法界の正報の有情と十方法界の依報の国土と和合して一体三身即一なり、四土不二にして法身の一仏なり十界を身と為すは法身なり十界を心と為すは報身なり十界を形と為すは応身なり十界の外に仏無し仏の外に十界無くして依正不二なり身土不二なり一仏の身体なるを以て寂光土と云う是の故に無相の極理とは云うなり」(五六三ページ)と説かれている。この四土は特別な世界として別々に存在するのではなく、依正不二の法理から、そこに住する衆生の一念によって決定される。□御◎聖愚問答抄(四八六ページ)


① 依正不二門。感応妙、神通妙によって立てたもの。同釈籤に「三千の中、生・陰の二千を正と為し、国土の一千は依に属するを以て、依正既に一身に居す。一心豈に能所を分たんや。能所無しと雖も、依正宛然たり」(同三十三巻九一九ページ)とある。この正報と依報である国土もまた不二である。五陰と衆生の二千世間を正報、国土の千世間を依報とし、この依正の三千世間は即一心・一念にあるゆえである。なお染浄不二門、自他不二門も感応妙、神通妙によって立てたものである。

依正不二
依正不二が空間論的時間性を意味するのはなぜか。
不二の空間論における依報の働きは、

不二の空間論について
依正不二の視点から作者と作品は不二である
 個と環境 中 如是性 空間内の時間性 


依報と正報が二にして不二であること。妙楽大師は、天台大師が法華玄義に説いた十妙を解釈するため、法華玄義釈籤に十不二門を立て、諸経では対立して相いれないもの(二而)でも、円教である法華経からみれば互具互融して一体化される(不二)と釈して、衆生の一念は二而不二であるとした。その中の第六が依正不二門である。釈籤巻十四には「已に遮〓の一体不二なるを証す……三千の中、生・陰の二千を正と為し、国土の一千を依に属せしむるを以て、依正は既に一身に居す。一心豈に能所を分たんや。能所無しと雖も、依正宛然たり……一切は遮〓の妙境に非ざること莫し」(□大◎正三十三巻九一九ページ)とある。文の意は、一念三千において五陰と衆生の二千世間を正報、国土の千世間を依報とし、この依正の三千世間は、即一心・一念(生命)にあり、依正はおのおの別体ではなく不二の関係にあるということ。更に釈籤の十不二門の部分のみを取り出し一巻としたものに十不二門があり、これを注釈した四明知礼の十不二門指要抄巻下には「果後に下の三国土を示現するを名づけて依報と為し、前の三教の主及び九界の身を示現するを名づけて正報と為す。寂光の円仏、本と二無きを以ての故に……此の浄穢の土、及び勝劣の身、同じく初心の刹〓に在り。何の二か有らんや」(同四十六巻七一七ページ)とある。大意は、依報・正報の顕現は仏の徳用であるとし、依報(客体)と正報(自己主体)とはおのおの別物ではなく相互に関連しあって現実の世界を形成しているとの立場から、すべての存在は、根底では一念を離れて存在しないという。このように正報(生活主体である自己)と依報(生活環境である自然)とは観念のうえでは区別できるが、実際には分離することのできないものであり、両者の関係は二而不二(二にして而も二ならず)であり、相依相関性を成しているというのが依正不二の意味するところである。妙楽大師の法華文句記巻十下に「依報正報、常に妙経を宣ぶ」(同三十四巻三六〇ページ)とある。□御◎総勘文抄(五六三ページ)瑞相御書(一一四〇ページ)諸法実相抄(一三五八ページ)


依正不二
生死不二
生死流転
修行を六識に求めよ
空仮中の三諦
法報応の三身
三如是と相性体の三転
三千羅列の因果
十法界
従因至果
本因本果




第6章 色心不二の人間と芸術(未掲載)
☆彡少々訳があって掲載は当面見送らせていただきます



第6章 色心不二の人間と芸術
三世に亘る因果の法 個の色心 空 相 空間内の空間性

木絵二像開眼之事には「自身の思を声にあらはす事ありされば意が声とあらはる意は心法・声は色法・心より色をあらはす、又声を聞いて心を知る色法が心法を顕すなり、色心不二なるがゆへに而二とあらはれて仏の御意あらはれて法華の文字となれり、文字変じて又仏の御意となる」(四六九ページ)と述べられ、色法、心法は互いに融通して不二であることを明かされている。また御義口伝には「色心不二なるを一極と云うなり」(七〇八ページ)と仰せになり、諸法の実相は色法、心法が不二にして二、二にして不二(不二而二、二而不二)の相即不二の関係にあることが示されている。□御◎諸宗問答抄(三八〇ページ)


色と心とが二にして(二而)不二であること。色(色法)とは物質、肉体など外形的なもの、またこれにあらわれる変化の相をいう。心(心法)とは精神、心など内面的なもの、またその力用をいう。色法すなわち外形としてあらわれた具体的な相と、心法すなわち生命内奥の世界の二つが不二であることを色心不二という。天台大師が法華玄義巻二上(□大◎正三十三巻六九七ページ)で説いた十妙を受けて、妙楽大師は法華玄義釈籤巻十四で十不二門を説いているが、その第一・色心不二門は境妙によって立てたもので「一に色心不二門とは……皆な総別の二意有り。総は一念に在り。別は色心を分つ。何となれば、初めの十如の中、相は唯だ色に在り、性は唯だ心に在り、体・力・作・縁は義、色心を兼ね、因果は唯だ心、報は唯だ色に在り……既に別を知り已れば、別を摂して総に入る」(同三十三巻九一八ページ)と述べ、智〓が観照するところの十如、十二因縁、四諦などの境(対境)は、総じては一念の心にあって、円融相即して色心不二であり、別しては色法と心法の二つに分けられるとしている。天台家では、観法を成じるために、色心を一念に摂して不二を成じ、一念から色心の諸法を生じるとするのである。天台大師の教観を宣揚した四明派(山家)の祖である知礼が著した十不二門指要抄巻上には「総は一念に在り、別は色心を分つ」の文を釈して「総は一念に在りとは、若し諸法の互いに摂するを論ぜば、一法を挙ぐるに随って、皆な総と為すことを得。即ち三無差別なり。今、観を成じ易からしめんが為めの故に、故に一念の心法を指して総と為す。然るに此の総別は理事に分対す可からず。応に知るべし、理具の三千と事用の三千に各総別有り。此の両、相即して方に妙境と称す」(同四十六巻七〇八ページ)と述べている。つまり一念と色心の諸法はともに同格であり無差別である。また総を理とし、別を事とすることもできず、理事は両方にわたる。故に理性の中にもともと三千の諸法の差別的事相が内在されており、また、一つ一つの事相の中にも三千の全体が同じく内在されている。したがって心法から切断された色法はなく、また色法を離れて心法はなく、色法、心法は相即不二の関係にあって、衆生の一念に円融しているとするのである。木絵二像開眼之事には「自身の思を声にあらはす事ありされば意が声とあらはる意は心法・声は色法・心より色をあらはす、又声を聞いて心を知る色法が心法を顕すなり、色心不二なるがゆへに而二とあらはれて仏の御意あらはれて法華の文字となれり、文字変じて又仏の御意となる」(四六九ページ)と述べられ、色法、心法は互いに融通して不二であることを明かされている。また御義口伝には「色心不二なるを一極と云うなり」(七〇八ページ)と仰せになり、諸法の実相は色法、心法が不二にして二、二にして不二(不二而二、二而不二)の相即不二の関係にあることが示されている。□御◎諸宗問答抄(三八〇ページ)
「最も美しい自然は、好きな人と見る景色だ」という味わい深い言葉ある。
感動も動揺も心が動かされているが、その違いは方向性であろう。不安から不信そして乱へと動揺は進展する。
感動は個人的
共感は
芸術は心をありのままに映す。純粋に自然を見る目と自分を見る目。
芸術は技術であってはいけないような気がしてきた。技術あるいは技巧ではなくありのままの自分。無作。
無作のままでは芸術にはならない。
芸術が金になるかならないかは、時が決めると時のせいにすれば気が楽になる。

色心は身と心、肉体・物質と精神のこと。依正は依報と正報のこと。色心不二・依正不二である一切の森羅万象をさす。それゆえ、一切衆生もまた色心不二・依正不二の当体となる。□御◎四条金吾殿御返事(一一四三ページ)
倶滅は「ぐめつ」とも読む。色心(身と心)倶に滅して涅槃を得ようとする小乗の考え方。灰身滅智と同義。二乗が無余涅槃(永遠にして完全な涅槃)を得るために、苦の原因となる色心を滅せんとすることをいう。□御◎十法界事(四一八ページ)
人間の身心を表現した言葉。色心の色は肉体、心とは精神をさす。幻化とは、はかない幻影、すなわち常住不変の実体がなく無常であることを意味する。四大(地水火風)は宇宙のすべてを構成する要素。五陰ご おん▲は色・受・想・行・識で、色は肉体的・現象的側面をいい、受想行識は精神的・本性的な側面を四種に分類したものをいう。□御◎御義口伝(七八九ページ)
色法と心法が三世にわたって永遠に常住すること。色とは肉体や物質をいい、心とは精神をいう。常住は無常に対する語で永遠不滅の意。生命が無始無終であり永遠に不滅であることをいう。法華経の迹門までは始成正覚の仏による始覚無常の法門が説かれ、法華本門に至って初めて本覚常住の法門が説かれる。如来寿量品第十六に本因(我本行菩薩道)、本果(我成仏已来)、本国土(我常在此娑婆世界説法教化)の三妙が合論され、釈尊の因行果徳のうえから仏寿の常住が明かされている。しかし日蓮大聖人の久遠元初の仏法、すなわち無始無終む し むしゆう▲の生命観に対すれば、釈尊の本覚常住の法門といえども有始有終の法門となる。□御◎十法界事(四二一ページ)
色心(身と心)が相応じていること。色心相応の信者といった場合、心に信受する信心をそのまま実践に移す人のこと。□御◎阿仏房尼御前御返事(一三〇七ページ)
色(肉体)と心(精神)が互いに影響しあい、かつ相即不二になって存在する一瞬の生命状態をいう。一念とは、瞬間の生命をいい、天台大師は一念を一心ともいい、妙楽大師は一心法といった。一瞬の生命に十界、百界千如、三千世間が具足され、瞬間瞬間に、幸、不幸を感じ、因果を具足し、森羅万象も、過去遠々劫、未来永劫もはらみ、善悪も色心の二法もことごとく具足している。大石寺第二十六世日寛の当体義抄文段に妙楽大師の法華玄義釈籤巻十四の文(□大◎正三十三巻九一八ページ)を引いて、「問う、『因果倶時・不思議の一法』とは、その体何物ぞや。答う、即ちこれ一念の心法なり。故に伝教の釈を引いて『一心の妙法蓮華』というなり。当に知るべし、この一念の心法とは、即ちこれ色心総在の一念なり。妙楽が『総じては一念に在り。別しては色心に分ち、別を摂して総に入る』等というはこれなり」(□文〓段◎集六八六ページ)とある。妙楽大師のいう総在一念とは、生命の実相は色と心が不二であり、我が一念に存在すると観察したものである。また一念三千理事によると、十如是が色心にわたることが明かされており、十如が一念に収まる以上、色心の二法はともに一念に具わるのである。また一念には空仮中の三諦が具わる。空諦は心法、仮諦は色法、中諦は色心二法、ゆえに一念は色心総在の一念である。□御◎一念三千理事(四〇七ページ)
色法と心法のこと。「しきしんふに」を見よ。□御◎御義口伝(七四四ページ)
生命にそなわる原因・結果の法則のこと。有情、非情を問わず一切の生命には色法、心法を貫く因果の理法がそなわっていることをいう。色とは色法で、肉体、物質などの目に見えるもの、外形的にあらわせるものをいう。心とは心の働き、精神をいう。色心の二法をそなえたものが生命なので色心で生命を意味する。そのことを法華玄義釈籤巻十四に「相は唯だ色に在り。性は唯だ心に在り。体・力・作・縁は義、色心を兼ね、因果は唯だ心、報は唯だ色に在り」(□大◎正三十三巻九一八ページ)とあり、金〓論には「乃ち謂わく、一草・一木・一礫・一塵、各一仏性、各一因果あり。縁了を具足す」(□大◎正四十六巻七八四ページ)とある。□御◎観心本尊抄(二三九ページ)
色法と心法のこと。色法とは物質、肉体など外形的なものをいい、心法とは精神、心の働きなど内面的なものをいう。この色心の二法は二にして不二である。□御◎御義口伝(七三二ページ)


肉体的、精神的な障魔のこと。色は色法、心は心法の意で、それぞれ肉体面、精神面の諸の働きをいい、色心の両面から起こって成仏を妨げる諸の現象をいう。□御◎四条金吾殿御返事(一一七〇ページ)
身と心が相応しないこと。つりあわないこと。色心相応に対する語。心(精神)には大いなるものを持っていても、身の姿が卑しく、心にともなわないことなどをいう。□御◎佐渡御書(九五八ページ)
色と心とが二にして(二而)不二であること。色(色法)とは物質、肉体など外形的なもの、またこれにあらわれる変化の相をいう。心(心法)とは精神、心など内面的なもの、またその力用をいう。色法すなわち外形としてあらわれた具体的な相と、心法すなわち生命内奥の世界の二つが不二であることを色心不二という。天台大師が法華玄義巻二上(□大◎正三十三巻六九七ページ)で説いた十妙を受けて、妙楽大師は法華玄義釈籤巻十四で十不二門を説いているが、その第一・色心不二門は境妙によって立てたもので「一に色心不二門とは……皆な総別の二意有り。総は一念に在り。別は色心を分つ。何となれば、初めの十如の中、相は唯だ色に在り、性は唯だ心に在り、体・力・作・縁は義、色心を兼ね、因果は唯だ心、報は唯だ色に在り……既に別を知り已れば、別を摂して総に入る」(同三十三巻九一八ページ)と述べ、智〓が観照するところの十如、十二因縁、四諦などの境(対境)は、総じては一念の心にあって、円融相即して色心不二であり、別しては色法と心法の二つに分けられるとしている。天台家では、観法を成じるために、色心を一念に摂して不二を成じ、一念から色心の諸法を生じるとするのである。天台大師の教観を宣揚した四明派(山家)の祖である知礼が著した十不二門指要抄巻上には「総は一念に在り、別は色心を分つ」の文を釈して「総は一念に在りとは、若し諸法の互いに摂するを論ぜば、一法を挙ぐるに随って、皆な総と為すことを得。即ち三無差別なり。今、観を成じ易からしめんが為めの故に、故に一念の心法を指して総と為す。然るに此の総別は理事に分対す可からず。応に知るべし、理具の三千と事用の三千に各総別有り。此の両、相即して方に妙境と称す」(同四十六巻七〇八ページ)と述べている。つまり一念と色心の諸法はともに同格であり無差別である。また総を理とし、別を事とすることもできず、理事は両方にわたる。故に理性の中にもともと三千の諸法の差別的事相が内在されており、また、一つ一つの事相の中にも三千の全体が同じく内在されている。したがって心法から切断された色法はなく、また色法を離れて心法はなく、色法、心法は相即不二の関係にあって、衆生の一念に円融しているとするのである。木絵二像開眼之事には「自身の思を声にあらはす事ありされば意が声とあらはる意は心法・声は色法・心より色をあらはす、又声を聞いて心を知る色法が心法を顕すなり、色心不二なるがゆへに而二とあらはれて仏の御意あらはれて法華の文字となれり、文字変じて又仏の御意となる」(四六九ページ)と述べられ、色法、心法は互いに融通して不二であることを明かされている。また御義口伝には「色心不二なるを一極と云うなり」(七〇八ページ)と仰せになり、諸法の実相は色法、心法が不二にして二、二にして不二(不二而二、二而不二)の相即不二の関係にあることが示されている。□御◎諸宗問答抄(三八〇ページ)

色心が不二の空間性を意味しているところの因果の法について

自然と人間を徹底的に同一視する仏法から観れば、修性も色心も依正もそのまま自然観になる。

感応と湧現と仏性

② 色心不二門。境妙によって立てたもの。同釈籤巻十四に「総は一念に在り、別は色心を分つ」(同三十三巻九一八ページ)とある。十如是、四諦等の境は総じては衆生の一念に色心不二としてあり、別しては色法と心法の二法に分別される。また三千の諸法は衆生の心性におさまり互具互融しており、ゆえに一念を知ればあまねく一切を知ることができる
 色心不二
色心不二が空間論的時空間性を意味するのはなぜか。

色と心とが二にして(二而)不二であること。色(色法)とは物質、肉体など外形的なもの、またこれにあらわれる変化の相をいう。心(心法)とは精神、心など内面的なもの、またその力用をいう。色法すなわち外形としてあらわれた具体的な相と、心法すなわち生命内奥の世界の二つが不二であることを色心不二という。天台大師が法華玄義巻二上(□大◎正三十三巻六九七ページ)で説いた十妙を受けて、妙楽大師は法華玄義釈籤巻十四で十不二門を説いているが、その第一・色心不二門は境妙によって立てたもので「一に色心不二門とは……皆な総別の二意有り。総は一念に在り。別は色心を分つ。何となれば、初めの十如の中、相は唯だ色に在り、性は唯だ心に在り、体・力・作・縁は義、色心を兼ね、因果は唯だ心、報は唯だ色に在り……既に別を知り已れば、別を摂して総に入る」(同三十三巻九一八ページ)と述べ、智〓が観照するところの十如、十二因縁、四諦などの境(対境)は、総じては一念の心にあって、円融相即して色心不二であり、別しては色法と心法の二つに分けられるとしている。天台家では、観法を成じるために、色心を一念に摂して不二を成じ、一念から色心の諸法を生じるとするのである。天台大師の教観を宣揚した四明派(山家)の祖である知礼が著した十不二門指要抄巻上には「総は一念に在り、別は色心を分つ」の文を釈して「総は一念に在りとは、若し諸法の互いに摂するを論ぜば、一法を挙ぐるに随って、皆な総と為すことを得。即ち三無差別なり。今、観を成じ易からしめんが為めの故に、故に一念の心法を指して総と為す。然るに此の総別は理事に分対す可からず。応に知るべし、理具の三千と事用の三千に各総別有り。此の両、相即して方に妙境と称す」(同四十六巻七〇八ページ)と述べている。つまり一念と色心の諸法はともに同格であり無差別である。また総を理とし、別を事とすることもできず、理事は両方にわたる。故に理性の中にもともと三千の諸法の差別的事相が内在されており、また、一つ一つの事相の中にも三千の全体が同じく内在されている。したがって心法から切断された色法はなく、また色法を離れて心法はなく、色法、心法は相即不二の関係にあって、衆生の一念に円融しているとするのである。木絵二像開眼之事には「自身の思を声にあらはす事ありされば意が声とあらはる意は心法・声は色法・心より色をあらはす、又声を聞いて心を知る色法が心法を顕すなり、色心不二なるがゆへに而二とあらはれて仏の御意あらはれて法華の文字となれり、文字変じて又仏の御意となる」(四六九ページ)と述べられ、色法、心法は互いに融通して不二であることを明かされている。また御義口伝には「色心不二なるを一極と云うなり」(七〇八ページ)と仰せになり、諸法の実相は色法、心法が不二にして二、二にして不二(不二而二、二而不二)の相即不二の関係にあることが示されている。□御◎諸宗問答抄(三八〇ページ)


不二の空間論について
色心不二の視点から作者と作品は不二である
 個と環境 中 如是性 空間内の時間性 





芸術論序説 第三節(未掲載)

第3節 生命と芸術(未掲載)
第1章 相即の時間論と芸術(未掲載)
第2章 冥合の時空間論と芸術(未掲載)
第3章 生命次元の芸術論(1)(未掲載)
第4章 生命次元の芸術論(2)(未掲載)
第5章 私事(宗真流 茶華道の旗揚げ)(未掲載)
第6章 清翠庵 水谷直彗の一生(短編小説)(未掲載)
  
第1章 相即の時間論と芸術(未掲載)
☆彡少々訳があって掲載は当面見送らせていただきます

芸術論序説 第三節 生命と芸術
第1章 相即の時間論と芸術
妙楽の説で注目すべきことは、絶待妙という言葉にある。絶待とは絶対ではない。絶待の意味は日蓮本仏論序説で述べておいたので参考にしてほしい。ここでは略させてもらうが、一言だけ言わせてもらうと、仏教の仏は、西洋でいうところの絶対者とは大きく異なる概念であるということである。
もちろん仏教にも絶対という言葉はでてくるが、相対は互いに対立することであるが、相待は互いに待つことになる。比較する仕方、思いが違うのである。
相互関係が相対的な相関関係を持つものの勝劣浅深を観る方法が相対や相待であるが、相関関係がない互いに独立したものの勝劣浅深を観る場合には、相待という概念を用いることになる。そして相待に対するものが絶待である。

【相待】「そうだい」とも読む。あい待つ、あい待遇するの意。絶待に対する語。待は、待つ、対するの意。仏法では相待妙の略で、絶待妙に対する語。天台大師の立てた教判で、ある経典と他の経典を比較相対して、取捨選択を行うこと。□御◎開目抄(二二七ページ)□宗二◎本因妙口決(七九ページ)
【相対】①他との勝劣浅深を比較すること②相互に向き合っていること③相互に関係を持っていること。対立すること④哲学上、「絶対」に対する語で、他との関係において存在すること。あるいは、一定の条件のもとで妥当することをいう⑤天台宗において、相対種の開会の略称として用いる。□御◎頼基陳状(一一五四ページ)
【相対開会】相対を伴った開会。麁・権などの相対的諸法を所開とし、絶対の妙法を能開として開会すること。麁・権は開会されて妙法に帰入したが、なお開会するもの(能開)と開会されるもの(所開)の相対があるゆえに、相対開会という。絶対開会に対する語。本因妙抄に説かれた二十四番勝劣(天台の法門と文底下種仏法とを相対して二十四点にわたって述べたもの)の第十四。同抄には「彼は相対開会を表と為し」(八七五ページ)とあり、天台の法門は絶待妙を立てるといえども、なお相対を表とした絶待であることを示されている。
【相対種】衆生の生命に本然としてそなわっている煩悩・業・苦の三道のこと。法華文句巻七上にある(□大◎正三十四巻九四ページ)。法華経薬草喩品第五の「此の衆生の種(種類)、相(あり方)、体(本体)、性(性質)」(〓法二八三ページ)の種の字を釈したもの。しかし、この三道も妙法を信受することによって即、法身・般若・解脱の三徳と開くことができる。これを成仏という。□御◎御義口伝(七九五ページ) 始聞仏乗義(九八三ページ) 妙一女御返事(一二六二ページ)
【相待妙】「そうだいみょう」とも読む。他と比較相対して妙を立てること。絶待妙に対する語。天台大師が妙法蓮華経の経題を釈する中で、妙の一字について立てたもので法華玄義巻二上に説かれている(□大◎正三十三巻六九六ページ)。法華経以外の諸経と法華経とを比較相対して、他の諸経は麤(粗悪なこと)であり、法華経は妙であることをいう。即ち、彼此相対して彼が麤法であるのに対(待)して、此れが妙であると比較のうえで論じていく教判が相待妙であり、破麤顕妙、廃麤顕妙がこれにあたる。□御◎唱法華題目抄(一二ページ) 諸宗問答抄(三七六ページ、三七七ページ)
【相待妙の戒】相待は「そうだい」とも読む。爾前の諸経の戒と法華経の戒を相待すれば、法華経の戒は勝れ、妙戒であること。絶待妙の戒に対する語。□御◎十法界明因果抄(四三五ページ)

絶対的幸福と相対的幸福
絶待的幸福論と相待的幸福
人は誰でも相対的な幸福を願うものである。
依正不二論は色心不二論とともに芸術論の根幹をなす哲学である。

人間と自然の依正不二
自然は自然であって、天地人、五行、真行草はいらない。
自然が正法になれば、菩薩でない自然はないから人間を形付け支えることが出来る。
人間が正法になれば、人間は自然にその存在によって影響を与えることができる。菩薩を湧現した人間は、自然に対しても菩薩を感応させる。人間の乱れは自然の乱れとなって顕現する。
この人間と自然の関係は、人間と人間が創作する芸術の関係にあっても同様のことが考えられる。
人間と芸術作品は不二の関係にあるといっても過言ではないだろう。


芸術の時間論。すなわち作者と作品と鑑賞者における過去・現在・未来の三時に亘る価値の時間論である。

作者は死んでも作品は後世に残る。作品は作者の生命状態が、作品の生命の基底部に存在して、その後に様々な影響によって状態は変遷するが、常に基底部に戻る。影響とは時代や鑑賞者の生命状態、さらに作品が置かれた環境をも含む。作品を正報とすれば影響は依報である。この依正は相即相入して時代に生きる。
作品は存在する時代とともにその体は相即し、用は相入して生き残る。

相即相入は、華厳経探玄記巻四等に説かれる原理である。相即とは、二者が別の概念でありながら一体であり、諸法の体において互いに融け合い、礙げがなく、一体不二のことである。相即は体(当体・本体)の立場から観て、一(個)がなければ多(全体)は成り立たず、また多によって一が考えられるゆえに、一と多とは密接不離であることをいう。また相入は用(作用・働き)の立場からみて、一における働きは多に影響を与え、また全体の働きから一の働きは考えられるゆえに、これも密接不離であることをいう。
したがって一切の存在と働きは不可分であり、すべては融合し関連しているといえる。これが時代を読み取る力(三如是)用(七如是)となる。

【相即円満】迷いの煩悩と悟りの菩提は、その本性がもともと一つであり、一体不二であること。修禅寺相伝日記で妙法蓮華経の五字を五重玄にあてはめ、蓮の名に十八円満があるとした中の第五。衆生が煩悩に覆われたその身のままで仏界を円満に具えていること。修禅寺相伝日記に「五に相即円満。謂わく、煩悩の自性全く菩提にして、一体不二の故に蓮と為す」(〓伝五巻一三一ページ)とある。□御◎十八円満抄(一三六二ページ)
【相即円融】法華経の妙理をいい、円融相即に同じ。円満であって偏らず、融通性があって分け隔てがないこと。円融は、諸法が互いに融合し、一法に一切法を具し(円満)、一切法は一法に収まって本然一体をなすこと。□御◎総勘文抄(五七一ページ)
作者と作品は相即円融、円満にして互いに融合し、本然一体をなしているのである。この原理は時代と環境にあっても当てはまると考えている。したがって作品と鑑賞者においても相即を為すと考えるのである。
【相即の三身】三身が一仏身に具わっていること。三身相即と同意。三身とは法身・報身・応身をいう。法華真言勝劣事に「諸経には始成正覚の旨を談じて三身相即の無始の古仏を顕さず」(一二四ページ〓と述べられているのは、爾前の諸経に説かれている始成の仏は、三身各別に説かれているが、法華経如来寿量品に至って三身が相即し、一身即三身、三身即一身が説かれ、初めて久遠の仏身が説きあらわされたことを意味する。□宗一◎化儀秘決(二九二ページ)
【相即不二】二つの事象が密接不離であることをいう。種々の義があり、一義をあげれば、個別のものが働きを異にしながらも、その本体は一体不二であること。単に相即・即・不二という場合も同義。
【相即融通】互いに融け合って、差別がなくなり一体であること。仏の心も衆生の心もその体は一であり、その現れた迷悟の二義は互いに融通する。相即は、二者が別の概念でありながら一体であること。融通とは互いに礙げずに通じ合うこと。生仏一如、煩悩即菩提の理を説いたもの。総勘文抄には「鏡は一の鏡なりと雖も向い様に依つて明昧の差別有り鏡に裏有りと雖も面の障りと成らず只向い様に依つて得失の二つ有り相即融通して一法の二義なり」(五七〇ページ)と述べられている。
【即】相即・不二・和融と同義。①四明知礼(中国天台宗)の説。十不二門指要鈔巻上に三種の相即論を説いている(□大◎正四十六巻七〇七ページ)。
①-1二物相合の即。二つの事象が別体でありながら合して離れないこと。例えば清浄の蓮華と汚れた泥土との関係をいう①-2背面相翻の即。現象の相は二つであるが、その本体は一つであること。たとえば人の背と正面とは別の姿であるが、本体は一つである①-3当体全是の即。たがいに矛盾する性質が一個の当体に全て具わること。九界即仏界など、十界互具の即がこれにあたる。たとえば御義口伝に「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり」(七一〇ページ)とあるように、煩悩を燃やすことによって、菩提の火としてあらわれる。これを究竟の即とする
②三論宗の吉蔵の説。大乗玄論巻一に二種の即を立てている(□大◎正四十五巻二一ページ)。②-1即是の即。二つの事象が一体不二の関係にあること②-2不相離の即。二つの事象が別体でありながらも相離れないこと
③同時即と異時即の二義。③-1同時即。時間的な隔てのないこと③-2異時即。時間的に隔てがあるが、二者は相離れない関係にあること。□御◎御義口伝(七五九ページ)
異時即とは同時即に対する語。時は異にするが本質は一体であることをいう。たとえば「五戒を修すれば即人界に生まれ、十善を修すれば即天界に生まれる」という場合の即がこれである。→同時即

同時即不二の一面を持つ。

【以円為即】「円を以て即と為す」と読む。妙楽大師が法華文句記巻四上で、法華文句巻三上の「即是真秘」(□大◎正三十四巻三六ページ)の「即」を解釈した語。法華文句記巻四上に「第三に秘妙に約して釈するとは、妙を以ての故に即なり。前の四時に通ずるに円を以て即と為し、三を不即と為さんと欲せんが為めの故に、更に不即に対して、以て即を釈す」(同三十四巻二一七ページ)とある。円とは円融円満、即とは不二、不離の義で、以円為即とは、円融円満の法華経では九界と仏界、方便権教と実教とが相即であることをいう。これは天台大師が方便に法用・能通・秘妙の三方便があるとし、法華経の本意は秘妙方便にあるとしたのを、妙楽大師が更に詳しく述べたもの。法用・能通方便が体外の方便であり、権と実とが不即であるのに対して、秘妙方便は体内の方便であり、権即実であり、万法がことごとく真義の一分を有し、真実でないものはないことをいった。方便品の方便とは秘妙方便をいう。日蓮大聖人は御義口伝に「妙楽の記の三の釈に本疏の即是真秘の即を以円為即と消釈せり、即は円なれば法華経の別名なり即とは凡夫即極・諸法実相の仏なり、円とは一念三千なり即と円と言は替れども妙の別名なり」(七一四ページ)と仰せられている。

【即身】その身を改めず、その身そのままでの意。現在の身体をいう。即とはそのまま、離れず、直ちに等の意。身とは、身体の意。また、木絵二像開眼之事では「法華を悟れる智者・死骨を供養せば生身即法身・是を即身といふ、さりぬる魂を取り返して死骨に入れて彼の魂を変えて仏意と成す成仏是なり、即身の二字は色法成仏の二字は心法・死人の色心を変えて無始の妙境・妙智と成す是れ則ち即身成仏なり」(四七〇ページ)と、即身と成仏を色心に配して述べられている。□御◎上野殿御返事(一五六四ページ)
【即身成仏】衆生が凡夫のその身のままで仏に成ること。法華経以前の諸経では、悪人は善人に身を変じ、長期の修行(歴劫修行)によって三十二相八十種好をそなえて仏になると説かれる。しかし法華経では、歴劫修行によらず、妙法の功力によって凡夫の肉身のままの姿で成仏を得るとされる。たとえば法華経提婆達多品第十二(〓法四二九ページ)では、八歳の竜女の即身成仏が明かされている。この即身成仏の義は、法華経の義によって天台家で立てた主要の法門。」
爾前の諸経に即身成仏を説く場合は、通教では第八地已上、別教では初地已上、円教では初住已上の菩薩の即身成仏をいう。天台家ではあるいは十信(相似即)、観行即ないし名字即の凡夫より即身成仏する義を明かす。日蓮大聖人の仏法は正しく名字即を以て即身成仏の位とする。伝教の法華秀句巻下に「即入の言は、即身と異なること無し。他宗所依の経には、都て即身入無し。一分即入と雖も、八地已上を推して、凡夫の身を許さず。天台法華宗には具さに即入の義有り」(〓伝三巻二六七ページ)とある。また総勘文抄には「己心と仏心とは異ならずと観ずるが故に生死の夢を覚まして本覚の寤に還えるを即身成仏と云うなり」(五六五ページ)とある。日蓮大聖人は末法の修行として直達正観・事行の一念三千の法門を建立された。□御◎観心本尊抄(二四九ページ)□法◎提婆達多品第十二(四二九ページ)□文◎観心本尊抄文段(五二一ページ)取要抄文段(五七五ページ)

三如是とは、法華経方便品第二に説かれる十如是の中の如是相・如是性・如是体のことである。如是相は外面の姿、形をいう。如是性は内面の性質で、精神、心、智慧等をいう。如是体とは相と性とをもった実体をいう。十如是を体と用との関係に分ければ、この三如是が体となり、残りの七如是が用となる。三如是を三諦、三身、三徳、三因仏性に配すれば、図のようになる。
相  空  法  法身  了因 時空間=冥号
体  仮  応  解脱  縁因 空間 =不二
性  中  報  般若  正因 時間 =相即
今世においては不改の体であり、相と性は変化する。そして相と性は相即する。時空間と時間は相即して空間に融合している。
三世においては不改の性であり、相と体は変化する。そして相と体は相即する。時空間と空間は相即して時間に融合している。
三諦が円融すれば三身も三如是も三因仏性も三徳も円融する。これは時空間においても同様である。これが諸法実相である。すなわち時間と空間と時空間は諸法と実相の内に円融して実在するというのが仏法の思考である。

【種相体性】衆生の種類・姿形・本体・性質のこと。法華経薬草喩品第五の文。同品に「唯如来のみ有って、此の衆生の種、相、体、性(中略)を知れり」とある。法華文句巻七上に同品の文を釈して「四法に約するとは、謂く種と相と体と性となり、種とは三道は是れ三徳の種なり(中略)此れ相対に就いて種を論ずるなり、若し類に就いて種を論ぜば、一切の低頭挙手悉く是れ解脱の種なり」とあり、種を明かして相対種と就類種を説き、相・体・性は十法界の十如是の中に約して釈す。就類種とは一切の善業を開会して仏の種子とすること、相対種とは仏道に対立するものを開会して仏種とすることをいう。しかし、吉蔵の法華義疏巻八では「種は謂く種別なり、三乗(声聞・縁覚・菩薩)の種類不同なり」として、種は三乗であり、相・体・性はおのおの三乗の相(慈悲・独静・聞法)、体(菩薩の道種智・二乗の一切智)、性(「不改の義」を性といい、吉蔵によれば三乗の体が相互に移り改まらざることをいう)としている。
種から種へと移り革まらざる体は、不改の性による。
→三因仏性、三道、三徳、三如是、就類種、相対種〔参考〕薬草喩品第五〔法〕二八三、法華文句巻七上〔大〕三四―九四、法華義疏巻八〔大〕三四―五六一、御義口伝巻下〔御〕七九五、始聞仏乗義〔御〕九八三/

【性】事物に本来具わっている性質。心性・性分・自性・本性・本体などをいい、外部の影響によって変わることなく、固有でありまた常に同一である。大乗義章巻一では性に四義があるとして、一に種子因本の義、二に体の義、三に不改の義、四に性別の義、をあげている。即ち性には①成仏の種子・本因②事物の本体③三世にわたって変化しない④もろもろの事物の相違となる固有の性分・自性、あるいは種子に差別のあること、の義を持つとされる。→十如是〔参考〕金光明経玄義巻上〔大〕三九―四、大乗義章巻一〔大〕四四―四七二、十如是事〔御〕四一〇/



第2章 冥合の時空間論と芸術(未掲載)
   ☆彡少々訳があって掲載は当面見送らせていただきます


第2章 冥合の時空間論と芸術
境智冥合
因果異時、因果同時、時代と個の才能

芸術の時空間論。すなわち芸術という表現手段が人間にいかなる価値を与えるかを、安利善という価値判断基準で考察する。




第3章 生命次元の芸術論(1)(未掲載)
☆彡少々訳があって掲載は当面見送らせていただきます


第3章 生命次元の芸術論(1)
生命次元というのは一念三千の生命観よりみた芸術観である。したがってこれまでバラバラに論じてきたものを一念三千という仏法原理によって考えて見ようというものである。まず一念とは誰の一念なのかということである。
一念の意味。有情の一念
三千羅列の因果
十界互具と十界の因果
十如是実相
三世間


生命次元の芸術
因果倶時 生命次元における作品、作者、鑑賞者の相互関係
相即とは、
即はイコールではない。
生の創造へと導く発動力、能動性を顕現させるような人間の生き方
生を営む人間らしい境涯
相即を時代と鑑賞者、不二を作品、冥合を作者

有情の果が非情の果に留められる力用
非情の果が有情の果に留められる作用

作者(有情)→作品(非情) (不二)
作品(非情)→作者(有情) (冥合・不二)
鑑賞者(有情)→作品(非情) (相即)
作品(非情)→鑑賞者(有情) (冥合・相即)

作者が世界(外器)に感じるものは時代という共業
作品と鑑賞者の間に生じる力作用は、相即
作者と作品の間に生じる力作用は、冥合


色・香・味が三学に  戒 仮 応 空間  戒壇
           定 空 法 時空間  本尊
           慧 中 報 時間 題目

善即悪はあっても善悪不二はない
不二は対立する概念でも依存関係でも相関関係でもない。
色心、依正、本迹、美醜も対立ではない


生命  ②〓〓〓〓〓 仏教以前の古代インドでは命のない物質と命のある生物とを区分し、さらに生物を動くもの(動物など)と動かないもの(植物など)に区分していたが、仏教では動物などを有情(心や意識をもったもの、衆生とも訳す)とし、物質や植物をともに非情(心や意識をもたないもの)とした区分を採用した。その理由として殺生禁断を守る場合、植物を食用として採取することは罪にならないとするためであったとも言われている。初期仏教では衆生、特に人間は、五蘊説により、物質原理と心理作用とが結合したものとされ、五蘊の結合したものに、個体としての生命活動を起こさせる生命原理が命根と呼ばれた。倶舎論によれば、この命根の本質は物でも心でもなく、三界(欲界、色界、無色界)に存続する寿(生命力)であるとされ、寿は前世の業(行為)の影響力と考えられている。しかし仏教内部でも命根を重視する考えに反対する立場もあり、後に唯識派では意識を生命と同一視し、阿頼耶識を生命原理と考えた。また中国、日本の天台宗では非情にも仏性の存在を認める議論が生じ、「草木国土悉皆成仏」という主張もなされ、物質、植物、動物などの本質的同質性が認められた。
寿という生命力も意識という生命原理もともに「時」の力用の一部であると私は考える。「時」の力用は有非情に亘る。ゆえに不変の実体として存在することはなく、絶えず流れゆく永遠性を支えるのである。このことは、生命論序説で詳説したとおりであるので参照していただきたい。
生命論  〓〓〓〓〓〓 仏教における生命観は、縁起論、三世間論や一念三千論、色心不二論、依正不二論などの概念で表現され得るが、ここではこれらの概念を集約する意味と、先の意識の問題を含めて、唯識思想に基づいた生命観を述べておく。
唯識思想では、意識のさらに深層に、広大な無意識の領域があることを明らかにする。人間のもつ感覚器官である目、耳、鼻、舌、身の捉える識(前五識)に加え、それらを取りまとめる理性などの意識(第六識)、そしてその深層に第七識の末那識の存在を説く。末那識は、自我意識を支える根源的自我である。末那識のさらに深層にあるものが、第八識の阿頼耶識である。唯識思想では、生命作用の根源は、この阿頼耶識にあるとする。なぜならば、阿頼耶識はあらゆる存在を生み出す根源体、すなわち自己を取り巻く環境も、自己の肉体も、また前五識から末那識までの識も、すべて阿頼耶識から変化して生じたものと捉えるからである。また、阿頼耶識は、仏教における生命の永遠性を支える根源体でもある。しかし、阿頼耶識は不変の実体ではなく、縁起して常に変化しゆくものである。なぜならば、阿頼耶識は、識の一つとして自己の肉体、諸識、そして環境を認識し、それとともに、環境の中における肉体的、精神的なすべての経験が種子(いわば情報)として貯えられるからである。そして、貯えられた種子は、成熟し、その結果さらに新たな存在(環境、肉体、諸識)を生み出すことになる。唯識思想における生命観の特徴は、肉体や精神作用も含めた生命そのものは不変の実体ではないこと、そして生命自体の活動と環境との関わりにおいて、常に流動的に変化するものである、と捉えるところにある。したがって、生命の理解は生命体だけで理解ものではなく、環境やその活動をすべて含めて理解されるものであることになる。このことから、唯識思想から見た場合、科学的生命観は生命の物質的側面を捉えたものとの位置づけになる。
とはいえ唯識思想に基づいた生命観では生命の一部という感はいなめないが、それでもここから東洋の芸術観が垣間見えると思っている。芸術に神や仏はいらない。

私は最初に芸術に対して仮の定義をした。しかし、ここまで読み進めてきた方には、はっきりと私の考えが理解出来てきたのではないかと思う。すなわち芸術には、固定的で限定的な定義は必要ないということを。そこにこそ芸術の進歩、発展、成長があるからである。芸術という人間が人間のために創造した表現手段を定義などしてはならない。いたずらに定義などして芸術を語ること自体、かえって芸術を無意味なものにしてしまう恐れがある行為なのである。
それではなんのための芸術論なのかというと、芸術は存在するだけで人間にとって意味があることの証明のためといえる。
最後に芸術が、人間の生命にとって欠かすことのできない存在であることを生命論的に考えて見たいと思う。この場合の生命論的考察とは、芸術のもつ時空間と人間生命のもつ時空間との関連を知ることにある。


五陰が仮により集まり調和していることを五陰仮和合という。五陰とは色・受・想・行・識という生命体を構成する五つの要素のことで、この五つが仮に集まり調和することによって、個々の生命体である衆生(有情)が生じるとする。
衆生を構成する五つの要素のこと。色陰・受陰・想陰・行陰・識陰をいう。新訳では五蘊・五薀とし「ごうん」と読む。陰・薀とは、集まり、構成要素の意。天台大師の摩訶止観巻五上には九界の衆生について「陰とは善法を陰蓋す。此れ因に就いて名を得。又陰は積聚なり。生死重沓す。此れ果に就いて名を得」とあり、仏界の衆生については「常楽重沓す。即ち積集の義なり。慈悲覆蓋す。即ち陰の義なり」と述べている。
衆生の五陰の働きが盛んになり、種々の煩悩による苦悩が盛んになることを、五盛陰苦(五陰盛苦)と呼び、人間の根源的な苦悩である八苦の一つに数えられる。
この五陰のうち、色陰とは、肉体など、色形等に現れている物質的・現象的側面をいう。受陰とは、六つの知覚器官である六根(眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根)がそれぞれの対象となる色(色・形)・声(音声)・香・味・触(寒暖・柔軟などの物質の触覚)に触れて生じる感覚をいう。想陰とは、受け入れた知覚をまとめあげ、事物の像(イメージ)を心に想い浮かべる作用をいう。行陰とは、想陰でできた像を整え完成させる作用であり、またそれとともに生じるに種々の心の作用をいう。識陰とは、受・想・行に基づきながら、ものごとを認識し他のもの識別し判断する心の作用をいう。また受・想・行の作用を起こす根本となる心の中心的な働きとされ、心王とされる。
これに対して、受・想・行はそれにしたがう心所・心数とされる。この識は更に深く探究され、種々の識が区別される。五陰を色心の二法に分けると、色陰とは、物質的・肉体的・現象的なものである色法となり、これに対して、受・想・行・識の四陰は心的・精神的・本性的なものである心法となる。五陰全体で、肉体・物質と精神・本性との両面にわたる一切の有為法(生成変化する事物事象)を示している。
五陰が仮に和合して衆生が生ずることになるのだが、その衆生が芸術作品を制作するときは、これらを意図的に組み上げて創造することになる。衆生という有情も作品という非情も生じ方は同様の経過を踏むと考えれば、非情の作品にも生命を見ることが可能なのではないかと考える。
草木などの非情にも心法を認めて、五陰が万物を構成する五つの要素を意味する場合もある。天台大師は、摩訶止観巻五で、正しく止観を修行すること(正修止観)を解説し、一念三千の法門を説く。そして、具体的な観法の対象として十種挙げる中の第一として陰入界(陰界入)すなわち五陰と十二入と十八界とを挙げている。そして、華厳経巻十の「心は工なる画師が種々の五陰を造るが如く」との文を引いて、あらゆる事物事象が一心から生じることを示し、五陰のうちの心王たる識陰を観ずべき心であるとする。そして、その心を観じる実践(観心)に十種(十乗)を立て、その第一の観不思議境で、衆生の一念(瞬間の生命)に三千(森羅万象)が具わることを観ずる一念三千の法門を具体的に示している。

人類共存、自然共生、平和共感、芸術感応
九識(個の内面) 一念三千(個の存在論) 因果倶時(個の時空)


人間関係を深めあい、互いの人生の価値を拡大し合っていくなかに、価値創造の英知が育まれるのである。人間革命とは、人間関係の新たなるコミュニケーション革命の創造のことである。

一瞬の出会いにも真剣に   人間と人間の交流の真にあるべき姿

生命次元の芸術論とはかくのごときものである。生命と生命の感応は、有非情に亘る。

第4章 生命次元の芸術論(2)(未掲載)
☆彡少々訳があって掲載は当面見送らせていただきます

第4章 生命次元の芸術論(2)
第5章(宗真流 茶華道の旗揚げ)
絶対でも相対でもない。あえて言えば絶待であり、相待である。人間は芸術の道を志すとき家族や子供を捨ててまでのめりこめるものなのだろうか。道を究めたいという願望の前にはすべてを擲ち、犠牲にできるものなのだろうか。芸術にそれほどの価値があると思い込める人間の心情を、理解する必要があるのだろうか。むしろそんな心情を理解してはいけないのではなかろうか。

仏教、法華経の美意識と自然観は、宗真流茶道、華道に生かせるか。
人道→仏門→仏道といった流れは観念的な概念に過ぎない。醜さ、狡さ、汚れ、宿命、宿業、人間関係、誤解、苦悩、見栄、欲望、誤魔化し、策謀、自己保身、犯罪

人間とは何か。この問いかけに全てが集約される。
芸術は、人間が生きていくために必要な様々な表現手段の一つであって、それ以上でも以下でもない。芸術は、表現のための手段であって、目的ではない故に価値基準にはなれない。そこで美を利用して目的化しようとした。美が神自身の自己化のために存在したかのように用いることを思いついたのである。そして神は自身の存在を証明させるために、人間に認識という能力を授けたと結びつけたと。そのために認識と存在の統一は欠かすことの出来ないものとせざるをえなくなった。しかしこれが西洋哲学の限界を露呈することになってしまった原因なのである。神の存在を人間存在とは別に規定しようしたことである。神と人間の統一に思いが至らなかったことが、真理や美を価値基準に取り入れてしまうという過ちを犯す原因であり思考の限界なのである。


真実と真理
絶対に明かされてはならない真実などない。
明かされては困るのは嘘と知っている当事者と関係者だけである。
しかし数十年もすれば直接の関係者など一人も居なくなり、残るのは作られた歴史だけである。
真実は常にいかなる真実であっても真実のまま残すことに価値がある。
けれども真実そのものに価値があるのではない。
すなわち真実も真理も価値基準にしてはならいと考えている。
真理が価値基準にならないように真実も、そこから新たな価値を創造してはならないのである。
造られた歴史に学ぶものは無い。
権力者だけが利用できる歴史であってもならない。
歴史は勝者への贈り物ではない。
真実も真理も自ら完全に自己完結されていると決定すべき性質のものである。
真実は人間の心の中に生き続ける。
事実は歴史の中で存在し続ける。
心の中にあった真実は、事実の歴史からは見ることは出来ない。
故に、真実を歴史の中に表出させることによって
歴史の事実に深みと人間の生き様を浮かび上がらせる。
真実のみが歴史に教訓と指導性を有効に活かせることが出来る
これが真実の存在価値である。
誤れる恐怖は観念と形式の歴史にある。
真実を知る勇気だけが、この恐怖を克服し新たなる歴史の建設の槌音を鳴り響かせる。

群衆の心理と権力者の心理の駆け引きは、歴史を動かすことがある。
何が真実なのか。
利用するものとされるものの間における駆け引きはあっても真実は一つである。
権力者は自らの利権と保身のために群衆を利用しようと動く。
民衆が群衆に代わる瞬間である。

筆者の芸術論を読んで、これは「芸術論」ではないという人がいるなら、その人に言いたいことがある。この論文は、作品の批評でも解説でもなく「人間とは何か」という問いに対する答えの一つなのである。したがって、異論のある人は自身の思索を文章にして公表すべきである。

石州の三百ヶ条に倣って宗真流茶道・華道における基本姿勢を列挙しようと思う。まずこの両道には、仏道の修行といった意味はまったくない。

人間の自然の振舞を美しいと感じるのも人それぞれであろう。茶の湯をいかに楽しむか。
濃茶のように一杯の濃茶を数人で飲むの現代人にとって抵抗があるように思う。できれば初期の濃茶のように一人ずつ別の茶碗にして欲しいものである。


茶道百か条
茶を美味しく飲むことに特化することが第一である。茶会とは主人と客ではなく、私と友人[達]が、共にする時間である。抹茶の美味しい立て方。点前は修行ではない。
華道百か条
茶道と同様に修行ではない。「自然との対話」が第一である。
盆石百か条
盆の上に絵を描くくらいならジオラマでもよいだろう。盆の上に配置するものは石と砂と植物だけに限定したらどうどうだろうか。当然、色も自然に付いているものに限る。人工的に彩色を施したものは用いない。


第6章 清翠庵 水谷直彗の一生(短編小説)(未掲載)
☆彡少々訳があって掲載は当面見送らせていただきます
第6章 清翠庵 水谷直彗(短編小説)
華道と茶道を極めんとするはる子の人生は決して恵まれてはいなかったのだろう。人は生れながらにして果たすべき生き方があるなどとは思えなかった。家族を捨て、子供を捨ててまでやる価値があるかと言えば、確信はなかった。ただ自分自身が納得できる人生を生きたかっただけかもしれなかった。人は誰でもそうだろうと思う。一人で生きるという決意は、一人で死ぬ覚悟のことである。
外風呂から帰ると、無性にお茶が飲みたくなった。お湯を沸かすために茶釜のコンロのスイッチを入れた。お湯が沸くのをじっと待ちながら、無心に茶釜を見つめていた。湯の沸く微かな音だけが空気を揺らしていた。微かに立ち上る湯気を確認するとコンロのスイッチを切り点前の支度をした。
自分で点てた茶を一服すると膝前にそっと茶碗を置いた。突然、目の前が真っ暗になったかと思うとそのまま意識が遠のいていくことは自覚できた。身体が宙に浮く感覚を味わいながら「ありがとう」と一言呟いた後、静寂な空間にわが身漂わせた。孤高の女の静かな最後であった。

あくなき求道心の強さは、激動に生きた女の一生を支えるものであった。茶華道から学ぶべきものはあったのか。人生の無常を悟ることになんの意味があったのか。無常とは常でないからそこに革新性があることを認められるとするのが大乗の精神である。

子供の立場から見ればなんて勝手な母親なのだろうと思ってしまう。芸術家とはそんな人たちばかりなのだろうか。


芸術を商売にすること自体は何の問題もない。ただ坊主が、芸術を利用して教義を捻じ曲げたり、芸術が宗教を利用して権威づけたりしないで欲しいと思う。それでなくても芸術や宗教は、時に権力に利用されてきたのが人間の歴史である。


作者と作品はそれぞれの生命力が感応していく。同様に作品と鑑賞者は、相互に感応する。芸術は生命の感応によって互いに影響しあって成立する。作品は制作された時の生命状態を維持しながら時代を超えて存在する。
けれども鑑賞者と作品の関係は、時として鑑賞者の生命力に作品自体が感応することがある。






























参考資料
日蓮花押*木絵二像開眼之事     /文永元年   四十三歳御作 
仏に三十二相有す皆色法なり、最下の千輻輪より終り無見頂相に至るまでの三十一相は可見有対色なれば書きつべし作りつべし梵音声の一相は不可見無対色なれば書く可らず作る可らず、仏滅後は木画の二像あり是れ三十一相にして梵音声かけたり故に仏に非ず又心法かけたり、生身の仏と木画の二像を対するに天地雲泥なり、何ぞ涅槃の後分には生身の仏と滅後の木画の二像と功徳斉等なりといふや又大瓔珞経には木画の二像は生身の仏には・をとれりととけり、木画の二像の仏の前に経を置けば三十二相具足するなり、但心なければ三十二相を具すれども必ず仏にあらず人天も三十二相あるがゆへに、木絵の三十一相の前に五戒経を置けば此の仏は輪王とひとし、十善論と云うを置けば帝釈とひとし、出欲論と云うを置けば梵王とひとし全く仏にあらず、又木絵二像の前に阿含経を置けば声聞とひとし、方等般若の一時一会の共般若を置けば縁覚とひとし、華厳・方等・般若の別円を置けば菩薩とひとし全く仏に非らず、大日経・金剛頂経・蘇悉地経等の仏眼・大日の印真言は名は仏眼・大日といへども其の義は仏眼大日に非ず、例せば仏も華厳経は円仏には非ず名にはよらず三十一相の仏の前に法華経を置きたてまつれば必ず純円の仏なり云云、故に普賢経に法華経の仏を説て云く「仏の三種の身は方等より生ず」文、是の方等は方等部の方等に非ず法華を方等といふなり、又云く「此の大乗経は是れ諸仏の眼なり諸仏是に因つて五眼を具することを得る」等云云、法華経の文字は仏の梵音声の不可見無対色を可見有対色のかたちと・あらはしぬれば顕形の二色となれるなり、滅せる梵音声かへつて形をあらはして文字と成つて衆生を利益するなり、人の声を出すに二つあり、一には自身は存ぜざれども人をたぶらかさむがために声をいだす是は随他意の声、自身の思を声にあらはす事ありされば意が声とあらはる意は心法・声は色法・心より色をあらはす、又声を聞いて心を知る色法が心法を顕すなり、色心不二なるがゆへに而二とあらはれて仏の御意あらはれて法華の文字となれり、文字変じて又仏の御意となる、されば法華経をよませ給はむ人は文字と思食事なかれすなわち仏の御意なり、故に天台の釈に云く「請を受けて説く時は只是れ教の意を説く教の意は是れ仏意仏意即是れ仏智なり・仏智至て深し是故に三止四請す、此の如き艱難あり余経に比するに余経は則易し」文此の釈の中に仏意と申すは色法ををさへて心法といふ釈なり、法華経を心法とさだめて三十一相の木絵の像に印すれば木絵二像の全体生身の仏なり、草木成仏といへるは是なり、故に天台は「一色一香無非中道」と云云、妙楽是をうけて釈に「然るに亦倶に色香中道を許せども無情仏性は耳を惑わし心を驚かす」云云、華厳の澄観が天台の一念三千を盗みて華厳にさしいれ法華華厳ともに一念三千なり、但し華厳は頓頓・さきなれば法華は漸頓のちなれば華厳は根本魁をしぬれば法華は枝葉等といふて我理をえたりとおもへる意山の如し・然りと雖も一念三千の肝心・草木成仏を知らざる事を妙楽のわらひ給へる事なり、今の天台の学者等・我一念三千を得たりと思ふ、然りと雖も法華をもつて或は華厳に同じ或は大日経に同ず其の義を論ずるに澄観の見を出でず善無畏・不空に同ず、詮を以て之を謂わば今の木絵二像を真言師を以て之を供養すれば実仏に非ずして権仏なり権仏にも非ず形は仏に似たれども意は本の非情の草木なり、又本の非情の草木にも非ず魔なり鬼なり、真言師が邪義・印真言と成つて木絵二像の意と成れるゆへに例せば人の思変じて石と成り倶留と黄夫石が如し、法華を心得たる人・木絵二像を開眼供養せざれば家に主のなきに盗人が入り人の死するに其の身に鬼神入るが如し、今真言を以て日本の仏を供養すれば鬼入つて人の命をうばふ鬼をば奪命者といふ魔入つて功徳をうばふ魔をば奪功徳者といふ、鬼をあがむるゆへに今生には国をほろぼす魔をたと(尊)むゆへに後生には無間獄に堕す、人死すれば魂去り其の身に鬼神入り替つて子孫を亡ぼす、餓鬼といふは我をくらふといふ是なり、智者あつて法華経を讃歎して骨の魂となせば死人の身は人身・心は法身・生身得忍といへる法門是なり、華厳・方等・般若の円をさとれる智者は死人の骨を生身得忍と成す、涅槃経に身は人身なりと雖も心は仏心に同ずといへるは是なり、生身得忍の現証は純陀なり、法華を悟れる智者・死骨を供養せば生身即法身・是を即身といふ、さりぬる魂を取り返して死骨に入れて彼の魂を変えて仏意と成す成仏是なり、即身の二字は色法成仏の二字は心法・死人の色心を変えて無始の妙境・妙智と成す是れ則ち即身成仏なり、故に法華経に云く「所謂諸法如是相死人の身如是性同く心如是体同く色心等」云云、又云く「深く罪福の相に達してく十方を照したまう微妙の浄き法身・相を具せること三十二」等云云、上の二句は生身得忍・下の二句は即身成仏・即身成仏の手本は竜女是なり・生身得忍の手本は純陀是なり。

草木成仏口決    /文永九年二月二十日 五十一歳御作 与最蓮房日浄 
問うて云く草木成仏とは有情非情の中何れぞや、答えて云く草木成仏とは非情の成仏なり、問うて云く情非情共に今経に於て成仏するや、答えて云く爾なり、問うて云く証文如何、答えて云く妙法蓮華経是なり・妙法とは有情の成仏なり蓮華とは非情の成仏なり、有情は生の成仏・非情は死の成仏・生死の成仏と云うが有情非情の成仏の事なり、其の故は我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは死の成仏にして草木成仏なり、止観の一に云く「一色一香中道に非ざること無し」妙楽云く「然かも亦共に色香中道を許す無情仏性惑耳驚心す」此の一色とは五色の中には何れの色ぞや、青・黄・赤・白・黒の五色を一色と釈せり一とは法性なり、爰を以て妙楽は色香中道と釈せり、天台大師も無非中道といへり、一色一香の一は二三相対の一には非ざるなり、中道法性をさして一と云うなり、所詮・十界・三千・依正等をそなへずと云う事なし、此の色香は草木成仏なり是れ即ち蓮華の成仏なり、色香と蓮華とは言はかはれども草木成仏の事なり、口決に云く「草にも木にも成る仏なり」云云、此の意は草木にも成り給へる寿量品の釈尊なり、経に云く「如来秘密神通之力」云云、法界は釈迦如来の御身に非ずと云う事なし、理の顕本は死を表す妙法と顕る・事の顕本は生を表す蓮華と顕る、理の顕本は死にて有情をつかさどる・事の顕本は生にして非情をつかさどる、我等衆生のために依怙・依託なるは非情の蓮華がなりたるなり・我等衆生の言語・音声・生の位には妙法が有情となりぬるなり、我等一身の上には有情非情具足せり、爪と髪とは非情なり・きるにもいたまず・其の外は有情なれば・切るにもいたみ・くるしむなり、一身所具の有情非情なり・此の有情・非情・十如是の因果の二法を具足せり、衆生世間・五陰世間・国土世間・此の三世間・有情非情なり。一念三千の法門を振り濯ぎたてたるは大曼荼羅なり、当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり、天台・妙楽・伝教・内には鑑させ給へどもひろめ給はず、一色一香とののしり惑耳驚心とささやき給いて・妙法蓮華と云うべきを円頓止観と・かへさせ給いき、されば草木成仏は死人の成仏なり、此等の法門は知る人すくなきなり、所詮・妙法蓮華をしらざる故に迷うところの法門なり、敢て忘失する事なかれ、恐恐謹言。二月二十日
                日蓮花押 最蓮房御返事

¥0146
をば之を略せり、此等は併ながら訳者の意楽に随つて広を好み略を悪む人も有り略を好み広を悪む人も有り、然れば則ち玄弉は広を好んで四十巻の般若経を六百巻と成し、羅什三蔵は略を好んで千巻の大論を百巻に縮めたり、印契・真言の勝るると云う事是を以て弁え難し、羅什所訳の法華経には是を宗とせず不空三蔵の法華の儀軌には印・真言之有り、仁王経も羅什の所訳には印・真言之無し不空所訳の経には之を副えたり知んぬ是れ訳者の意楽なりと、其の上法華経には「為説実相印」と説いて合掌の印之有り、譬喩品には「我が此の法印・世間を利益せんと欲するが為の故に説く」云云、此等の文如何只広略の異あるか、又舌相の言語・皆是れ真言なり、法華経には「治生の産業は皆実相と相違背せず」と宣べ、亦「是れ前仏経中に説く所なり」と説く此等は如何、真言こそ有名無実の真言・未顕真実の権教なれば成仏得道跡形も無く始成を談じて久遠無ければ性徳本有の仏性も無し、三乗が仏の出世を感ずるに三人に二人を捨て三十人に二十人を除く、「皆令入仏道」の仏の本願満足す可からず十界互具は思いもよらず・まして非情の上の色心の因果争か説く可きや。 然らば陳隋二代の天台大師が法華経の文を解りて印契の上に立て給へる十界互具・百界千如・一念三千を善無畏は盗み取つて我が宗の骨目とせり、彼の三蔵は唐の第七玄宗皇帝の開元四年に来る如来入滅より一千六百六十四年か、開皇十七年より百二十余年なり何ぞ百二十余年已前に天台の立て給へる一念三千の法門を盗み取つて我が物とするや、而るに己が依経たる大日経には衆生の中に機を簡ひ前四味の諸経に同じて二乗を簡へり、まして草木成仏は思いもよらずされば理を云う時は盗人なり、又印契・真言何れの経にか之を簡える若し爾れば大日経に之を説くとも規模ならず、一代に簡われ諸経に捨てられたる二乗作仏は法華に限れり、二乗は無量無辺劫の間・千二百余尊の印契真言を行ずとも法華経に値わずんば成仏す可からず、印は手の用・真言は口の用なり其の主が成仏せざれば口と手と別に成仏す可きや、一代に超過し三説に秀でたる二乗の事をば物とせず事に依る時は印真言を尊む者・劣謂勝見の外道なり。 無量義経説法品に云く「四十余年・未顕真実」文

¥0469
ぬれば顕形の二色となれるなり、滅せる梵音声かへつて形をあらはして文字と成つて衆生を利益するなり、人の声を出すに二つあり、一には自身は存ぜざれども人をたぶらかさむがために声をいだす是は随他意の声、自身の思を声にあらはす事ありされば意が声とあらはる意は心法・声は色法・心より色をあらはす、又声を聞いて心を知る色法が心法を顕すなり、色心不二なるがゆへに而二とあらはれて仏の御意あらはれて法華の文字となれり、文字変じて又仏の御意となる、されば法華経をよませ給はむ人は文字と思食事なかれすなわち仏の御意なり、故に天台の釈に云く「請を受けて説く時は只是れ教の意を説く教の意は是れ仏意仏意即是れ仏智なり・仏智至て深し是故に三止四請す、此の如き艱難あり余経に比するに余経は則易し」文此の釈の中に仏意と申すは色法ををさへて心法といふ釈なり、法華経を心法とさだめて三十一相の木絵の像に印すれば木絵二像の全体生身の仏なり、草木成仏といへるは是なり、故に天台は「一色一香無非中道」と云云、妙楽是をうけて釈に「然るに亦倶に色香中道を許せども無情仏性は耳を惑わし心を驚かす」云云、華厳の澄観が天台の一念三千をぬす(盗)みて華厳にさしいれ法華華厳ともに一念三千なり、但し華厳は頓頓・さきなれば法華は漸頓のちなれば華厳は根本、さき(魁)をしぬれば法華は枝葉等といふて我理をえたりとおもへる意山の如し・然りと雖も一念三千の肝心・草木成仏を知らざる事を妙楽のわらひ給へる事なり、今の天台の学者等・我一念三千を得たりと思ふ、然りと雖も法華をもつて或は華厳に同じ或は大日経に同ず其の義を論ずるに澄観の見を出でず善無畏・不空に同ず、詮を以て之を謂わば今の木絵二像を真言師を以て之を供養すれば実仏に非ずして権仏なり権仏にも非ず形は仏に似たれども意は本の非情の草木なり、又本の非情の草木にも非ず魔なり鬼なり、真言師が邪義・印真言と成つて木絵二像の意と成れるゆへに例せば人の思変じて石と成り倶留と黄夫石が如し、法華を心得たる人・木絵二像を開眼供養せざれば家に主のなきに盗人が入り人の死するに其の身に鬼神入るが如し、今真言を以て日本の仏を供養すれば鬼入つて人の命をうばふ鬼をば奪命者といふ魔入つて功徳をうばふ魔をば奪功徳者といふ、鬼をあがむるゆへに今生には国をほろぼす魔

¥0723
 諸疑悔とは是れ意の喜を結すと。御義口伝に云く身意泰然とは煩悩即菩提生死即涅槃なり、身とは生死即涅槃なり意とは煩悩即菩提なり従仏とは日蓮に従う類い等の事なり口の喜とは南無妙法蓮華経なり意の喜とは無明の惑障無き故なり、爰を以て之を思うに此の文は一心三観一念三千我等が即身成仏なり方便の教は泰然に非ず安穏に非ざるなり行於険逕多留難故の教なり。第四得仏法分の事 御義口伝に云く仏法の分とは初住一分の中道を云うなり、迹門初住本門二住已上と云う事は此の分の字より起るなり、所詮此の分の一字は一念三千の法門なり其の故は地獄は地獄の分で仏果を証し乃至三千の諸法己己の当体の分で仏果を証したるなり真実の我等が即身成仏なり、今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱うる分で仏果を証したるなり、分とは権教は無得道・法華経は成仏と分つと意得可きなり、又云く分とは本門寿量品の意なり己己本分の分なり、惣じて迹門初住分証と云うは教相なり真実は初住分証の処にて一経は極りたるなり。第五而自廻転の事 記の五に云く或は大論の如し経に而自廻転と云うは身子の得記を聞きて法性自然にして転じ因果依正自他悉く転ずるを表すと。御義口伝に云く草木成仏の証文に而自廻転の文を出すなり是れ一念三千の依正体一の成仏を説き極めたるなり、草木成仏の証人とは日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るを指すなり、廻転とは題目の五字なり自とは我等行者の事なり記の五の釈能く能く之を思うべし。第六一時倶作の事 御義口伝に云く一時とは末法の一時なり倶作とは南無妙法蓮華経なり倶とは畢竟住一乗なり、今日蓮等の類いの所作には題目の五字なり余行を交えざるなり、
「自ら廻転す」と読む。法華経譬喩品第三には、舎利弗が華光如来の記別を受けたのを一会の衆が見聞し、「爾の時に四部の衆、比丘、比丘尼……摩〓羅伽等の大衆、舎利弗の仏前に於いて、阿耨多羅三藐三菩提の記を受くるを見て、心大いに歓喜し、踊躍すること無量なり。各各に、身に著けたる所の上衣を脱ぎて、以って仏に供養す……所散の天衣、虚空の中に住して自ら回転す」(〓法二〇四ページ)とある。この文を釈した法華文句記巻六上に「身子(舎利弗)が華光如来の記別を受けたのを見て、一会の衆がまた領解、歓喜して、そのままの姿でその一念、境地が転じ、そして因果も悪因悪果から善因善果へ、依正も自他もことごとく変わっていく姿をあらわす」(取意 □大◎正三十四巻二五七ページ)とある。日蓮大聖人は而自廻転を草木成仏を明かす文とされている。□御◎御義口伝(七二三ページ)

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 飲毒の事は釈に云く「邪師の法を信受するを名けて飲毒と為す」と、諸子とは謗法なり飲毒とは弥陀・大日等の権法なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは毒を飲まざるなり。第七或失本心或不失者の事御義口伝に云く本心を失うとは謗法なり本心とは下種なり不失とは法華経の行者なり失とは本有る物を失う事なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは本心を失わざるなり云云。第八擣●和合与子令服の事御義口伝に云く此の経文は空仮中の三諦戒定慧の三学なり、色香美味の良薬なり擣は空諦なり●は仮諦なり和合は中道なり与は授与なり子は法華の行者なり服すると云うは受持の義なり、是を此大良薬色香美味皆悉具足と説かれたり、皆悉の二字万行万善・諸波羅蜜を具足したる大良薬たる南無妙法蓮華経なり、色香等とは一色一香・無非中道にして草木成仏なり、されば題目の五字に一法として具足せずと云う事なし若し服する者は速除苦悩なり、されば妙法の大良薬を服するは貪瞋癡の三毒の煩悩の病患を除くなり、法華の行者南無妙法蓮華経と唱え奉る者は謗法の供養を受けざるは貪欲の病を除くなり、法華の行者は罵詈せらるれども忍辱を行ずるは瞋恚の病を除くなり、法華経の行者は是人於仏道決定無有疑と成仏を知るは愚癡の煩悩を治するなり、されば大良薬は末法の成仏の甘露なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大良薬の本主なり。第九毒気深入失本心故の事御義口伝に云く毒気深入とは権教謗法の執情深く入りたる者なり、之に依つて法華の大良薬を信受せざるなり服せしむると雖も吐き出だすは而謂不美とてむまからずと云う者なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは而謂不美の者に非ざるなり。

¥0771
 ば長と云うなり、広とは三千塵点より已来の妙法・長とは五百塵点已来の妙法・同じく広長舌なり云云。第三十方世界衆宝樹下師子座上の事御義口伝に云く十方とは十界なり此の下に於て草木成仏分明なり、師子とは師は師匠子は弟子なり座上とは寂光土なり十界即本有の寂光たる国土なり云云。第四満百千歳の事御義口伝に云く満とは法界なり百は百界なり千は千如なり一念三千を満百千歳と説くなり云云、一時も一念も満百千歳にして十種の神力を現ずるなり十種の神力とは十界の神力なり、十界の各各の神力は一種の南無妙法蓮華経なり云云。第五地皆六種震動其中衆生○衆宝樹下の事御義口伝に云く地とは国土世間なり其中衆生とは衆生世間なり衆宝樹下とは五陰世間なり一念三千分明なり云云。第六娑婆是中有仏名釈迦牟尼仏の事御義口伝に云く本化弘通の妙法蓮華経の大忍辱の力を以て弘通するを娑婆と云うなり、忍辱は寂光土なり此の忍辱の心を釈迦牟尼仏と云えり娑婆とは堪忍世界と云うなり云云。第七斯人行世間能滅衆生闇の事御義口伝に云く斯人とは上行菩薩なり世間とは大日本国なり衆生闇とは謗法の大重病なり、能滅の体は南無妙法蓮華経なり今日蓮等の類い是なり云云

¥1027
乗経を謗ぜしかば三五の塵点を経歴す然りと雖も下せし所の下種・純熟の故に時至つて自ら繋珠を顕す但四十余年の間過去に已に結縁の者も猶謗の義有る可きの故に且らく権小の諸経を演説して根機を練らしむ。 問うて曰く華厳の時・別円の大菩薩乃至観経等の諸の凡夫の得道は如何、答えて曰く彼等の衆は時を以て之を論ずれば其の経の得道に似たれども実を以て之を勘うるに三五下種の輩なり、問うて曰く其の証拠如何、答えて曰く法華経第五の巻涌出品に云く「是の諸の衆生は世世より已来常に我が化を受く乃至此の諸の衆生は始め我が身を見我が所説を聞いて即ち皆信受して如来の慧に入りにき」等云云、天台釈して云く「衆生久遠」等云云、妙楽大師の云く「脱は現に在りと雖も具に本種を騰ぐ」又云く「故に知んぬ今日の逗会は昔成熟するの機に赴く」等云云、経釈顕然の上は私の料簡を待たず例せば王女と下女と天子の種子を下さざれば国主と為らざるが如し。 問うて曰く大日経等の得道の者は如何、答えて曰く種種の異義有りと雖も繁きが故に之を載せず但し所詮彼れ彼れの経経に種熟脱を説かざれば還つて灰断に同じ化に始終無きの経なり、而るに真言師等の所談の即身成仏は譬えば窮人の妄りに帝王と号して自ら誅滅を取るが如し王莽・趙高の輩外に求む可からず今の真言家なり、此等に因つて論ぜば仏の滅後に於て三時有り、正像二千余年には猶下種の者有り例せば在世四十余年の如し根機を知らずんば左右無く実経を与う可からず、今は既に末法に入つて在世の結縁の者は漸漸に衰微して権実の二機皆悉く尽きぬ彼の不軽菩薩末世に出現して毒鼓を撃たしむるの時なり、而るに今時の学者時機に迷惑して或は小乗を弘通し或は権大乗を授与し或は一乗を演説すれども題目の五字を以て下種と為す可きの由来を知らざるか、殊に真言宗の学者迷惑を懐いて三部経に依憑し単に会二破二の義を宣ぶ猶三一相対を説かず即身頓悟の道跡を削り草木成仏は名をも聞かざるのみ、而るに善無畏・金剛智・不空等の僧侶・月氏より漢土に来臨せし時本国に於て未だ存せざる天台の大法盛に此の国に流布せしむるの間・自愛所持の経弘め難きに依り一行阿闍梨を語い得て天台の智慧を盗み取り大日経等に摂入して天竺より有るの由之を偽る、

¥1144*  
 四条金吾釈迦仏供養事   /建治二年七月  五十五歳御作 御日記の中に釈迦仏の木像一体等云云、開眼の事・普賢経に云く「此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり十方三世の諸仏の眼目なり」等云云、又云く「此の方等経は是れ諸仏の眼なり諸仏・是に因つて五眼を具することを得たもう」云云、此の経の中に得具五眼とは一には肉眼・二には天眼・三には慧眼・四には法眼・五には仏眼なり、此の五眼をば法華経を持つ者は自然に相具し候、譬へば王位につく人は自然に国のしたがうがごとし、大海の主となる者の自然に魚を得るに似たり、華厳・阿含・方等・般若・大日経等には五眼の名はありといへども其の義なし、今の法華経には名もあり義も備わりて候・設ひ名はなけれども必ず其の義あり。 三身の事、普賢経に云く「仏・三種の身は方等より生ず是の大法印は涅槃海を印す此くの如き海中より能く三種の仏の清浄の身を生ず此の三種の身は人天の福田にして応供の中の最なり」云云、三身とは一には法身如来・二には報身如来・三には応身如来なり、此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひ相ぐ具す譬へば月の体は法身・月の光は報身・月の影は応身にたとう、一の月に三のことわりあり・一仏に三身の徳まします、この五眼三身の法門は法華経より外には全く候はず、故に天台大師の云く「仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず」云云、此の釈の中に於諸教中とかかれて候は華厳・方等・般若のみならず法華経より外の一切経なり、秘之不伝とかかれて候は法華経の寿量品より外の一切経には教主釈尊秘めて説き給はずとなり。 されば画像・木像の仏の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし、其の上一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり、三種の世間と申すは一には衆生世間・二には五陰世間・三には国土世間なり、前の二は且らく之を置く、第三の国土世間と申すは草木世間なり、草木世間と申すは五色のゑのぐ(絵具)は草木なり画像これより起る、木と申すは木像是より出来す、此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり天台大師のさとりなり、此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ画木にて申せば草木成仏と申すなり、止観の明静なる前代いまだきかずと・かかれて候と無情仏性・惑耳驚心等とのべられて候は是なり、此の法門は前代になき上・後代にも又あるべからず、設ひ出来せば此の法門を偸盗せるなるべし、然るに天台以後二百余年の後・善無畏・金剛智・不空等・大日経に真言宗と申す宗をかまへて仏説の大日経等には・なかりしを法華経・天台の釈を盗み入れて真言宗の肝心とし、しかも事を天竺によせて漢土・日本の末学を誑惑せしかば皆人此の事を知らず一同に信伏して今に五百余年なり、然る間・真言宗已前の木画の像は霊験・殊勝なり真言已後の寺塔は利生うすし、事多き故に委く注さず。 此の仏こそ生身の仏にておはしまし候へ、優填大王の木像と影顕王の木像と一分もたがうべからず、梵・帝・日月・四天等必定して影の身に随うが如く貴辺をば・まほらせ給うべし

¥1280
それほどに浦山敷もなき死去にて候ぞやと・和らかに又強く両眼を細めに見・顔貌に色を調へて閑に言上すべし。状に云く彼此の経経得益の数を挙ぐ等云云、是れ不足に候と先ず陳ぶべし、其の後汝等が宗宗の依経に三仏の証誠之有りや未だ聞かず、よも多宝分身は御来り候はじ、此の仏は法華経に来り給いし間・一仏二言はやは(争)か御坐候べきと・次に六難九易何なる経の文に之有りや、若し仏滅後の人人の偽経は知らず、釈尊の実説五十年の説法の内には一字一句も有るべからず候なんど立つ可し、五百塵点の顕本之有りや・三千塵点の結縁説法ありや・一念信解・五十展転の功徳何なる経文に説き給へるや、彼の余経には一二三乃至十功徳すら之無し五十展転まではよも説き給い候はじ、余経には一二の塵数を挙げず何に況や五百三千をや、二乗の成不成・竜畜・下賎の即身成仏今の経に限れり、華厳・般若等の諸大乗経に之有りや、二乗作仏は始めて今経に在り、よも天台大師程の明哲の弘法慈覚の如き無文無義の偽りはおはし給はじと我等は覚え候、又悪人の提婆・天道国の成道・法華経に並びて何なる経にか之有りや、然りと雖も万の難を閣いて何なる経にか十法界の開会等之有りや、天台妙楽の無非中道・惑耳驚心の釈は慈覚智証の理同事勝の異見に之を類す可く候や、已に天台等は三国伝灯の人師・普賢開発の聖師・天真発明の権者なり、豈経論になき事を偽り釈し給はんや、彼れ彼れの経経に何なる一大事か之有るや、此の経には二十の大事あり就中五百塵点顕本の寿量に何なる事を説き給へるとか人人は思召し候、我等が如き凡夫無始已来生死の苦底に沈輪して仏道の彼岸を夢にも知らざりし衆生界を・無作本覚の三身と成し実に一念三千の極理を説くなんど・浅深を立つべし、但し公場ならば然るべし私に問註すべからず、慥に此の法門は汝等が如き者は人毎に座毎に日毎に談ずべくんば三世諸仏の御罰を蒙るべきなり、日蓮己証なりと常に申せし是なり、大日経に之有りや、浄土三部経の成仏已来凡歴十劫之に類す可きや、なんど前後の文乱れず一一に会す可し、其の後又云うべし、諸人は推量も候へ是くの如くいみじき御経にて候へばこそ多宝遠来して証誠を加え分身来集し三仏の御

¥1363
一法の当体而二不二にして闕減無く具足するが故に、九に功徳円満謂く妙法蓮華経に万行の功徳を具して三力の勝能有るが故に、十に諸位円満とは但だ一心を点ずるに六即円満なるが故に、十一に種子円満とは一切衆生の心性に本より成仏の種子を具す・権教は種子円満無きが故に・皆成仏道の旨を説かず故に蓮の義無し、十二に権実円満謂く法華実証の時は実に即して而かも権・権に即して而かも実・権実相即して闕減無き故に円満の法にして既に三身を具するが故に諸仏常に法を演説す、十三に諸相円満謂く一一の相の中に皆八相を具して一切の諸法常に八相を唱う、十四に俗諦円満謂く十界・百界乃至三千の本性常住不滅なり本位を動せず当体即理の故に、十五に内外円満謂く非情の外器に内の六情を具す有情数の中に亦非情を具す、余教は内外円満を説かざるが故に草木成仏すること能わず草木非成仏の故に亦蓮と名けず十六に観心円満とは六塵六作常に心相を観ず更に余義に非るが故に、十七に寂照円満とは文に云く法性寂然なるを止と名く寂にして而かも常に照すを観と名くと、十八に不思議円満謂く細しく諸法の自性を尋ねるに非有非無にして諸の情量を絶して亦三千三観並びに寂照等の相無く大分の深義本来不思議なるが故に名けて蓮と為るなり、此の十八円満の義を以て委く経意を案ずるに今経の勝能並に観心の本義良とに蓮の義に由る、二乗・悪人草木等の成仏並びに久遠塵点等は蓮の徳を離れては余義有ること無し、座主の伝に云く玄師の正決を尋ねるに十九円満を以て蓮と名く所謂当体円満を加う、当体円満とは当体の蓮華なり謂く諸法自性清浄にして染濁を離るるを本より蓮と名く、一経の説に依るに一切衆生の心の間に八葉の蓮華有り男子は上に向い女人は下に向う、成仏の期に至れば設い女人なりと雖も心の間の蓮華速かに還りて上に向う、然るに今の蓮仏意に在るの時は本性清浄当体の蓮と成る若し機情に就いては此の蓮華譬喩の蓮と成る。 次に蓮の体とは体に於て多種有り、一には徳体の蓮謂く本性の三諦を蓮の体と為す、二には本性の蓮体三千の諸法本より已来当体不動なるを蓮の体と為す、三には果海真善の体一切諸法は本是れ三身にして寂光土に住す設い一法なりと雖も三身を離れざる故に三身の果を以て蓮の体と為す、

当体義抄                      日蓮之を勘う 
問う妙法蓮華経とは其の体何物ぞや、答う十界の依正即ち妙法蓮華の当体なり、問う若爾れば我等が如き一切衆生も妙法の全体なりと云わる可きか、答う勿論なり経に云く「所謂諸法・乃至・本末究竟等」云云、妙楽大師釈して云く「実相は必ず諸法・諸法は必ず十如・十如は必ず十界・十界は必ず身土」と云云、天台云く「十如十界三千の諸法は今経の正体なるのみ」云云、南岳大師云く「云何なるを名けて妙法蓮華経と為すや答う妙とは衆生妙なるが故に法とは即ち是れ衆生法なるが故に」云云、又天台釈して云く「衆生法妙」と云云。 問う一切衆生の当体即妙法の全体ならば地獄乃至九界の業因業果も皆是れ妙法の体なるや、答う法性の妙理に染浄の二法有り染法は熏じて迷と成り浄法は熏じて悟と成る悟は即ち仏界なり迷は即ち衆生なり、此の迷悟の二法二なりと雖も然も法性真如の一理なり、譬えば水精の玉の日輪に向えば火を取り月輪に向えば水を取る玉の体一なれども縁に随て其の功同じからざるが如し、真如の妙理も亦復是くの如し一妙真如の理なりと雖も悪縁に遇えば迷と成り善縁に遇えば悟と成る悟は即ち法性なり迷は即ち無明なり、譬えば人夢に種種の善悪の業を見・夢覚めて後に之を思えば我が一心に見る所の夢なるが如し、一心は法性真如の一理なり夢の善悪は迷悟の無明法性なり、是くの如く意得れば悪迷の無明を捨て善悟の法性を本と為す可きなり、大円覚修多羅了義経に云く「一切諸の衆生の無始の幻無明は皆諸の如来の円覚の心従り建立す」云云、天台大師の止観に云く「無明癡惑・本是れ法性なり癡迷を以ての故に法性変じて無明と作る」云云、妙楽大師の釈に云く「理性体無し全く無明に依る無明体無し全く法性に依る」云云、無明は所断の迷・法性は所証の理なり何ぞ体一なりと云うやと云える不審をば此等

¥0511の文義を以て意得可きなり、大論九十五の夢の譬・天台一家の玉の譬誠に面白く思うなり、正く無明法性其の体一なりと云う証拠は法華経に云く「是の法は法位に住して世間の相常住なり」云云、大論に云く「明と無明と異無く別無し是くの如く知るをば是を中道と名く」云云、但真如の妙理に染浄の二法有りと云う事・証文之れ多しと雖も華厳経に云く「心仏及衆生是三無差別」の文と法華経の諸法実相の文とには過ぐ可からざるなり南岳大師の云く「心体に染浄の二法を具足して而も異相無く一味平等なり」云云、又明鏡の譬真実に一二なり委くは大乗止観の釈の如し又能き釈には籤の六に云く「三千理に在れば同じく無明と名け三千果成すれば咸く常楽と称す三千改むること無ければ無明即明・三千並に常なれば倶体倶用なり」文、此の釈分明なり。 問う一切衆生皆悉く妙法蓮華経の当体ならば我等が如き愚癡闇鈍の凡夫も即ち妙法の当体なりや、答う当世の諸人之れ多しと雖も二人を出でず謂ゆる権教の人・実教の人なり而も権教方便の念仏等を信ずる人は妙法蓮華の当体と云わる可からず実教の法華経を信ずる人は即ち当体の蓮華・真如の妙体是なり涅槃経に云く「一切衆生大乗を信ずる故に大乗の衆生と名く」文、南岳大師の四安楽行に云く「大強精進経に云く衆生と如来と同共一法身にして清浄妙無比なるを妙法華経と称す」文、又云く「法華経を修行するは此の一心一学に衆果普く備わる一時に具足して次第入に非ず亦蓮華の一華に衆果を一時に具足するが如し是を一乗の衆生の義と名く」文、又云く「二乗声聞及び鈍根の菩薩は方便道の中の次第修学なり利根の菩薩は正直に方便を捨て次第行を修せず若し法華三昧を証すれば衆果悉く具足す是を一乗の衆生と名く」文、南岳の釈の意は次第行の三字をば当世の学者は別教なりと料簡す、然るに此の釈の意は法華の因果具足の道に対して方便道を次第行と云う故に爾前の円・爾前の諸大乗経並びに頓漸大小の諸経なり・証拠は無量義経に云く「次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説いて菩薩の歴劫修行を宣説す」文、利根の菩薩は正直に方便を捨てて次第行を修せず若し法華経を証する時は衆果悉く

¥0512具足す是を一乗の衆生と名くるなり・此等の文の意を案ずるに三乗・五乗・七方便・九法界・四味三教・一切の凡聖等をば大乗の衆生妙法蓮華の当体とは名く可からざるなり、設い仏なりと雖も権教の仏をば仏界の名言を付く可からず権教の三身は未だ無常を免れざる故に何に況や其の余の界界の名言をや、故に正・像二千年の国王・大臣よりも末法の非人は尊貴なりと釈するも此の意なり、南岳釈して云く「一切衆生・法身の蔵を具足して仏と一にして異り有ること無し」、是の故に法華経に云く「父母所生清浄常眼耳鼻舌身意亦復如是」文、又云く「問うて云く仏・何れの経の中に眼等の諸根を説いて名けて如来と為や、答えて云く大強精進経の中に衆生と如来と同じく共に一法身にして清浄妙無比なるを妙法蓮華経と称す」文、他経に有りと雖も下文顕れ已れば通じて引用することを得るなり、大強精進経の同共の二字に習い相伝するなり法華経に同共して信ずる者は妙経の体なり不同共の念仏者等は既に仏性法身如来に背くが故に妙経の体に非ざるなり、所詮妙法蓮華の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり、正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて三観・三諦・即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり、能居所居・身土・色心・倶体倶用・無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり是れ即ち法華の当体・自在神力の顕わす所の功能なり敢て之を疑う可からず之を疑う可からず、問う天台大師・妙法蓮華の当体譬喩の二義を釈し給えり爾れば其の当体譬喩の蓮華の様は如何、答う譬喩の蓮華とは施開廃の三釈委く之を見るべし、当体蓮華の釈は玄義第七に云く「蓮華は譬えに非ず当体に名を得・類せば劫初に万物名無し聖人理を観じて準則して名を作るが如し」文、又云く「今蓮華の称は是れ喩を仮るに非ず乃ち是れ法華の法門なり法華の法門は清浄にして因果微妙なれば此の法門を名けて蓮華と為す即ち是れ法華三昧の当体の名にして譬喩に非ざるなり」又云く「問う蓮華定めて是れ法華三昧の蓮華なりや定めて是れ華草の蓮華なりや、答う定めて是れ法蓮華

¥0513なり法蓮華解し難し故に草花を喩と為す利根は名に即して理を解し譬喩を仮らず但法華の解を作す中下は未だ悟らず譬を須いて乃ち知る易解の蓮華を以て難解の蓮華に喩う、故に三周の説法有つて上中下根に逗う上根に約すれば是れ法の名・中下に約すれば是れ譬の名なり三根合論し雙べて法譬を標す是くの如く解する者は誰とか諍うことを為さんや」云云、此の釈の意は至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時・因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減無し之を修行する者は仏因・仏果・同時に之を得るなり、聖人此の法を師と為して修行覚道し給えば妙因・妙果・倶時に感得し給うが故に妙覚果満の如来と成り給いしなり、故に伝教大師云く「一心の妙法蓮華とは因華・果台・倶時に増長す三周各各当体譬喩有り、総じて一経に皆当体譬喩あり別して七譬・三平等・十無上の法門有りて皆当体蓮華有るなり、此の理を詮ずる教を名けて妙法蓮華経と為す」云云、妙楽大師の云く「須く七譬を以て各蓮華権実の義に対すべし○何者蓮華は只是れ為実施権・開権顕実・七譬皆然なり」文、又劫初に華草有り聖人理を見て号して蓮華と名く此の華草・因果倶時なること妙法蓮華に似たり故に此の華草同じく蓮華と名くるなり水中に生ずる赤蓮華・白蓮華等の蓮華是なり、譬喩の蓮華とは此の華草の蓮華なり此の華草を以て難解の妙法蓮華を顕す天台大師の妙法は解し難し譬を仮りて顕れ易しと釈するは是の意なり。 問う劫初より已来何人か当体の蓮華を証得せしや、答う釈尊五百塵点劫の当初此の妙法の当体蓮華を証得して世世番番に成道を唱え能証所証の本理を顕し給えり、今日又・中天竺摩訶陀国に出世して此の蓮華を顕わさんと欲すに機無く時無し故に一法の蓮華に於て三の草華を分別し三乗の権法を施し擬宜誘引せしこと四十余年なり、此の間は衆生の根性万差なれば種種の草華を施し設けて終に妙法蓮華を施したまわざる故に、無量義経に云く「我先に道場菩提樹下乃至四十余年未だ真実を顕さず」文、法華経に至つて四味三教の方便の権教・小乗・種種

¥0514の草華を捨てて唯一の妙法蓮華を説き三の華草を開して一の妙法蓮華を顕す時、四味・三教の権人に初住の蓮華を授けしより始めて開近顕遠の蓮華に至つて二住・三住乃至十住・等覚・妙覚の極果の蓮華を得るなり。 問う法華経は何れの品何れの文にか正しく当体譬喩の蓮華を説き分けたるや、答う若し三周の声聞に約して之を論ぜば方便の一品は皆是当体蓮華を説けるなり、譬喩品・化城喩品には譬喩蓮華を説きしなり、但方便品にも譬喩蓮華無きに非ず余品にも当体蓮華無きに非ざるなり、問う若し爾らば正く当体蓮華を説きし文は何れぞや答う方便品の諸法実相の文是なり、問う何を以て此の文が当体蓮華なりと云う事を知ることを得るや、答う天台妙楽今の文を引て今経の体を釈せし故なり、又伝教大師釈して云く「問う法華経は何を以て体と為すや、答う諸法実相を以て体と為す」文、此の釈分明なり当世の学者此の釈を秘して名を顕さず然るに此の文の名を妙法蓮華と曰う義なり、又現証は宝塔品の三身是れ現証なり、或は涌出の菩薩・竜女の即身成仏是なり、地涌の菩薩を現証と為す事は経文に如蓮華在水と云う故なり、菩薩の当体と聞たり竜女を証拠と為す事は霊鷲山に詣で千葉の蓮華の大いさ車輪の如くなるに坐しと説きたまう故なり、又妙音・観音の三十三・四身なり是をば解釈には法華三昧の不思議・自在の業を証得するに非ざるよりは安ぞ能く此の三十三身を現ぜんと云云、或は「世間相常住」文、此等は皆当世の学者の勘文なり、然りと雖も日蓮は方便品の文と神力品の如来一切所有之法等の文となり、此の文をば天台大師も之を引いて今経の五重玄を釈せしなり、殊更此の一文正しき証文なり。 問う次上に引く所の文証・現証・殊勝なり何ぞ神力の一文に執するや、答う此の一文は深意有る故に殊更に吉なり、問う其の深意如何、答う此の文は釈尊・本眷属地涌の菩薩に結要の五字の当体を付属すと説きたまえる文なる故なり、久遠実成の釈迦如来は我が昔の所願の如き今は已に満足す、一切衆生を化して皆仏道に入ら令むとて御願已に満足し、如来の滅後・後五百歳中・広宣流布の付属を説かんが為地涌の菩薩を召し出し本門の当体蓮華を

¥0515要を以て付属し給える文なれば釈尊出世の本懐・道場所得の秘法・末法の我等が現当二世を成就する当体蓮華の誠証は此の文なり、故に末法今時に於て如来の御使より外に当体蓮華の証文を知つて出す人都て有る可からざるなり真実以て秘文なり真実以て大事なり真実以て尊きなり、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経爾前の円の菩薩等の今経に大衆八万有つて具足の道を聞かんと欲す云云、是なり、問う当流の法門の意は諸宗の人来つて当体蓮華の証文を問わん時は法華経何れの文を出す可きや、答う二十八品の始に妙法蓮華経と題す此の文を出す可きなり、問う何を以て品品の題目は当体蓮華なりと云う事を知ることを得るや、故は天台大師今経の首題を釈する時・蓮華とは譬喩を挙ぐると云つて譬喩蓮華と釈し給える者をや、答う題目の蓮華は当体譬喩を合説す天台の今の釈は譬喩の辺を釈する時の釈なり、玄文第一の本迹の六譬は此の意なり同じく第七は当体の辺を釈するなり、故に天台は題目の蓮華を以て当体譬喩の両説を釈する故に失無し、問う何を以て題目の蓮華は当体譬喩合説すと云う事を知ることを得んや、南岳大師も妙法蓮華経の五字を釈する時「妙とは衆生妙なるに故に法とは衆生法なる故に蓮華とは是れ譬喩を借るなり」文、南岳天台の釈既に譬喩蓮華なりと釈し給う如何、答う南岳の釈も天台の釈の如し云云、但当体・譬喩合説すと云う事経文分明ならずと雖も南岳天台既に天親・竜樹の論に依て合説の意を判釈せり、所謂法華論に云く「妙法蓮華とは二種の義有り一には出水の義、乃至泥水を出るをば諸の声聞・如来大衆の中に入つて坐し諸の菩薩の如く蓮華の上に坐して如来無上智慧・清浄の境界を説くを聞いて如来の密蔵を証するを喩うるが故に・二に華開とは諸の衆生・大乗の中に於て其心怯弱にして信を生ずること能わず故に如来の浄妙法身を開示して信心を生ぜしめんが故なり」文、諸の菩薩の諸の字は法華已前の大小の諸菩薩法華経に来つて仏の蓮華を得ると云う事法華論の文分明なり、故に知ぬ菩薩処処得入とは方便なり、天台此の論の文を釈して云く今論の意を解せば若し衆生をして浄妙法身を見せしむと言わば此れ妙因の開発するを以つて蓮華と為るなり、若し如来大衆に入るに蓮華の上に坐す

¥0516と言わば此は妙報の国土を以て蓮華と為るなり、又天台が当体譬喩合説する様を委細に釈し給う時大集経の我今仏の蓮華を敬礼すと云う文と法華論の今の文とを引証して釈して云く「若し大集に依れば行法の因果を蓮華と為す菩薩上に処すれば即ち是れ因の華なり仏の蓮華を礼すれば即ち是れ果の華なり、若し法華論に依れば依報の国土を以て蓮華と為す復菩薩・蓮華の行を修するに由つて報・蓮華の国土を得当に知るべし依正因果悉く是れ蓮華の法なり、何ぞ譬をもつて顕すことをもちいん鈍人の法性の蓮華を解せざる為の故に世の華を挙げて譬と為す亦何の妨げかあるべき」文、又云く若し蓮華に非んば何に由つて遍く上来の諸法を喩えん法譬雙べ弁ずる故に妙法蓮華と称するなり、次に竜樹菩薩の大論に云く「蓮華とは法譬並びに挙ぐるなり」文、伝教大師が天親・竜樹の二論の文を釈して云く「論の文但妙法蓮華経と名くるに二種の義あり唯蓮華に二種の義有りと謂うには非ず、凡そ法喩とは相い似たるを好しと為す若し相い似ずんば何を以てか他を解せしめん、是の故に釈論に法喩並び挙ぐ一心の妙法蓮華は因華・果台・倶時に増長す此の義解し難し喩を仮れば解し易し此の理教を詮ずるを名けて妙法蓮華経と為す」文、此等の論文釈義分明なり文に在つて見る可し包蔵せざるが故に合説の義極成せり、凡そ法華経の意は譬喩即法体・法体即譬喩なり、故に伝教大師釈して云く「今経は譬喩多しと雖も大喩は是れ七喩なり此の七喩は即ち法体・法体は即ち譬喩なり、故に譬喩の外に法体無く法体の外に譬喩無し、但し法体とは法性の理体なり譬喩とは即ち妙法の事相の体なり事相即理体なり理体即事相なり故に法譬一体とは云うなり、是を以て論文山家の釈に皆蓮華を釈するには法譬並べ挙ぐ」等云云、釈の意分明なる故重ねて云わず。 問う如来の在世に誰か当体の蓮華を証得せるや、答う四味三教の時は三乗・五乗・七方便・九法界・帯権の円の菩薩並びに教主乃至法華迹門の教主総じて本門寿量の教主を除くの外は本門の当体蓮華の名をも聞かず何に況んや証得せんをや、開三顕一の無上菩提の蓮華尚四十余年には之を顕さず、故に無量義経に終不得成無上菩提と

¥0517て迹門開三顕一の蓮華は爾前に之を説かずと云うなり、何に況んや開近顕遠・本地難思・境智冥合・本有無作の当体蓮華をば迹化弥勒等之を知る可きや、問う何を以て爾前の円の菩薩・迹門の円の菩薩は本門の当体蓮華を証得せずと云う事を知ることを得ん、答う爾前の円の菩薩は迹門の蓮華を知らず迹門の円の菩薩は本門の蓮華を知らざるなり、天台云く「権教の補処は迹化の衆を知らず迹化の衆は本化の衆を知らず」文、伝教大師云く「是直道なりと雖も大直道ならず」云云、或は云く「未だ菩提の大直道を知らざるが故に」云云此の意なり、爾前迹門の菩薩は一分断惑証理の義分有りと雖も本門に対するの時は当分の断惑にして跨節の断惑に非ず未断惑と云わるるなり、然れば菩薩処処得入と釈すれども二乗を嫌うの時一往得入の名を与うるなり、故に爾前迹門の大菩薩が仏の蓮華を証得する事は本門の時なり真実の断惑は寿量の一品を聞きし時なり、天台大師・涌出品の五十小劫・仏の神力の故に・諸の大衆をして半日の如しと謂わしむの文を釈して云く「解者は短に即して長・五十小劫と見る惑者は長に即して短・半日の如しと謂えり」文、妙楽之を受けて釈して云く「菩薩已に無明を破す之を称して解と為す大衆仍お賢位に居す之を名けて惑と為す」文、釈の意分明なり爾前迹門の菩薩は惑者なり地涌の菩薩のみ独り解者なりと云う事なり、然るに当世天台宗の人の中に本迹の同異を論ずる時・異り無しと云つて此の文を料簡するに解者の中に迹化の衆入りたりと云うは大なる僻見なり経の文・釈の義分明なり何ぞ横計を為す可けんや、文の如きは地涌の菩薩五十小劫の間如来を称揚するを霊山迹化の衆は半日の如く謂えりと説き給えるを天台は解者惑者を出して迹化の衆は惑者の故に半日と思えり是れ即ち僻見なり、地涌の菩薩は解者の故に五十小劫と見る是れ即ち正見なりと釈し給えるなり、妙楽之を受けて無明を破する菩薩は解者なり未だ無明を破せざる菩薩は惑者なりと釈し給いし事文に在つて分明なり、迹化の菩薩なりとも住上の菩薩は已に無明を破する菩薩なりと云わん学者は無得道の諸経を有得道と習いし故なり、爾前迹門の当分に妙覚の位有りと雖も本門寿量の真仏に

¥0518望むる時は惑者仍お賢位に居ると云わるる者なり権教の三身未だ無常を免れざる故は夢中の虚仏なるが故なり、爾前と迹化の衆とは未だ本門に至らざる時は未断惑の者と云われ彼に至る時正しく初住に叶うなり、妙楽の釈に云く「開迹顕本皆初住に入る」文、仍賢位に居すの釈之を思い合すべし、爾前迹化の衆は惑者未だ無明を破せざる仏菩薩なりと云う事真実なり真実なり、故に知ぬ本門寿量の説顕れての後は霊山一会の衆皆悉く当体蓮華を証得せしなり、二乗・闡提・定性・女人・悪人等も本仏の蓮華を証得するなり、伝教大師一大事の蓮華を釈して云く「法華の肝心・一大事の因縁は蓮華の所顕なり、一とは一実相なり大とは性広博なり事とは法性の事なり一究竟事は円の理教智行、円の身・若・達なり一乗・三乗・定性・不定性・内道・外道・阿闡・阿顛・皆悉く一切智地に到る是の一大事仏の知見を開示し悟入して一切成仏す」女人・闡提・定性・二乗等の極悪人霊山に於て当体蓮華を証得するを云うなり。 問う末法今時誰れ人か当体蓮華を証得せるや、答う当世の体を見るに大阿鼻地獄の当体を証得する人之れ多しと雖も仏の蓮華を証得せるの人之れ無し其の故は無得道の権教方便を信仰して法華の当体真実の蓮華を毀謗する故なり、仏説いて云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば則ち一切世間の仏種を断ぜん乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」文、天台云く「此の経はく六道の仏種を開く若此の経を謗せば義・断ずるに当るなり」文、日蓮云く此の経は是れ十界の仏種に通ず若し此の経を謗せば義是れ十界の仏種を断ずるに当る是の人無間に於て決定して堕在す何ぞ出ずる期を得んや、然るに日蓮が一門は正直に権教の邪法・邪師の邪義を捨てて正直に正法・正師の正義を信ずる故に当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を顕す事は本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱うるが故なり、問う南岳・天台・伝教等の大師法華経に依つて一乗円宗の教法を弘通し給うと雖も未だ南無妙法蓮華経と唱えたまわざるは如何、若し爾らば此の大師等は未だ当体蓮華を知らず又証得したまわ

¥0519ずと云うべきや、答う南岳大師は観音の化身・天台大師は薬王の化身なり等云云、若し爾らば霊山に於て本門寿量の説を聞きし時は之を証得すと雖も在生の時は妙法流布の時に非ず、故に妙法の名字を替えて止観と号し一念三千・一心三観を修し給いしなり、但し此等の大師等も南無妙法蓮華経と唱うる事を自行真実の内証と思食されしなり、南岳大師の法華懺法に云く「南無妙法蓮華経」文、天台大師の云く「南無平等大慧一乗妙法蓮華経」文、又云く「稽首妙法蓮華経」云云、又「帰命妙法蓮華経」云云、伝教大師の最後臨終の十生願の記に云く「南無妙法蓮華経」云云、問う文証分明なり何ぞ是くの如く弘通したまわざるや、答う此れに於て二意有り一には時の至らざるが故に二には付属に非ざるが故なり、凡そ妙法の五字は末法流布の大白法なり地涌千界の大士の付属なり是の故に南岳・天台・伝教等は内に鑑みて末法の導師に之を譲りて弘通し給わざりしなり。*    当体義抄送状 問う当体の蓮華解し難し故に譬喩を仮りて之を顕すとは経文に証拠有るか、答う経に云く「世間の法に染まらざること蓮華の水に在るが如し地より而も涌出す」云云、地涌の菩薩の当体蓮華なり、譬喩は知るべし以上後日に之を改め書すべし、此の法門は妙経所詮の理にして釈迦如来の御本懐・地涌の大士に付属せる末法に弘通せん経の肝心なり、国主信心あらん後始めて之を申す可き秘蔵の法門なり、日蓮最蓮房に伝え畢んぬ。    日蓮花押   
¥0520*    小乗大乗分別抄/文永十年 五十二歳御作+


また色香美味や色香無作などの語もある。法華経如来寿量品第十六の文で、良医病子の譬の中で良医が作った良薬が、色、香、味ともに勝れていることを色香美味と表現している。釈尊の正法(法華経)を譬えたもので、法としては戒定慧の三学などをあらわしている。如来寿量品の「此の大良薬は、色香美味、皆悉く具足せり」の文を、天台大師は法華文句巻九下に次のように釈している。「色とは戒を譬う。戒は身口を防ぐ。事相彰顕なり。香とは定を譬う。功徳の香もて一切に熏ずるなり。味とは慧を譬う。能く理味を得るなり……又た色は是れ般若にして、法性の色を照了し、分明にして礙り無し。香は是れ解脱にして、断徳もて臭を離るるなり。味は是れ法身にして、理味なり。三法の不縦不横なるを、秘密蔵と名づく」と。すなわち、色、香、味の三字を戒、定、慧、また般若、解脱、法身に配しているのである。さらに日蓮は、末法の寿量文底下種の義によって判釈し三大秘法とする。色が本門の戒壇、香が本門の本尊、味が本門の題目にあたる。故に妙法を受持することが、おのずから三学をともに具すことになり、三徳を顕現することができるのであると説く。


日蓮は修禅寺相伝日記に「仏意の五重玄とは、諸仏の内証に五眼の体を具す。即ち妙法蓮華経の五字なり。仏眼は妙、法眼は法、慧眼は蓮、天眼は華、肉眼は経。妙は不思議に名づく故に真空冥寂は仏眼なり。法は分別に名づく。法眼は分別の形なり。慧眼は空。果の体は蓮なり。華の用の故に天眼と名づく。神通化用なり。経は破迷の義に在り。迷を以て所対と為す。故に肉眼と名づく。仏智の内徳に五眼を具す。即ち五字なり。五字も亦た五重玄の故に、仏意の五重玄と名づく。亦た五眼は即ち五智なり。法界体性智は仏眼、大円鏡智は法眼、平等性智は慧眼、妙観察智は天眼、成所作智は肉眼なり。問う、五智を立つるや。答う、既に九識なるが故に、五智を立つ可し。前の五識は成所作智、第六識は妙観察智、第七識は平等性智、第八識は大円鏡智、第九識は法界体性智なり」とあり、真実の五智は諸仏の内証である妙法蓮華経の五重玄であり、五眼をあらわす、と説いている。
更に日蓮は、三世諸仏総勘文抄に「五行とは地水火風空なり五大種とも五薀とも五戒とも五常とも五方とも五智とも五時とも云う、只一物・経経の異説なり内典・外典・名目の異名なり、今経に之を開して一切衆生の心中の五仏性・五智の如来の種子と説けり是則ち妙法蓮華経の五字なり、此の五字を以て人身の体を造るなり本有常住なり本覚の如来なり是を十如是と云う此を唯仏与仏・乃能究尽と云う」と述べられている。
仏法では、心の働きとして、識のほかに、心(チッタ)、意(マナス)などがあるが、部派や大乗の諸学派で精緻な分析的哲学が発達するなかで、それぞれの立場から種々の定義がなされ、相互の共通性や差異が種々、論じられている。
①生命根源の迷いから生死の苦悩への連鎖とその連鎖からの解放を説いた十二因縁の一分支に挙げられる。そこでの識は、自他の区別など識別する働きで、行(一つのものとしてまとまりを作り上げる形成作用)によって起こり、名色(名称と形態をもつ個物)を引き起こすものとされる。十二因縁を三世に配した場合には、過去世の善悪の行い(行)によって現世の母胎に宿る生命のことをいい、それによって現世の精神と肉体を伴った個々の生命体(名色)が生じるとする。
②生命を構成する五つの要素である五陰(色・受・想・行・識)の一つに数えられる。そこでの識は、対象を感覚器官(色)で受容して生じた知覚(受)に基づき対象の像を描き(想)、それを種々の知覚・知識などと結びつけて位置付け(行)、それに基づいて行われる判断する働きをいう。
③生命を構成する十八の要素である十八界の一つに挙げられる。そこでの識は、感覚器官(根)がその対象(境)に触れて生じる知覚・認識をいう。眼・耳・鼻・舌・身の五つの感覚器官(五根)と、精神的な知覚力である意根を加えた六根がそれぞれの知覚対象である色・声・香・味・触・法の六境に触れて生じる認識をそれぞれ眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識と呼び、まとめて六識という。
④中部経典(マッジマ・ニカーヤ)の多界経では、世界・宇宙を構成する要素である界について種々の説を挙げているが、その一つとして、地・水・火・風・虚空(空)・識の六界を挙げている。この六界は六大とも呼ばれる。これに対して、世親(ヴァスバンドゥ)は、倶舎論巻一で、地・水・火・風は六境の触に含め、空は色に含め、識を心・六識に当たるとしている。真言宗では、空海(弘法)が即身成仏義で、大日経、金剛頂経や不空の菩提心論(金剛頂瑜伽中発阿耨多羅三藐三菩提心論)などに依拠して、地・水・火・風・空の五つの構成要素(五大)に識を加えた六大がこの宇宙の種々の事物の本質であり、絶対的真理と個々の事物の差別はなく互いに融合調和している(六大無礙)とする。さらにこの六大によってこの世界・宇宙が成立している(六大縁起)と知る智慧が五智のうちの法界体性智であるとし、即身成仏の法門とする。また、この法界体性智が第九識(阿摩羅識)に相当するとする。
日蓮は、妙一女御返事でこの真言宗の六大無礙による即身成仏説を「此等の経文は大日経金剛頂経の文なり、然りと雖も経文は或は大日如来の成正覚の文・或は真言の行者の現身に五通を得るの文・或は十回向の菩薩の現身に歓喜地を証得する文にして猶生身得忍に非ず何に況や即身成仏をや、但し菩提心論は一には経に非ず論を本とせば背上向下の科・依法不依人の仏説に相違す」と破折している。
また総勘文抄には「五行とは地水火風空なり五大種とも五薀とも五戒とも五常とも五方とも五智とも五時とも云う、只一物・経経の異説なり……今経に之を開して一切衆生の心中の五仏性・五智の如来の種子と説けり是則ち妙法蓮華経の五字なり、此の五字を以て人身の体を造るなり本有常住なり本覚の如来なり……円頓の凡夫は初心より之を知る故に即身成仏するなり金剛不壊の体なり」「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき」と述べ、南無妙法蓮華経こそが宇宙の根本の真理であり、五百塵点劫の当初に久遠元初の自受用身が覚知した法であることを明かされ、その妙法と凡夫の自身が一体不二であると知るところに即身成仏が可能になるとしている。

①部派仏教では、心のうち、中心となる主体を心王とし、他の諸作用をそれに付随する心所(心数)とする。経量部では、心所は心王の種々の働きに過ぎず、心の本質として心王しかないとする。これに対して、説一切有部では、五位七十五法を立て、六識が一体で心王であるとし、心所として四十六種の働き(法)を挙げる。世親(ヴァスバンドゥ)は、倶舎論を著し、説一切有部の論書に基づいてそれを要約するとともに、経量部の説からその行き過ぎに対する批判を加えている。この倶舎論によって中国で立てられた学派である倶舎宗などでは、六識説を採る。訶梨跋摩か り ばつま ▲(ハリヴァルマン)は経量部の立場から説一切有部の立場を批判して成実論を著したが、それに基づいて中国で立てられた成実宗では五識とは別の六識を立てず、五識が一つの本体の現れとし、それを心王とした。
②部派仏教に対して、弥勒(マイトレーヤ)・無著(アサンガ)・世親らによって形成され、安〓(スティラマティ)・護法(ダルマパーラ)などを輩出した大乗の瑜伽行派(唯識派)では、六識よりも根源的な識を立てる(識の性質、相互の関係、位置付けについては瑜伽行派の中でもそれぞれの論師・学派によって異なる)。より根源的な識は一貫した生命体として心身を支える働きがあるとし、その点から阿陀〓識(執持識)と呼ぶ。心身を支える働きは、先に触れた十二因縁の説に基づけば無明から起こり、苦悩を生み出すものとして我執を担うものである。その点から、中国に入って、地論宗南道派の慧遠は六識よりも根源的な識について無解識・無明識と呼び、真諦(パラマールタ)の摂論宗では執識と呼び、第七識に位置付ける。それに対して、法相宗では、迷いの境地、それを解放・脱出するために修行をしている段階、悟りを得た境地を区別なく一貫して、心身を支えるものとする。この根源的な識は、心身の種々の行い(業)の影響(習気)を蓄えている蔵に当たるとされ、阿黎耶識、あるいは阿頼耶識と呼ばれる。善悪の業の影響を因として生じる苦楽の果報は、因と異なる性質となって現れるので異熟といい、その異熟が行われる識であるので、異熟識とも呼ばれる。唯識思想の発展の中で、この根源的な識から、我の働きを担う識を区別し、末那識(思量識)を立て、第七識に位置付ける説も生まれた。阿頼耶識は、他の識をも生み出す根源の識とされ、根本識とも呼ばれた。識は先に見たように、十二因縁の一分支に挙げられているように、迷いの生存にかかわるものであるが、そこから解脱した悟りの境地における真如や智慧と識の関係についても種々の考察が行われ、異説が生じた。その際に、如来蔵思想の影響を受け、清浄な識と如来蔵との関係についても諸説が出た。迷いから悟りへといたるための種子についても異論が生まれ、その種子が生命に本然的に具わる(本有)ものか、聞法などの修行によって生命に新たに影響が刻まれる(新薫)ことによるものなのか、あるいは両方かなどの議論が行われた。迷いの識が転じて悟りの智慧となる転識得智の説が説かれた。
③中国では唯識の学派として、世親による十地経(華厳経に十地品として編入)に対する注釈である十地経論に基づく地論宗(北道派、南道派)、無著の摂大乗論に基づく摂論宗、世親の成唯識論に基づき護法の解釈を正しい義とする法相宗が起こったが、インドでの諸説の違いを反映・発展してさらに種々の違いが生まれた。また、法相宗と対立した華厳宗・天台宗、さらに新しく興った真言宗などで種々の説が展開されていった。その諸宗を伝えた日本でも、さらに相互に影響を与えながら、種々の説が展開された。

北道派では、第八識を空なるものとし第七識・阿黎耶識が体を具えるとした。なお九識を立てたという説もあるが有力ではない。南道派の法上は、第八識を真如・如来蔵と同一視し、体を具えてあらゆるものを生み出すものとし、第七識・阿黎耶識は迷いの本であるが体ではなく用(体から現れる働き)であるとした。南道派の大成者である浄影寺の慧遠は、六識、第七識より根源的なものとして第八識として無没識を立て、それが清浄な真と煩悩に汚された妄が並存する真妄具相識であるとし、清浄な真の面を阿頼耶識とし真如識、如来蔵の識という意味で蔵識とした。その一方、第九識として阿摩羅識を挙げ、本浄真心と位置付け生命(心)の本体であるとし、第八識の清浄な面である阿頼耶識は縁に随ってその働きが隠れたり顕れたりする(随縁隠顕)とし、用であるとした。
摂論宗 摂論宗では、前五識、第六識・意識、第七識・阿陀那識と別に、第八識・阿黎耶識を立てた。この阿黎耶識は真妄が合わさった真妄和合識で、妄の面は心身を支える働きをもつものとする。真の面は、悟りを得て解脱するための本性(解性)である。しかし、地論宗と同様、第九識として阿摩羅識(無垢識)を立てるようになり、これが真如、自性清浄心と同一視し、生命の本体と位置付けられる。業の果報としての一切法は悪業を種子として阿黎耶識の妄で生じ、悟りの清浄な境地は正法を聞いて信受する行為を種子(聞薫習種子)として阿黎耶識の解性で生じるとする。これは、如来蔵縁起、真如縁起とは異なる。そして、八識を観ずるのは方便唯識であり、第九識を観ずるのが正観唯識であると位置付ける。
世親の仏性論には六識を心、阿陀那識を意、阿黎耶識を識とする説を述べ、摂大乗論では阿黎耶識を心、阿陀那識を意、六識を識とする。
 法相宗では、前五識、第六識・意識、第七識・末那識と別に、根源の識として第八識・阿頼耶識を立てる。清浄な識として阿摩羅識をいうものの、あくまで阿頼耶識のうちの煩悩・業によって汚されていない清浄な部分(浄分)とし、第八識よりも根源的な第九識とはしない。第八識の中に三種の性質を考え、善悪の業の種子を蓄える一切種子識である阿頼耶識(蔵識)、種子から果報を生み出す異熟識、心身を生じ支える阿陀那識を立てる。生命に本来的に有る悟りの種子(本有無漏種子)を説く一方、種々の要因によって生成変化する存在・現象(有為法)の識や、それが転じて得られる智慧と、生成変化しない存在・現象(無為法)である真如とを峻別する。転識得智の説が整備されて、五識・第六識・第七識・第八識のそれぞれに対応して成所作智・妙観察智・平等性智・大円鏡智の四つの智(四智)が説かれ、大円鏡智が第八識の浄分と同一視された。諸識を心・意・識に配する場合には、阿頼耶識を心、末那識を意、六識を識とする。また、心王と心所については、第八識が心王とされ、その他の働きは心所とされる。
 華厳経に基づく華厳宗の第一祖とされる杜順は般若経系の空の思想に大きくよっていたと推測されるが、第二祖とされる智儼は、地論宗・摂論宗の唯識説を踏まえ、第三祖の法蔵(賢首大師)は、法相宗の唯識説と般若・中観系の空の思想との総合を図り如来蔵思想をふまえつつ華厳宗の教義を整備した。第四祖の澄観(清涼大師)は、天台宗・三論宗の教義を学ぶとともに禅の影響を受け、華厳宗の教義に新たな展開を加え、第五祖の宗密は、求那跋陀羅が訳した四巻の楞伽経(楞伽阿跋多羅宝経)を重んじる楞伽師から発達してきた禅への傾斜をさらに強め円覚経を重んじ、教禅一致を唱えた。識については、六識、第七・末那識、第八・阿頼耶識に加えて、第九識として清浄な阿摩羅識を立て、如来蔵・自性清浄心と同一視する。法蔵は、十重唯識の説を立て、その中で杜順が華厳法界観門で示して以来の法界観についての三段階の説を用いて、真如についての論を展開し、不変の真理・本性(理性、理体)である真如が一切法を生じるとする説や、真如が縁に随って現実世界の一切法(事法)を生じながらも理性は不滅で事と融合し一体であるという説よりもさらに深い説として、現実の個別の事物事象である事と事が互いに相入相即して融通無礙であるとする説を挙げ、第十帝網無礙唯識とし、華厳の教説であるとした。
 天台宗では、第一祖とされる慧思(南岳大師)は、大智度論に示される般若・中観系の空の思想に大きく拠る一方、唯識思想である地論宗南道派の説を踏まえて八識を立てた。六識、第七識を心の働きが表れたものである心相とする。このうち六識は仮のものでありそれを転じて顕れた清浄な智を第七識とし、第七識を根本識、六識を枝条識とした。さらに第八識・阿黎耶識を心性(心の本性・本体)とし、如来蔵・自性清浄心と同一視し、法身蔵・蔵識と位置付ける。天台大師は摂論宗の祖である真諦の弟子の慧曠に学び、唯識の素養を身に付けたとされる。法華玄義巻五下の三法妙を論じる中で、三法(三軌)を識と関係付け、菴摩羅識を真性軌、阿黎耶識を観照軌、阿陀那識を資成軌に配している。この三識は一人の心に具わるもので分かちがたいものであるとするとともに、阿黎耶識に迷いの種子が薫習すれば分別識である阿陀那識が生じ、阿黎耶識に聞法の種子が薫習(聞薫習)すれば、その拠り所(依)である阿黎耶識を転じて悟りの境地の真如とし、それが浄識である菴摩羅識であるとする。さらに菴摩羅識を仏の悟りの智慧である無分別智(無分別智光)と同一視する一方、無分別智の種子が凡夫や修行の各段階にある菩薩に具わることを示している。唯識の諸宗や華厳宗とは違って、天台宗は、真如・法性から一切の事物事象が生じるとする性起思想や一心から森羅万象・宇宙(法界)が生じるとする三界唯心・法界縁起の思想ではなく、あらゆる事物事象(一切法)に本来的に法性が具わることを説く性具思想を強調した。そして、その真理を凡夫が観ずる修行として、凡夫の迷いの六識を対象として瞬間の心(一念)に森羅万象(三千)が具わると観ずる一念三千の法門を説いた。天台大師は金光明玄義巻上では、六識、第七識(分別識、阿陀那識あるいは末那識)、第八識(無没識、阿黎耶識あるいは阿頼耶識)、第九識(不動識、菴摩羅識あるいは阿摩羅識)の九識を立て、それぞれ凡夫の識、二乗識、菩薩識、仏識と位置付けている。
真言宗では、拠り所とする密教経典に説かれる識説、唯識思想と般若・中観系の空の思想および如来蔵思想の影響を反映しており、第八識・阿頼耶識についても、清浄な真か迷いの妄かあるいは真妄和合なのか経典によって異なる。真言宗は釈摩訶衍論(竜樹の著とされるが伝教大師の時代から偽撰の疑いがある)に基づいて、一識、八識、九識、二種の十識、および無量識を立てる。すなわち、中尊・大日如来の心王を一切の心を摂する一識とする。八識を立てる場合は、六識に阿陀那識あるいは末那識を加えて七識とし、それに阿頼耶識を加えて八識とし、これを八葉尊の心王とする。さらに阿摩羅識を加えて九識とする。この阿摩羅識を八識とは別で清浄な本覚識、法界体性智と同一視し、胎蔵(界)曼荼羅の中尊と八葉の九尊の心王とする。さらにそれ以外の曼荼羅の一切の諸尊の心王を一心に摂して一切一心識(一一心識)を立て、第十識とする。これは、一切の衆生および非情は真如随縁で現れたものであり、その真如の体(本質・本体)が一であり、それを一心ととらえ心王とするものである。さらに、この一切一心識を個々の存在に開いてその無量の心王を無量識とすることがある。無量識を立てる場合の識の種類の数は十一であり、十一識と呼ばれることもある。さらに唯識思想の転識得智の法門を取り入れ、さらに如来蔵思想の影響を受けて、唯識が立てた四智に法界体性智を加えて五智の法門を立てた。

日蓮は、その著作の中で、煩瑣な識説を展開することなく、主としてその当時の説をふまえつつ、南無妙法蓮華経・御本尊の説明のために用いことに終始した。日女御前御返事には「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり」と述べられている。また御義口伝には「南無妙法蓮華経は一心の方便なり妙法蓮華経は九識なり、十界は八識已下なり心を留めて之を案ず可し」、「我観一切普皆平等とは九識なり無有彼此とは八識なり愛憎之心とは七識なり我無貪著とは六識なり亦無限礙とは五識なり我等衆生の観法の大体なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は豈我観一切普皆平等の九識の修行に非ずや」、「既に妙法蓮華経を頂く故に十方仏土中唯有一乗法なり妙法の方便〓華の方便なれば秘妙なり・清浄なり妙法の五字は九識・方便は八識已下なり九識は悟なり八識已下は迷なり、妙法蓮華経方便品と題したれば迷悟不二なり森羅三千の諸法此の妙法蓮華経方便に非ずと云う事無きなり」等と記されている。
また御講聞書には「所詮此の一切智地をば九識法性と心得可きなり、九識法性をば、迷悟不二・凡聖一如なれば空と云うなり、無分別智光を空と云うなり、此の九識法性とは、いかなる所の法界を指すや、法界とは十界なり、十界即諸法なり、此の諸法の当体・本有の妙法蓮華経なり、此の重に迷う衆生の為に、一仏現じて分別説三するは、九識本法の都を立ち出ずるなり、さて終に本の九識に引入する、夫れを法華経とは云うなり、一切智地とは是れなり、一切智地は我等衆生の心法なり心法即ち妙法なり一切智地とは是なり」と述べられ、また「一蓮華とは本因本果なり、此の本因本果と云うは一念三千なり、本有の因・本有の果なり、今始めたる因果に非ざるなり、五百塵点の法門とは此の事を説かれたり、本因の因と云うは下種の題目なり、本果の果とは成仏なり、因と云うは信心領納の事なり、此の経を持ち奉る時を本因とす其の本因のまま成仏なりと云うを本果とは云うなり、日蓮が弟子檀那の肝要は本果より本因を宗とするなり、本因なくしては本果有る可からず、仍て本因とは慧の因にして名字即の位なり、本果は果にして究竟即の位なり、究竟即とは九識本覚の異名なり、九識本法の都とは法華の行者の住所なり、神力品に云く若しは山谷曠野等と説けり即ち是れ道場と見えたり豈法華の行者の住所は生処・得道・転法輪・入涅槃の諸仏の四処の道場に非ずや」と記されている。
また、真言宗を破折する中で識説に言及されている。大学三郎殿御書で、真言宗が「仏は十八界・修羅は十九界・天台は四智・真言は五智・天台は九識十識・真言は十識十一識」と根拠なく数を増やして邪義を主張していることを指摘し、破折されている。十八円満抄では、真言宗のように五智を説いていないのではないかという難に対して天台宗の法門をふまえつつ転識得智の説に基づいて「既に九識を立つ故に五智を立つべし、前の五識は成所作智・第六識は妙観察智・第七識は平等性智・第八識は大円鏡智・第九識は法界体性智なり」と答えられている。